戦後の社会 [日本(人)]
私は、戦後の社会を半世紀以上生きてきて、戦後教育、戦後社会というものに常に違和感をもちながらも、一億の人間がこれだけ日々、それぞれに一生懸命に生きているのだから、戦後社会、教育にもどこか良いところがあるのだろう、と漠然と考えてきました。
しかし、最近になって振り返ってみると、どうも戦後の社会が生み出したもののなかで、これは良いものというのが見当たらないことに気づきました。
~中略~
戦前は、欠点はあっても、それなりに、外国人が見ても賛嘆するような社会秩序がありました。
岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P210
P239
祖国への誇りと自信が生まれて来れば、日本を日本たらしめてきた価値観を尊重するようになるでしょう。
アメリカが、アメリカンスタンダードである貪欲資本主義をグローバルスタンダードと言い含めておしつけようとしても、「日本人は金銭より徳とか人情を大事にする民族です」と言い抵抗することができたはずです。
規制なしの自由な競争こそが経済発展に不可欠と主張し強要してきても、こう切り返せたはずです。
「日本人は聖徳太子以来、和を旨とする国柄です。実際、戦後の奇蹟的経済復興も、官と民の和、民と民の和、経営者と従業員の和でなしとげました」
~中略~
占領軍の作った憲法や教育基本法で、個人の尊厳や個性の尊重ばかりを謳ったから、家とか公を大事にした国柄が傷ついてしまいました。
これはGHQが意図的にしたことでした。家や公との強い紐帯(ちゅうたい)から生まれるそれ等への献身と忠誠心こそが、戦争における日本人の恐るべき強さの根底にある、と見抜いたからです。占領の一大目的である日本の弱体化には、軍隊を解体するばかりでなく、そこから手をつけなければならなかったのです。
そこで天皇を元首から象徴に変え、長子相続の廃止など「家」を破壊し、個人ばかりを強調したのです。
東京裁判のおまじないの解けない日本人は、公への献身は軍国主義につながる危険な思想、などと自らに言い聞かせ、個人主義ばかりをもてはやしました。
個人主義の欧米が、日本など比較にもならないほどの争いに彩られた歴史を有することを顧みなかったのです。
この結果、会社では能力主義という名のもとで、全員がライバルとなり、不要となればリストラという名の大なたで解雇されるようになりました。弱者切り捨てです。家やコミュニケティーとの紐帯を失った人々は寄る辺のない浮草のようになってしましました。
困った時には家や近隣や仲間が助けの手をのべる、という美風を失ったのです。
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
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