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生殖と性 [日本(人)]

何度もいうようだが日本人は牧畜経験がないから、生殖と利殖とは結びつかない。
だが、牧畜民にとっては、生殖のみが利殖といえる。
家畜に子を生ますことは立派な製造業であり、また唯一の製造業であり、生活の手段であり、ビジネスである。奴隷は前述のようにヒト家畜であるから、女奴隷をもっとも効率的に妊娠させつづけることは最大の利殖であり、生まれた子供は(象徴的な意味でなく具体的な意味で)財産である。
この点、日本人と非常に違う。
~中略~

性と生殖は、牧畜民にとって、農夫が畑をたがやす(この耕すは多くの農耕牧畜民では性行為と同じ言葉が使われる)のと同じく日常のことであり、少しも神秘性はないし、あってはならないのである。
~中略~
 しかし日本人はそうでなかった。
性行為と利殖を関連づけうる日本人はいまい。日本人にとっては、実に神話時代から、性はあくまでも情緒の対象である。
~中略~
さらに日本人は性を、「源氏物語」の昔に、神秘的で幽玄なものにしてしまった。

日本人とユダヤ人
イザヤ・ベンダサン (著), Isaiah Ben-Dasan (著)
角川書店 (1971/09)
P181

DSC_6244 (Small).JPG臼杵

 たとえば、沖縄では万葉の歌垣(うたがき)(かがい)が昭和のはじめごろまで一般に残っていた。歌垣の場合、男女があつまりたがいに歌をうたいあって遊ぶもので、実質は求婚の場になる。
 沖縄でのそれは、言葉としてよく知られているように、モーアソビ(モーアシビーともいう)である。野遊びと書く。野は沖縄では変化してモーという。「沖縄文化史辞典」(真栄田義見・三隅治雄・源武雄編)の「モー遊び」の項をひくと、
「・・・・・月夜の晩など、若い男女が、部落のはずれの適当な芝生の広場を遊び場として落ちあい、夜ふけまで遊びふけった。・・・・・モーアシビーは沖縄の婚姻風習を考える場合には重要な意味をもっている。・・・・・」
 とある。もっともこの古代からの風習は、明治の力みかえった学校教育が普及するにつれ、悪風とされて、いまはすたれてしまっている(月夜で野遊びをして結婚の相手をきめるという風習は沖縄だけでなく鹿児島県の坊津(ぼうのつ)にもあって、昭和のはじめまで求婚形式としてつづいていたということを、ごく最近、坊津できいた)。

街道をゆく (6)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/12)
P56


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