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ありのままの~♪姿見せていいの? [哲学]

 わたしたちはよく、自分を受け入れることで成長できると聞かされる。「ありのままの自分を愛しなさい。この瞬間の自分という人間を受け入れて心安らかでありなさい」と言われる。自己受容は自分自身だけでなく、自分の人生をも受け入れることにつながり、それによって、ある程度の平静さが得られる。
 しかし、本書の哲学者のひとりは、このような自己受容を憂慮したことだろう。紀元前三一〇年生まれの儒家、荀子は、自分をありのまま受け入れるべきだとは考えなかった。
むしろ、自分にとって自然だと思えるものをいい気になって受け入れるべきではないと論じた。 ~中略~
荀子はつぎのように書いている。
 人の本性は悪であって、それを善にするのは人為によるものだ。今、人の本性には生まれつき利益を好む傾向がある・・・・・・また、生まれつき人をねたみ憎む傾向がある・・・・・・そうだとすれば、人の本性に従い、感情のまま行動すると、かならず争い奪い合うことになり、社会の秩序が乱れ、ついには天下に混乱をきたす。【44】
※44 人の性は悪にしてその善なる者は偽(ぎ)なり。今、人の性は生まれながらにして利を好むことあり・・・・・・生まれながらに疾(ねた)み悪(にく)むことあり・・・・・しからずば人の性に従い人の情に順(したが)えば、かならず争奪に出(い)で、犯文乱理(はんぶんらんり)に合いて、暴(ぼう)に帰す。  

ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義
マイケル・ピュエット (著), クリスティーン・グロス=ロー (著), 熊谷淳子 (翻訳)
早川書房 (2016/4/22)
P200

 

DSC_5033 (Small).JPG平尾台

P204
 荀子は、自然へのどんな忠誠も、それがわたしたち人間の自然な本性であれ外界の自然であれ、とにかく自然を「あるがまま」に受容することは本来的に極端で有害だと考えた。

P206
荀子が自著のなかで、人の本性をねじ曲がった木にたとえ、外から力ずくで真っすぐにしなければならないものととらえていたことはよく知られている。しかし、人の本性について批評するほかの人たち(たとえばカントは、何世紀ものちに、”人間性というねじ曲がった材木からは、真っすぐなものなどつくられたためしがない”と主張している)と違って、荀子は、ねじ曲がった木である人の本性も真っすぐにできると考えた。
そのためには〈偽〉、すなわち礼を生じさせる「人為」が必要になる。  とはいえ、人為はうまく用いなければならない。わたしたちは、人為的でつくりものっぽい人を信用しない傾向がある。しかし、わたしたちの個々のペルソナ、すなわち人格という仮面もつくられたものだと荀子なら指摘するだろう。
たとえ自分では自然で「本物」だと思っていても、実際はそうあることを選択した結果であり、だから一種の人為といえる。
荀子にとって、人為的なことはよいことだ。ただ、自分が人為的なことをしていると自覚して、それをうまくやる必要があるというだけだ。
 人為は無意識の本性や手におえない感情をコントロールするのに役立つ。幼い子どもは、疲れたり、お腹がすいたり、今すぐお気に入りのおもちゃで遊べなかったりすると、ひどいかんしゃくを起こす。しかし、わたしたち大人はちょっと自制心がある。

P208
 自然に生まれ、そのままの状態にあるものを性という。・・・・・・あるがままに感応して、干渉を受けることなく自然なままの状態にあるものを性という。性の好悪喜怒哀楽を情という。
 情がそのような状態のとき、心が作用してどれかを選択することを慮という。心が思慮したうえで、体がそれを動作にあらわすことを偽(ぎ)すなわち人為という【46】
 荀子は、意識的に自分の本性に働きかけて、感情や衝動を修め律するべきだと説いた。

P209
 そもそも礼儀というものは、聖人の人為から生じるものであって、もともと人の本性から生じるものではない。
陶工は粘土をこねて器をつくる。そうであれば、器は陶工の人為によってできるのであって、もともと陶工の本性によってできるのではない・・・・・聖人は思慮を重ね、多くの人為を繰り返したうえで、礼儀をつくりあげ法規を起こす。
そうであれば、礼儀や法規というものは聖人の人為によってできるのであって、もともと人の本性によってできるものではない。【47】

P210
 人の本性というものは、そもそも出発点であり、素朴な素材だ。人為というものは、修飾性と合理性のある盛大なものだ。本性がなければ、人為を施すべき素材もない。
しかし、人為がなければ、本性はそれ自体で美しくなれるわけではない・・・・・・人の本性と人為が一体に合わさったとき、天下が治まる。【48】
※47 生のしかる所以(ゆえん)のものはこれを性といい・・・・・精合し感応じて事とせずして自らしかるものもこれを性という。性の好悪喜怒哀楽はこれを情という。
  情のかくごとくして心これが択をなすはこれを慮(りょ)という。心慮(はか)りて能これが動をなすはこれを偽(ぎ)といい・・・・・・
※48 性なる者は本始材木なり、偽なる者は文理隆盛なり。性なければすなわち偽の加うる所なく、偽なければすなわち性は自らは美なることあたわず・・・・・性と偽と合して天下治まる。  


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