非難してはならない [処世]
相手が間違っているとは、決して言わないこと
できるなら、人より賢くなることだ。
しかしそうであることを人に言ってはならない
チェスターフィールド卿
デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P136
どんなに人が間違っていると思えても、人を悪(あ)しざまに非難してはならない。
人を非難する前に、まず自分自身を正すこと。
デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば人は動く
騎虎書房
P23
P 28
人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんな馬鹿者でもできる。そして、馬鹿者にかぎって、それをしたがるものだ。
理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にして初めて持ちうる徳である。
P171
そもそも、相手の間違いを、なんのために指摘するのだ―相手の同意を得るために? とんでもない! 相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食らわされているのだ。
当然、打ち返してくる。考えを変えようなどと思うわけがない。
どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても相手の意見は変わらない―傷つけられたのは、論理ではなく、感情なのだから。
「では、君に、そのわけを説明しましょう―」
こういう前置きは、禁物だ。これは、「わたしは君より頭が良い。よくいい聞かせて君の考えを変えてやろう」といっているにひとしい。
まさに挑戦である。相手に反抗心を起こさせ、戦闘準備をさせるようなものだ。
P233
相手は間違っているかもしれないが、彼自身は、自分が間違っているとは決して思っていないのである。
だから、相手を非難しても始まらない。非難は、どんな馬鹿者でもできる。理解することに努めねばならない。賢明な人間は、相手を理解しようと努める。
相手の考え、行動には、それぞれ、相当の理由があるはずだ。その理由を探し出さねばならない―そうすれば、相手の行動、さらには、相手の性格に対する鍵まで握ることができる。
本当に相手の身になってみることだ。
「もし自分が相手だったら、果たしてどう感じ、どう反応するだろうか」と自問自答してみるのだ。これをやると、腹を立てて時間を浪費するのが、ばかばかしくなる。原因に興味を持てば、結果にも同情がもてるようになるのだ。おまけに、人の扱い方が一段とうまくなる。
デール・カーネギー (著) 香山晶 (訳)
人を動かす
ハンディーカーネギー・ベスト
創元社 (1986/11)
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