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生命維持治療の中止は違法行為?  [医療]

 確かに、生命維持治療の差し控えと中止を倫理的に同質の行為とみなすことで、様々な問題が矛盾なく解決できるかもしれない。
とはいっても、実際に生命維持治療を中止した結果、違法行為として訴えられることはないだろうか。
医師の中には、「生命維持治療の中止は個人的には許容できるが、実際に行うことについては訴追の恐れがあるため躊躇する」という意見は少なくない。
 過去には生命維持治療を中止した医師が警察の介入を受け送検されたケースが存在する(2004年道立羽幌病院事件、2007年和歌山県立医大病院事件)。
これらの事件はニュースでセンセーショナルに(例えば「安楽死を実施した医師に殺人容疑」といった文面で)取り上げられたりしたものの、最終的にはいずれも不起訴に終わっている。
しかし、その顛末はほとんど取り上げられておらす人々の印象には残っていない。~中略~
実際のところ、この行為が「犯罪とみなすべき悪事」と広く社会から非難されたわけでもなく、司法的にも不起訴になっているにもかかわらず(というよりそもそも「安楽死」ですらないのだが)、「活字の威力」は絶大である。
これら一連の出来事が一般市民だけでなく、医師に与えた影響は計り知れない。
「利用可能性ヒューリスティック」の影響によって、多くの医師は生命維持治療の中止を「安楽死の一種である」「違法な行為である」と解釈するようになった。
「利用可能性ヒューリスティック」とは、想起しやすい記憶情報を優先的に頼って判断してしまう傾向のことであり、我々人間はとりわけインパクトが大きな情報に判断が引きずられやすい傾向がある。
このようにして誰が定めたわけでもない「一度始めた生命維持治療はやめられない」という不文律は「利用可能性ヒューリスティック」によって確信となっていったのである。
 しかしながら、実際には、先の事件の後、生命維持治療の中止は少なからず実施されていることがわかっているが(NHKのドキュメント番組でも公表されている(4))、この10年以上の間、生命維持治療を中止したからといって無条件に法的な介入を受けることを心配するのは、わずかな訴訟のリスクを過大評価し、「訴えられるかもしれないから治療を中止できない」と過度に心配している状態に陥っているといえよう。
~中略~
かといって合法とみなしうるための要件が示されたわけでもない。結局のところ、生命維持治療の中止が違法なのか合法なのか司法の判断は示されていない。
この判決を行った東京高等裁判所は「治療中止の問題を解決するには、法律を制定する、あるいは、それに代わるガイドラインを策定する必要性がある。・・・・・・・この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法が抜本的な解決を図るような問題ではない」と言及している。
なお、わが国において生命維持治療の差し控え・中止を法制化する動き(いわゆる尊厳死法案)はかねてからあるものの、一度として国会で議論すらされていないところを見ると、当面のあいだ法制化は期待できないだろう。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P212

DSC_5911 (Small).JPG宝満山


タグ:大竹 文雄
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