科挙 [雑学]
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一二、一三世紀には、大きな支配力のある中国の官僚制は、真の能力主義になっていた。権力のどの地位も、皇帝位をのぞけば、教養を身につけ科挙と呼ばれる官僚登用試験を受けなければ手に入れられなかった。
科挙の目的は、志願者のもって生まれた資質や、発揮できる技術なり能力なりを評価することではなかった。試験の一環として、志願者はどんあ役人も直面しそうな現実のシナリオをめぐる質問をされた。道徳上のジレンマや葛藤、相いれない利害などに悩まされるような状況だ。
評価されるのは、正解を導けるかどうかではない。正解などないからだ。
志願者は、全体像を見て、複雑な状況を切り抜ける潜在能力をもっているかどうかで評価された。科挙は善良さを測る試験だった。
いうまでもなく、科挙の制度はすべての人に分け隔てなくひらかれたものではない。手はじめに、科挙の受験者は男に限定されていた。また、当時は世界じゅうどこでもそうだったように、万人に対する教育はなかった。富裕層の家族は子どもが科挙のための指導を受けられるよう手配できた。
とはいえ、受験勉強をする者は、道徳的な自己修養の指導を受け、貴族のエリートとは異なる価値観を学んだ。試験の際、受験者の解答は匿名にされ、どの家の出かは問われなかった。
科挙に合格すると、地元からはるかに離れた場所へあちこち転任させられた。子ども時代の縁故や地元の強力な利害関係者によって判断が過度に影響されないようにとの配慮からだ。
これが意味するのは政治権力が世襲制ではないということだ。権力を握るのは教養のあるエリートだった。
P229
(住人注;一六世紀に中国へおもむいた)修道士たちは目にしたものに愕然とした。そしてそれを伝える報告書を書きはじめた。
貴族ではなく、教養のあるエリートによって運用される官僚制、農民であろうと貴族であろゆとすべての人に適用される法律、官僚登用試験を受けるために教育を受ける人々、能力主義による社会的流動性、すべてヨーロッパでは前例のないことばかりだった。
二世紀後、この報告書が啓蒙思想と呼ばれるヨーロッパの思想運動を生む助けとなった。
フランスのヴォルテール(一六九四~一七七八)などの哲学者たちは、官僚制と法律と教養のあるエリートを育成できる組織の構想を発展させはじめた。
ヨーロッパの支配者たちは、そのような組織をもつことが十分に可能だと気づいた。なにしろ、中国にはちゃんと手本が存在するのだ。
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ヨーロッパが―そしてその流れで 二一世紀の世界が―相続してきたものの大半は、まちがいなく中国に根ざしている。能力主義の試験(アメリカの大学の入学診査に利用される標準テストであるSAT、すなわち大学能力評価試験など)のおおまかな枠組みは、最終的に中国までさかのぼることができる。すべての人に等しく適用される法律も、教養あるエリートによって運用される官僚制も中国が起源だ。
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