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「つながりの自己観」と「アトム的自己観」の間 [哲学]

 第一章で、認知能力の低下を恐れる理由に、日米の文化差があることを述べました。
日本の回答者は圧倒的に「他者」に迷惑をかけるから、アメリカ人は自己の自立性が失われるから恐怖する。
自己の存在を考えるとき、常に他者(特に身内の者)の存在を意識しているか、あるいは一つの独立した「宇宙」として自己を自覚しているのか―ヘーゼル・マーカスとシノブ・キタヤマは前者のような文化的自己感を「相互協調的自己観」、後者を「相互独立的自己観」と名づけました(註⑮)。
これらの名称は硬すぎるので、わたしはそれぞれ「つながりの自己観」、「アトム的自己観」と呼びかえています。
「アトム的自己」では自己は、他者から切り離された独立した「宇宙」(「世界」といってもよいでしょう)であり、利己的な判断・意思決定・行動主体です。
他者もそのような存在として理解され、何かを成し遂げようとするとき考慮に必要な関係項は、自己の才能、性格、野心、欲求などであり、他者はその目的を達成するための二次的存在に過ぎません。
この種の自己観の持ち主にとって、他者が敵か味方に分かれやすいのも自然でしょう。競争が激烈な社会では敵味方の感覚はさらに強まりますから、認知能力の衰えは自己という宇宙主体の崩壊と感じられるのも当然です。
こうした「アトム的自己」は、北米やヨーロッパの文化圏に支配的に見出されます。
「つながりの自己」にとって、他者は切っても切れない、つながった存在です。(このときの他者は同じ集団、世間の一員として認識される者であって、明らかに異質な者は入りません)。
何かを行なおうとするとき、無意識的に他者の意向が関係項として入ってきますから、他者に迷惑をかける存在になるのを恐れます。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
P183

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

  • 作者: 大井 玄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/01/01
  • メディア: 新書

 

 

DSC_2802 (Small).JPG須佐神社

P188
「アトム的自己」は、ホッブス的世界、性悪説の世界を想定します。その判断や意思決定に必要な関係項は、自己の持つ能力、意思といった純然たる内的要因だけであり、それは切り離された宇宙、利己的思考・行動主体です。他者も同様に利己的思考・行動主体として理解されていますから、自己の欲するものを追求する場合に他者は競争相手であり、潜在的な敵になります。
競争するのごく自然であり、相手が自分と対等かそれ以上のときは競争のルールを作るが、自分より劣る場合には、その差を拡大するか保つ工夫をします。圧倒的にこちらが優位ならば、相手を征服し奴隷にすることも厭いません。
 他方、「つながりの自己」が選択されると、意思決定や行為において他者の意向を常に考慮する煩わしさはあるものの、他者が自己の生存に必須であるという深層意識的理解は、他者が「善」であること前提にします。

P204
「アトム的自己」であるアテネ市民の民主制度は、膨大な数の奴隷労働によって支えられていました。それはローマ帝国においても同様で、ジュリアス・シーザーの時代、奴隷は人口のじつに四割を占めていたのです(註⑦)。
 古代日本の倫理意識は、古代地中海文明に比べると極めて平等主義的です。奴隷労働の伝統は、西洋にはずっと後代まで残っていました。日本では一〇世紀の延喜式に「奴婢解放令」が出されていますが、アメリカ合衆国の「奴隷解放令」は、一九世紀も後半になってからでした。~中略~
和辻哲郎によれば、「日本の国家は、人民の生活を保障するために、生活に必要な程度の生産手段を均等に分配しようとしたのであって、収税を第一の眼目とはしていないからである」(註⑧)。和辻の言うとおり、班田収授の精神は、人民の生活を平等に保証し、「量的平等の正義」をねらっています。


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