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畳の上で死ぬのは贅沢? [医療]

   多くの人が病院で亡くなる現在、住み慣れた自宅で最期を迎える在宅死は、希望しても実現が難しい「ぜいたく」になりつつある。 かつて在宅死亡率が全国で最も高かった長野県も、近年は急落した。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P100

IMG_0001 (Small).JPG平山温泉 湯の蔵

P112
 長野県駒ケ根市の保子さん(68・仮名)は二〇〇八年九月、在宅で父親をみとった。 退院時、病院の医師から投げかけられた言葉が今も頭から消えない。
「今自宅に連れて帰ったら、三日もたずに死んじゃいますよ」
 父親の寿夫さん(92・仮名)は脳梗塞で入院。容体が安定したため、保子さんは自宅に連れて帰りたいと訴えた。二〇〇六年一一月のことだ。しかし病院の主治医は寿夫さんを「飲み込みがうまくできない嚥下障害」として、おなかに穴を開けて栄養剤を入れる「胃ろう」を提案し、すぐの帰宅に反対した。「胃ろうが当たり前」という雰囲気に、保子さんは迷いながらも一度は同意した。
 そこに、寿夫さんをよく知る市社会福祉協議会のケアマネージャーが待ったをかけた。「胃ろうが幸せとは思えない」と、寿夫さんにとって不本意な延命になることを心配していた。
~中略~
 自宅に戻った寿夫さんは、よく食べた。まず栄養剤を飲むことから始め、慣れてくるとミキサーにかけた好物の牛肉やサバ、ウナギ、煮物を食べた。生きる意欲も取り戻した。 趣味の浪曲を聞きながら庭を眺め、訪問看護師やヘルパーが来ると笑顔で思い出話をした。「三日もたない」と言われた寿夫さんは、退院から約二年間自宅で過ごした。

P136
 厚生労働省は二〇〇五年、自宅でのみとりを増やせば医療費を大きく削減できるという試算を発表し、在宅医療推進にかじを切った。死亡前1ヵ月にかかる入院医療費は年間約九〇〇〇億円にのぼり、医療費増大の一因となっている。
そこで在宅でのみとりを現在のおよそ二割から四割に倍増すれば、死亡前の医療費を半分以下にできる―とする。二〇〇六年四月に始めた在宅療養支援診療所の制度は、その根幹となる。
~中略~
 ただし現状では、二次医療圏によって在宅療養支援診療所の数の格差は大きい。また、在宅療養に熱心な病院の存在など地域ごと個別の事情もあり、施設の数がただちに在宅医療の充実を示しているともいえない。実情に応じた充実策が必要だ。
 在宅療養支援診療所も十分機能しているとは言い難い。信濃毎日新聞が関東信越厚生局長野事務所に情報公開請求した結果、長野県内で在宅療養支援診療所を届け出た二〇〇余りの診療所の半数が、二〇〇八年七月までの一年間に在宅のみとりを一度もしなかったことが分かった。

P138
解説21 在宅みとりを可能にする条件
 長野赤十字訪問看護ステーション(長野市)管理者の中村妙子看護師は、自身の体験などから11の条件をまとめた.(1)本人が望んでいる.(2)家族が望んでいる.(3)症状がコントロールできている.(4)往診の医師がいる.(5)訪問看護師がいる.(6)入院先の確保も含め緊急時の態勢ができている.(7)介護力がある. (8)積極的な延命治療を望んでいない.(9)必要なサービスを受ける経済力と理解がある.(10)家族・医療・看護・介護の関係者の連携と信頼関係がある.(11)退院前から十分な情報があり態勢を整えられる.
必ずしもすべてが必要ではないという.

P139
解説24 在宅でのみとりの割合
 1950年代前半までは自宅で亡くなる人が8割を占めたが、病院医療の普及にともない1977年に病院死と在宅死が逆転.現在は病院死が約8割を占める. 厚生労働省人口動態統計によると2008年の在宅死亡率12.7%
~中略~
しかし、長野県の在宅死亡率は、2008年には7位に低下.在宅死と医療費を短絡的に結びつける考え方は、疑問視されている.

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

P263
訪問リハビリ、訪問入浴、医療ソーシャルワーカー、ケアマネージャーなど、多職種の連携があれば、最末期でも在宅で死を迎えることができる。
 おひとりさまのわたしの気分は、最近、そちらに向いている。質のよい施設を探すより、ひとりで暮らして来たのだもの、ひとりで生きてきたように、ひとりで死んでいけばよい、と思うようになってきた。
 どんなすばらしい施設より、たとえみすぼらしくても自宅がいちばん、と多くの高齢者が思っていることを知るにつけても、介護保険の理念どおり、高齢おひとりさまの「在宅支援」が可能になってほしい、と思うようになった。
 それに、そもそも介護保険の「在宅支援」の理念には、介護コストを安くしたいという”不純な動機”も含まれていたはず。在宅看とりは、実際、病院死よりは終末医療のコスト低減にもつながるだろう。

P265
在宅医療を実践している岐阜市在住の医師・小笠原文雄さんによれば、終末期に病院にかつぎこまれるのは、ほとんどが家族の意志によるとか。~中略~
 昏睡状態になった患者に代わって入院を決めるのは家族である。もし患者本人に意識があれば、この期に及んで入院を希望するひとはいないだろう。せっかくここまで在宅でもちこたえたのだから、このまま家で死なせてくれ、というのがホンネではないだろうか。
死にかけた患者を目の前にしてパニックにおちいるのは家族のほう。自分が見ていられないから病院へ、となる。

P268
 日本では家族の権利がとても強い。意思決定の能力がなくなったら家族がそれを代行するし、臓器提供だって、法改正により、本人があらかじめ拒否の意志表示をしていないかぎり家族の意志だけでできるようになった。どんなに親しい友だちでも、めったに会わない親族が遠くからやってくれば、病室から追い出される。
最末期に入院することを自分の意志で選択する患者さんにも、「家族がそれをのぞむから」「家族の迷惑にならないように」という配慮がある。それさえなければ、病院で死にたいと、本気で願う患者さんはどのくらいいるだろうか。
 在宅看とりの”抵抗勢力”がほかならぬ家族であるという実例をもうひとつ、小笠原さんから聞いた。末期がんの患者さんが、「もう病院でやることがないから」と退院をすすめられ、ほんにんも退院を強く希望した。彼には、家庭内離婚状態の妻がおり、その妻が、手のかかる夫が家に帰って来るなんて、と強硬に反対した。
 そこに割って入った小笠原さんのせりふである。
「あんたさえおらんかったら、患者さんを家に帰してあげられるのになあ」
大逆転の発想である。
 いやがる家族がいるばっかりに家に帰れない。だれもいなかったら、帰して在宅ひとり死を支えることができるのに・・・・
ドクターのあまりに率直な発言に妻はショックを受け、考えなおした。~後略

P274
 先の岐阜市在住の医師、小笠原さんによると、そろそろと思ったころには、泊まりこみの家政婦さんを入れるように勧めるのだとか。岐阜周辺の相場では、日額1万5000円、月額で45万円。月にこれだけ支払う覚悟があれば、在宅で生活のクオリティを維持できる。
アメニティ(快適性)を高めたければ100万円あればよい。
 ところが、これについても、”抵抗勢力”は家族。高齢者の資産を減らしたがらない。

男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)

男おひとりさま道 (文春文庫)

男おひとりさま道 (文春文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/12/04
  • メディア: 文庫

退院時、つまり在宅スタート時点で多くの患者は痛みや浮腫(むくみ)、場合によっては腹水(腹腔内に体液が溜まる現象)を抱えている。
急きょ借りた介護ベットの周りには点滴スタンドが置かれ、痰の吸引機や酸素ボンベなども用意される。それだけでも家族の不安が募る。
「だから最初から家で看取る、と断言できる家族は少ないですよ」とA医師はいう。しかし帰宅して1週間、2週間と経つうちに「大変さは増しているはずなのにね。”もうやめたい”と言いだす人はほとんどいない」。
~中略~
「1週間を過ごすことができたら、ほぼ看取りはできる」と断言する。本人も次第に笑顔を取り戻していく。「家に帰ったとたんに痛みが軽くなり、オピオイドの量を減らせる」ケースも珍しくない。自分のフィールドに戻った安心感が何より薬なのだ。
 ただし、「在宅での看取りの成否には、それまでの生き方や家族関係が大きく影響する」(A医師)のもまた事実。介護のキーパーソンとなる人と本人との関係がカギであり、長年の家庭内離婚夫婦や機能不全家族に「自宅での穏やかな終末」は難しい。
 その家の経済状態も無視できない。在宅での看取りは病院死と比較して安価だと誤解されているが、がん終末期の病状によっては病院よりも多額のコストが必要になる。
~中略~
 世に喧伝されている「素晴らしい自宅での看取り」が万人に可能なわけではない。高齢の低所得者層が増加し、家庭の機能が失われつつある今、介護者の確保も難しい。自宅死の比率は現在の12パーセント近辺が限界なのだろう。しかも、その一部は「孤独死」という名の自宅死だ。
~中略~
 心しておかなければいけないのは、搬送先では望まない延命措置が取られる場合や、亡くなった際に24時間以内に在宅療養時の主治医と連絡が取れなければ、死因の検索のため警察の介入もありうることだ。
取材・文 野瀬悠平(ライター)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P135

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本

P30
 日本人の死に場所は現在病院がおよそ80%、在宅が13%、施設が5%で施設看取りが徐々に増えています(2010年)。
とはいえ、病院がひとの死に場所になった歴史は、そう古くありません。
 日本人は長いあいだ畳の上で死んできました。在宅死と病院死の割合が逆転したのは1976年。それから怒涛のごとく「死の病院化」が進んできました。
ちなみに、出産の病院化が進んだのは1960年代。それまではお産も家で産婆さんがとりあげていました。日本人が生誕と死をびょういんにゆだねるようになったのは、半世紀足らずのことにすぎません。
 このところ、施設看取りが徐々に増えてきました。
~中略~
 施設看取りはたしかに施設の負担を増やします。職員のなかには、恐怖心を持つ人もいます。介護老人保健施設(老健)は医師や看護師の常駐が条件になっていますが、そうでないところでは、介護職だけでは対応しきれないこともあるでしょう。
ですが、重度の要介護者の方たちは人生の階段をゆっくり下りる過程にあります。いずれはかならず死が待っています。それならいまの暮らしの場で逝ってもらおう、と特養や老健の看取り率は上がってきました。それを評価して介護保険には、高齢者施設に「看取り介護加算」を加える点数配分も生まれました。

P91
本人が「強い意思」を持たない限り、周囲が意思決定して終末期は病院に送られるのがあたりまえ、になっていることがうかがわれます。「死の病院化」が定着してすでに40年近く。死期が近くなれば家にいられない、のがいまの世の中です。
 しかし、「強い意思」が持てるのも、ご本人が正気のあいだだけ。意識不明の昏睡状態や、認知症になったらだれが判断するのでしょうか。 ~中略~
 が、多くの在宅医が証言するように、在宅死の安らかさは病院死とはくらべものにならない、といいます。

P108
 第一の抵抗勢力は、家族です。それもいつも身近にいる家族よりも、遠くに離れていてめったに顔を合せない親族が「がん」だ、と多くの関係者は証言します。
いまはのきわに遠方から飛んできて、死にかけている年寄りを目の前にしてパニックに陥り、「こんな状態でどうして家に置いておくんだ」と119番してしまう・・・・・ケースです。

P112
 ここに第三の抵抗勢力、ケアマネージャーを加えましょう。「看取りは病院で」というすりこみのあるケアマネージャーは、在宅の高齢者が「いよいよ」となると「そろそろ病院へ」と誘導する傾向があります。看取りを自分の役目と思っていないからです。
介護は生きているあいだのこと、死は医療の役目・・・・・・そういう役割分担がすりこまれているようです。終末期には家族に入院をすすめるケアマネージャーもいます。

P111
 高齢者のゆっくり死に、実のところ医療的介入は必要ない場合も多いものです。家族の仕事はただ見守るだけ。あまりに穏やかな死だったので、看取りは家族だけで行って、医師にも看護師にも連絡もしなかった、という例もあります。医師に来てもらうのは亡くなってから。死亡確認をして死亡診断書を書いてもらうだけです。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)

おひとりさまの最期

おひとりさまの最期

  • 作者: 上野千鶴子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2015/11/06
  • メディア: 単行本


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