老入れ [言葉]
「ハッピーリタイアメント」という言葉もあるように、欧米、特にアメリカ人は、リタイア後は人生を目いっぱい楽しもうという思いを温めながら、その夢に向かって働いているようだ。
私は、アメリカ留学中に年配の人々との交流もあったが、老後が不安だとか老後はさびしいなどというような、ネガティブな言葉を聞いた記憶はない。もともと明るく楽天的な国民性もあるのだろうが、彼らにとって、老後は人生の楽しみが凝縮した時期で、ひたすら待ち遠しいというイメージが強いのだろう。
一方、日本では、「老後」という言葉には不安や心細さ、あるいはさびしさ、わびしさなどがついてまわる。ややもするとネガティブで、厭世的な考え方が勝るのは日本人の性格と考えがちだが、実はそれは思い違い。日本でも少し前までは大いに老いの日を楽しみに生きていたようだ。
精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)
P18
P20
ちなみに、江戸時代には「老後」という言葉はあまり使われていない。家業を息子に譲り、老後に入る日は「老入(おい)れ」といった。
老後というと人生の残りという感じがあるが、「老入れ」といえば、「老い」という新しい人生のステージに入っていく、前向きで積極的な姿勢が感じられる。ハッピーリタイアメントのDNAは、日本人のなかにもちゃんと刻まれているはずなのである。
P61
前章でも触れたように、江戸時代の人々は、老後を楽しみに生きていた。家業を譲り渡した後は好きなように生きていい、という発想が広く浸透していたのである。
「楽隠居」という言葉があるように、家業を守る責任から解放された後に好きに暮らせるのは人生の黄金期だった。夫が引退すれば、妻も、しゃもじを嫁に渡す。つまり、家のなかを取り仕切る権限も嫁に譲り、重荷から解放される。夫の老入れは妻にとっても黄金期だったのである。
だが、ただ遊び暮らすだけではつまらないと考えられていたようで、引退(老入れ)の後は、男も女も”ロクを磨く”ことに熱中したという。
ロクとは五感を超えた感。稽古ごとなどで感性を磨くだけでなく、豊富な人生経験をさらに成熟させて、若い人の知恵袋といった存在になることも含まれていた。
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