積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり [倫理]
自分は賢いと思って不善(善に背く)道に落ち込んでしまったら、その家にやがて禍がやってくるのに、そのことに気づかない。悲しいことだ。
「易経」(周易上経(しゅうえきじょうきょう)・坤附文言伝(こんふぶんげんでん))に「善行を積み重ねた家では、その禍福の余沢(よたく)が必ず子孫に及ぶし、不善を積み重ねた家では、その災禍が必ず子孫に及ぶ。臣下の身でありながら主君を殺したり、子でありながら親を殺したりするような大それた行いは、決して一朝一夕に起こるわけではないのだ」
(積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり。積不善(せきふぜん)の家には必ず余殃(よおう)あり。臣にしてその君を弑(しい)し、子にしてその父を弑するは、一朝一夕の故(こと)に非(あら)ず)とある。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P146
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