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大乗仏教運動 [宗教]

 大乗仏教運動は、このようないわば社会的活動をあまりしなくなった、形骸化した伝統仏教に対する批判から興ったと思われます。
山奥に 引きこもるのは仏教徒の仕事ではない。苦しむ人間を救うことこそ仏教徒の任務だ、ということですね。
そしてこの苦しんでいる人間を救おう とする人間を菩薩と言います。
大乗仏教は、如来になることがむずかしいなら菩薩になれ、と言います。山奥に引っ込んで、ひとり悟りを開 こうとする仏教徒を攻撃して、民衆のなかに入って民衆の苦を救えと言います。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P197

DSC_6203 (Small).JPG臼杵石仏ホキ石仏

 P69
日常生活から逃れて静かな場所で座禅をするというのは、日常生活と座禅を相対立するものと考え、日常生活を不浄、座禅の境地を浄らかとする考えにもとづいている、と維摩は言うのです。
大乗仏教の立場からすれば、日常的な世俗と座禅は別のものではなく、日常生活の中にあってこそ座禅が本当の意味をもつことになるのです。
高い宗教的な境地と日々の暮らしとが一体となることこそ大乗仏教の理想といってよいでしょう。

P225
すでに見てきたように、大乗仏教は、この現実世界のほかのどこかに寂滅の境地があるという見解をとらず、この雑多な現実の中に自由の境地を求めようとしました。維摩こそ、そのような大乗仏教の考え方の代表者です。

維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
  


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