肥後モッコス [雑学]
「肥後モッコス」
と、よくいわれる。一徹、頑固というのが直訳だが、ニュアンスがややちがうようでもある。
たとえば江戸っ子の一徹というのはなんだか空っつねで、経済力の裏付けがなさそうだが、肥後人のモッコスには、中世の肥後の地侍たちが中央の掣肘(せいちゅう)をうけたがらない気分が濃厚であったように、自前の美田をかかえこんで誰に頭をさげる必要もないという自信が裏付けになっているようにおもわれる。
美田が江戸期以後は教養になった。自説をあくまでも曲げないというのが細川侍・肥後武士の一徹さで、明治初年の神風連の乱から自由民権運動の最盛期にかけての一時期に、
「肥後はなにぶん一人一党だから」
などといわれたりした。モッコスは要するに空っつねでなく、蜂ノ巣の城主のように田畑山林があるか、それとも明治期に大量に輩出したジャーナリストたちのように教養があるか、いずれにしてもそういう肉の厚さが重要な組織要素になっているらしい。
一徹型で有名な土佐のイゴッソウともニュアンスがちがうのである。
街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P102
戦前、熊本の第六師団は日本一の最強部隊であった。その勇名は国際的にまで知られていた。
余談だが、肥後人の奇妙な例の一つをあげると、明治九年の廃刀令に反対してたちあがったこの土地の仁風連ノ乱がある。
くわしくのべるとさらにおもしろいのだが、とにかくこのおそるべき保守主義の士族たち百数十人は、かれらのもっとも軽べつする百姓兵のあつまりである熊本鎮台をおそい、その洋式兵器のまえにあえなく潰走した。戦死二十八人。それはいい。
類がないのは、敗走した百余人のほとんどが、逃亡せずに自殺していることである。肥後人には、おそるべき剽悍敢死の血がながれているのであろう。
~後略
(昭和37年6月)
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P173
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)
- 作者: 遼太郎, 司馬
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/12/22
- メディア: 文庫
コメント 0