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法然 [宗教]

法然の配流は、気の毒というほかない。
 その配流は、後鳥羽上皇のごく私的な感情に発している。上皇が寵愛していたらしい二人の女官が、法然の弟子のうちの公家出身の二人の僧と恋愛関係をもったということで、その一件とは何の関係もない法然とその弟子たちを遠国に流し、教団を事実上壊滅させた。
 法然という人は日本最初の民衆的教団の開創者というにはおよそふさわしくないほどに円満な人柄で、どうもうまれつきであったらしい。争いを好まず、ひたすら既成の権威や俗世の権力に対して衝突を避け、自分の思想と信仰を手固く守ってきた。が、結局は七十五歳という晩年になってくだらないことで大弾圧をうけ、配流の身になってしまったのだが、しかし一面、浄土教の発展という面ではよかったかもしれない。

街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P186

DSC_0282 (Small).JPG法然院

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