SSブログ

李朝による五百年の朝鮮人支配 [国際社会]

  日出(いづ)れば耕ヤシ日没スレバ憩(いこ)ウといったふうの上代以来の農耕生活が今も連綿としてつづいており、非人工の環境と自然の循環になずみきっている農民の貌(かお)には、いままで出遭ったどの農民も、資本主義的競争社会が生みだすあの険しさやいやしさがない。
 韓国の農村をそとからみて、これが資本主義社会の農村であるとはとてもおもえない。利潤を拡大するような努力―開墾をしたり換金性の高い作物を植えたり、電化によって生産性を高めたり―する風景は外側からみたかぎりではあまり接することがなく、さらには消費によって生産を刺激するといった風景も、せまい見聞の中では存在しなかった。
 韓国の農村は、悠然としている。李朝五百年が、まだつづいているという感じなのである。
 日本は大化ノ改新から奈良朝にかけ、中国式の律令体制(儒教的体制)をとり入れようとして四苦八苦したが、結局は看板だけになり、内実はまったく失敗した。~中略~
しかしながら、結局は日本の天皇は中国や朝鮮の王のように絶対専制権的な存在にはならずじまいで、歴史が進行してしまった。
 が、もし日本において律令的思想朝鮮の李朝五百年のごとく、ほぼ完璧にちかいかたちで実施され、それが明治までつづいていたとすれば、日本の農村もこの韓国の農村と同様、悠然たる停滞―もしくは詩的田園としての好ましい状態―をつづけていたであろう。
「それは暴虐なる日帝三十余年の支配によるものです」
 と、韓国の知識人は例によって千枚透(どお)しの錐のようにするどい怨恨的発想の政治論理でもって規定しきってしまうかもしれないが、日帝がいかに暴虐であろうとも―げんにそうだが―しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが三十余年であるにすぎない。
李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力の方がはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない。


街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著) 
朝日新聞社 (1978/10)
P149

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2020/07/11
  • メディア: -



DSC_0607 (Small).JPG鶴林寺 (加古川市)

P151
韓国の農村を貧困といえるだろうか。
 その社会を測るために、貧富というあいまいな基準が二十世紀のある時期まで大いに用いられたが、いまは農村が荒れていないかというほうがより重要な基準であるように思われる。
その基準からいえば、日本の農村のほうがはるかに荒れている。

P156
 ついでながら、韓国の農家というのは家屋としての規模は日本の平均的農家よりずっと小さく、どの家もおなじ規格でできていて、一見、、日本の辻堂のような感じである。~中略~
しかしながら、李朝五百年というのは儒教体制という人間飼いならしの体制であるために、農村の家屋まで規格化したようにおもえる。「天が公有なるごとく地も公有である」という体制思想は、当然、公田を耕す農民の家屋に原則として大小をみとめない。
李朝体制というのは農民の競争本能をこうまでみごとに凍結させてしまったかということが、非個性的な朝鮮家屋にもよくあらわれている。それはそれで、みごとというほかない。

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

街道をゆく〈2〉韓のくに紀行 (1978年)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2020/07/11
  • メディア: -




nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント