ルールは変わるもの [処世]
今では、変化するのが当たり前になった。以前のルールが通用するとは思えない。ほとんどが役に立たなくなっている。
仕事でも私生活でも、以前のルールは、私たちが直面している新しい状況に合わなくなっている。
私たちは、これから新しい経験則が必要になってくる。状況が変化し続けるなら、ルールを新しいものと取り替えていく必要があるのだ。
ルールを全部知っている人はいない。今役立つものでも、いつかは役立たなくなる。私たち皆が、少しずつルールを知っている。そうしたルールを共有できたら、皆が助かるはずだ。
魂を売らずに成功する-伝説のビジネス誌編集長が選んだ 飛躍のルール52
アラン・M・ウェバー (著), 市川裕康 (翻訳)
英治出版 (2010/2/25)
P255
<・・・いまどきの武士は、武道はできなくてもソロバンを習って、「倹約」さえ心がければどこでも食べていける。一方、代々仕える素性のいい武士は、親の代からの禄高もいずれは必ず減らされる。世の中は常に移り変わっているのだから、これからのサムライは刀のかわりに秤を腰にさしてこそ家業繁盛というもの・・・・>(住人注;武道伝来記)(巻四ノ三)
~中略~
体制が変わって、かつての美徳も過去の悪弊になってしまった。
今でもよくある話にちがいないが、人の世の有為転変、無常を物語の底流としながらも、<刀のかわりに秤を腰にさす>というたとえは、過去にしばられずに社会の変化に適応していかなければ生き残れないという、現実的な警句にもなっている。
西鶴という鬼才―新書で入門
浅沼 璞 (著)
新潮社 (2008/02)
P50
「時宜を得れば栄えるが、時宜を失えば亡びる。あなたたちのすることは、われわれと同じなのに、効果が我々と違うのは、時宜にかなわなかったからで、することが間違っているわけではない。それに、世の中には、常に正しい道理もなければ、常に誤っていることがらもない。以前通用していたものが、今や通用しなくなっていることもあるし、今で通用しないものが、後に通用するようになることもある。
通用するかしないかに関しては、固定した判断基準はないのだ。時宜に即して、臨機応変に物事を進めることができるのは、智慧によるところだ。もしその智慧が足りなければ、たとえ孔子のように博学で。呂尚(りょ しょう)(太公望)のように多才であっても、どこへ行っても行き詰らないことはないだろう」
(「列子」説符)
老荘思想の心理学
叢 小榕 (著)
新潮社 (2013/02)
P160
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