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日本人の性格を形づくって来たもの [日本(人)]

 海音寺 前略~
今までわれわれの論じ合って来たことを要約してみますと、日本人の性格を形づくって来たものは二つあります。
一つは日本が絶海の島国であるということ、一つは日本には地震、台風等、天災地変が実にひんぴんとしてあるということ。
 絶海の島国であるために、大陸の文化がコンスタントには入って来ず、時々ドッと入って来た。それは新奇であり、在来のものよりずっとよい。
何千年という長い長い間には、これが日本人の性格を、新しいものにたいしては強い興味と愛情を感じさせ、従って古いものを何の未練もなく捨てさせるものに築き上げました。
従って、新奇なもの、外来のものにたいしてはいつも劣性コンプレックスを持つ、自信のない性格にもしました。~中略~

 地震・台風等の天災地変が多いので、健忘症にもなりました。関東大震災だって、こんどの戦災だって、きれいに忘れて、前以上に無防備な東京をつくり出しているのですからね。
たった一度の大火災にこりて、ロンドンを石造建築化した英国人とは大ちがいですよ。人間の力が微弱な時代には、どうにもならない災難や不愉快なことは早く忘れるよりよい方法はないのですから、これは生きる智恵と言ってよいでしょう。
くよくよしてもしかたがない、新しくやり直そうというので、日本人は淡泊で楽天的な性質になったのですね。
あなたがずっと言って来られた、過去や行きがかりや学問や思想にとらわれない、生き生きとしたエネルギーも、もちろんここから出て来るのでしょう。
 これはもちろんいい性質で、これがあるために、日本人は今日まで生きつづけて来たのですし、栄えても来たのですが、これからはこれだけではいかんでしょう。
地震や台風の襲来は避けることは出来ないが、人間の智慧と力の進歩した今日では、被害はまぬかれることが出来るのですからね。
今日の進んだ学問と工事力によって治山治水し、建築を丈夫にすれば、被害は立派にまぬかれることが出来るのですからね。もはや、健忘症による楽天はいけませんね。
 政治だってそうです。国民が健忘症では議会制民主主義は決してよくならない。政治家の悪を執念深く記憶していて、次の選挙に生かさなければ、政治家の質は決してよくならないのです。

新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P242

新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

新装版 日本歴史を点検する (講談社文庫)

  • 作者: 海音寺 潮五郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/12/14
  • メディア: 文庫

 

IMG_0026 (Small).JPG大正屋椎葉山荘

 諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授によれば、遺伝子的に、ドーパミン第四受容体の遺伝子内塩基の繰り返し数が多いほど「新奇探索傾向」が強く、セロトニンが少ないと「損害回避傾向」が強まるそうです。
ちなみにある調査では、新奇探索傾向の強い日本人が7%であるのに対してアメリカ人は40%、損害回避傾向の強いアメリカ人が40%であるのに対して日本人はなんと98%だったそうです。日本の経営者だと、たとえば本田宗一郎氏は新しモノ好きで冒険を恐れない数パーセントのうちの一人でしょう。
~中略~
 私たち日本人がダメだと言っているわけではありません。日本のように農耕文化で外敵の侵略が少ないと、動き回るより同じ場所にいたほうが富は蓄積し、生存確率は高くなる。
その結果、そうした遺伝子を多く持った人が何千年もかけて生き残ったのでしょう。見方を変えれば、大きなリスクを取らず、おいしそうな話に乗らないことに関しては、私たちはエリート集団です。
(三ツ松 新)

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
ティナ・シーリグ (著), Tina Seelig (原著), 高遠 裕子 (翻訳)
CCCメディアハウス (2010/3/10)
P229

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

  • 作者: ティナ・シーリグ
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2010/03/10
  • メディア: ハードカバー

地球の表面において、日本およびその諸島が占めている緯度経度、山の高さとありどころ、島々の形と大きさ、島と島とのたがいの遠さ、よく吹く風とよく降る雨との季節、その他万般の天然事実は、それこそ無二また無三のものでありまして、しかもそれがわれわれの歴史を決し、運命を動かしていたのであります。~中略~
 回帰線北の太平洋では、波濤は無始の昔から高かった。小船の航路は常に艱苦をもってみたされてあった。
したがって第二の移住者の来たり侵すことは間遠であり、初めの文化、初めの生活様式は保存せられましたが、その代わりには島から出て行く者も、頻々として海上に死し、人は別れることを死と同じ怖れて、ついにいたずらに小島の中にいるあまり、その末は自ら拯(すく)うために闘いまたは殺戮するの必要をみました。
復讐は一種の経済組織とさえなっていました。島が小さければ小さいほど、この苦悩はさらにはなはだしかったようでありまして、先島二郡に属する大小の島では、神代史として伝わっている物語は、その大部分が兇暴と武勇との交錯でありました。しこうして彼らの神々は、まさにその間へお降りになったのであります。
同胞の中の最も弱くかつやさしい者、すなわち勇士たちの若い妹が、つねにオナリと称して神に召され、神の御心を群衆に伝える習いでありましておのずから信仰の助けによって、権力がやや久しく一つの家門に止まっているようになりました。

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P242

海南小記 (角川ソフィア文庫)

海南小記 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 柳田 国男
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫

 

褶曲性(しゅうきょくせい)の大小の山脈がかさなりあい、あるいは複数のひもを捻(よ)りあわせたような弧をつくり、北東から南西へほそぼそと孤独に横たわっている。それが日本である。
 まことに孤独なすがたというほかない。こういう地理的境涯は、未開時代がながくつづきやすい。
縄文時代が九千年つづいたといわれているように(そのぶんだけ独自の縄文文化が継続したといわれているように)、大陸で醸成されつつある文明とその刺激が容易にやってこないのである。
 古代、生産にかかわる文化―従って暮らしという文化―は、一般に、外界から刺激をうけないかぎり、内発的変化することはまれで、たとえ変化しても進行の時間はきわめて緩慢なものであった。
 船が、日本文化を変え、ときに外圧的に内部の社会まで変質させてきたことは、古代以来、近世まで一貫してかわらない。
 紀元前何世紀かに、外洋から船に乗って稲を持ってきた外来者が、文字をもつ以前の日本を一変させてしまったことは、異論のないところである。
~中略~
 要するに、日本文化はそとから船に乗ってやってくる異種文化の刺激によって変化し、発展したことがいえる。国内での造船力や航海術は、こちらから異種文化を取りにゆく遣唐使時代になっても、中国や新羅にくらべて幼かった。
このことは、日本が稲作の適地で、自己完結性がつよく、とくに航洋船(構造船)を作って外へ乗り出さなければならぬ必要がなかったことも考えられる。つまりは、多分にうち向きの文化をつくった。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P125

北方の原形 ロシアについて (文春文庫)

北方の原形 ロシアについて (文春文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1989/06/10
  • メディア: 文庫


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LargeKzOh

 日本人論・・・自分の知らない文献も含めて多面的な引用を有り難う御座いました。
 頷ける所もあれば、自分はそう想えない等、複雑です。

頷ける箇所:
 自分は現役の頃、新しい機能を発現する新素材の開発に従事していましたが、我が国の製造メーカーの多くは既存素材の改良の方に傾く一方、関心を寄せてくれたのは海外企業でした。
 例外の一つはホンダ技研工業で、異常な関心を寄せ、世界で最初に実用化して下さいました。
 ご指摘の通りです。

by LargeKzOh (2018-01-24 17:04) 

not_so_bad_one

LargeKzOh さんへ
コメント、御指摘ありがとうございます。
自分のフィルターを通した文献の抜粋ですので、文献の筆者の意図と異なる場合、極端な場合真逆の解釈をしてしまっている場合など、あると思います。
興味のある文献は実際に手に取って、ご確認いただければ、と思います。
皆さんの参考になり、議論のたたき台になれば、幸いです。

馬寄村住人
by not_so_bad_one (2018-01-25 07:50) 

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