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紀州人 [雑学]


新潟は穀倉地帯であり、最低限の生活なら自給自足で何とかやって行ける所、徳川時代には典型的な細分化された後進藩で、大阪―江戸的な先進的経済に組み込まれていない。いわば「まだら社会」の後進藩に属する。
これは外部からの経済的刺激をあまり必要とせず、同時に稲作は共同作業が要請されるから村落共同体の団結がきわめて強く、水争いなどを通じて相互に排他的になる。そこに小藩分割、雪による交通遮断、上越国境に三国山脈による「暖国政治・経済的中心」との遮断といった要素が加わる。
~中略~
これを私の両親の故郷の潮岬近くの小村と対比するとこの違いは歴然として来る。何しろ後ろは山で前は海、水田皆無の地、木材、みかん、かつぶし等を外部に売って米を買って来なければ生きて行けない。否応なく江戸と大坂の貨幣経済に組み込まれて外部からの刺激を受け、敏感にこれに反応する。~中略~
そして漁撈という海の漁師のような生活と売買という商行為は否応なく団結より競争になり、まことに個人主義的で郷土中心の共同体的団結がない。~中略~
 故有吉佐和子氏は私に言った。「山本さん、紀州人はダメね。あなたも私もダメよ」「どうしてですか」「絶対に団結しないでいつも一匹狼でしょ」「それはいえるでしょう。和歌山県は移民が多いが彼らも団結しない。アメリカに行ってみて驚いたのは岡山県や広島県三世になっても四世になっても県人会があるけど、和歌山県は全然ないですな」「そう。それを私も調べたの」
「まあ、そのかわり田中角栄は紀州、特に南紀からは絶対に出て来ないでしょうな。戦後例外といえる片山哲を除けば、和歌山県出身の総理大臣はいませんな。その唯一の片山氏は閣内もまとめられず、党内もまとめられず、嫌気がさしてすべて投げ出した。
これを見ると百二十人の派閥をつくるなんて能力は紀州人には皆無ですよ。陸奥宗光もそうだったな。大体陸奥宗光には角栄のように地元の面倒をみようなどという発想はゼロだったでしょうな」

「御時世」の研究
山本 七平 (著)
文藝春秋 (1986/05)
P56









DSC_6544 (Small).JPG那智の浜


タグ:山本 七平
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