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シシ [言葉]

  峰続きの隙間もない林から、緩傾斜の一角をかこい取って畠を開こうとするには、長い石垣を築きめぐらして、山からきたり侵す者を防止せねばならぬ。
紀州の南熊野、または豊後の日向の境の村などで見たものと構造が同じで、国頭においてはこれをイヌガキと呼んでいる。
狗(いぬ)は内にあって守る者、猪垣を狗垣というはずがない。これはなお昔の語の名残であって、かつては野猪を単にイ(ヰ)といった時代に、イの垣とよんでいたのが、意味なしに伝わったものだろう。
 今日では野猪はヤマシシというのであるが、これによってシシガキという語を作るにはまだ故障があった。
何となればシシは沖縄では、宍すなわち食用の獣の肉の総称であって、今のわれわれのようにただ一種の山の獣だけを、意味していないからである。
 内地の方でも田舎に行ってみると、シシが宍人部(ししひとべ)などの宍と、もと一つの語であったことがすぐに分かる。
たとえば鹿をカノシシといい、羚羊(かもしか)をアオシシ、カモシシまたはクラシシなどと言い、九州の島などには、牛を田ジシと呼ぶところさえもある。
ただ宍を食う習慣がつとに衰えたために、何ゆえに肉をもって獣の名とするかを、久しく忘れていたというだけである。
沖縄の方では引き続いて宍を用いていた。ゆえに山のシシすなわち野猪に対して、牛を田のシシと言ったのが最も自然である。
鹿を産するは慶良間群島の、座間味の島だけになってしまったが、カノシシの代わりにこれをコ(カ)ウノシシと呼んでいる。鹿の宍に一種の臭気があるためか、そうでなければその鳴き声によってついた名であろう。
 豚は一般にワと呼んでいる。チェンバレン氏の語典には、ローマ字でWwaと書き、鳴き声からきた名であることは、誰もこれを疑うものがない。
先島の人たちはWwoと言っている。そうして見るとイノシシのイも、その理由は同じように簡単で、われわれも一度はそのウィーウィーの声に耳馴れるまで、親しく接していたことが知れるのである。それを忘れてしまって山に住むのをイノシシ、家に飼うのをイノコなどと、区分したのはおかしかった。
もっとも沖縄でも、区別のために一方をワ、また他の一方にいるのを、イといった時代があったかも知れぬ、前に申したイノガキのほかにも、婚礼の式の改まった料理に必ず出さねばならぬ野猪の吸い物を、イヌムルチなどと呼ぶ例が遺っている。

 正月の食べ物には、餅よりもさらに欠くべからざるは、すなわちこのワノシシである。
暮れにはたいてい家でワを屠って、われわれの彼岸の牡丹餅のように、やったり取ったりを盛んにする。これにも久しい由来のあったことと思うのは、豕(し)の記憶はもはや失った内地の国々の武家に、春の初めの野猪の料理を重んじたことである。
シナと交通していたからシナから来た風習だろうなどと、よい加減に珍しがっておいて今までは済んでいた。そうして古い日本は埋もれていったのである。
 北太平洋の島々には野猪はいたるところに住んでいた。島に猪がおりまた土人がおれば、必ずこれを捕えてきて家に飼うている。野猪が家猪になるのはそれほど手軽であった。
~中略~
 奄美大島にも山にはイノシシがおり、里にはワが孳殖(ししょく)している。少なくとも三百余年の分立前から、ワはすでに島人の生活に伴うていたのである。さらに今千年ほど以前にさかのぼれば、大和の京でもその通りであった。われわれはただ猪垣のこちらの側でむしろ不自然なる生活を忍びて、宍を食わずにいたのであった。

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P69


DSC_1770 (Small).JPG吉野ヶ里遺跡


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