友情は人間関係の基礎 [対人関係]
良い友達関係を築いて続けていくことは、とってもたいせつだ。
というのも、友達関係や友情は、他の人間との関係の基礎になるからだ。
こうして良い友達関係は、良い結婚を続けていく基礎にもなる。
まぜならば結婚生活は、男女の特別な人間関係でありながらも、その土台には友情を育てるという才能がどうしても必要になるからだ。
したがって、良い結婚になるかどうかを環境や相手のせいにしたりするのは、自分の責任を忘れたまったくの勘違いということになる。
「人間的な、あまりに人間的な」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
084
旧呉鎮守府司令長官官舎(重文)
司馬 前略~
二十世紀の初頭までの西洋の文明国で、母親がまずその息子に教えることは、勇気ということだったろうと思います。
西洋では長い間、教会が道徳やら教育やらを握っていた。異教徒があるいはやって来て法難を持ち込むかもしれないが、法難に対して勇敢であれ、というふうな理由で教会が教えて来たのかも知れませんが、日本のように単一民族がいろんな都合を考えつつ狭い島の中で暮らして来たという場合、他勢力との調和の方が大事で、勇気という一個人のハネあがりはむしろ迷惑なことが多かったのかもしれない。
大体日本では勇気ある行動は、歴史的にも少いように思います。
死を怖れざる行動例は、西洋より遙かにふんだんにありますけれど・・・
それにもう一つ、明治以前には、日本になかった倫理概念として、友情という概念が鮮明でなかった。
~中略~
海音寺 中国でも管仲と鮑叔との友情物語
なんか、中国では大変讃えられてます。しかし、これも日本人ではそう買われる美談ではありませんね。
日本は中国や西欧諸国に較べると、社会の構造が単純で、友情がそれほど必要でなかったのかも知れません。
中国なぞは治乱興亡が絶えず繰返され、頼りになる政府がいつもなかったところからだと思いますが、友情と信義がなかったら、人間の生活は実に不安でしたからね。
中国人ほど信義と友情を重んずる民族を僕は知りません。中共になってからはどうか知りませんが、その以前は中国の社会を成立たせている最も強力な紐帯は友情と信義だったと、ぼくは思っていますよ。
新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P168
自分だけ生きるのも精いっぱいな今どきの若者は、「悪いけれど恋愛でもお金でもない友情に割けるエネルギーはそんなにないんだよ」というところなのではないだろうか。
とはいえ、彼らは「友達に嫌われる」ということはとても恐れている。
「命より大切」という友だちを作るゆとりはなくても、まわりにいる人から敬遠されたり見捨てられたりしたらおしまい、とは思っているのだ。
全国の大学に設置された学生相談所に寄せられる相談の最近のトレンドは、「”ぼっち”(学生用語でひとりぼっちのこと)になららないようにするにはどうしたらよいか」というものらしい。
深いかかわりはしたくないし、ただ群れているのはムダだとわかっていても、とりあえずひとりでいなくてすむくらいの友だちはほしい。
若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか
香山リカ (著)
朝日新聞出版 (2012/12/13)
P112
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