体系的な知と実戦的な知のミックス [学問]
ゲスト講師がしてくれる話はたいへんに刺激的でかつ実践的だが、少なくとも従来の意味で「学術的」とはとても言えない。
~中略~
しかし、学生たちは文献などに基づいた私ひとりの一応、学術的な授業より、自分の成功談、失敗談が中心となった社会人の話のほうが、「ずっと勉強になる」と思っているのだ。
~中略~
むしろ、「勉強」とか「学術」の意味が変わってきて、いまの学生たちにとっては、わかりにくい論証とか数字の羅列ではなくて、「私はこうやってきました」という経験にしっかり基づいた話こそが「新しい勉強」にほかならないのかもしれない。
~中略~
私より年齢が上の教員は、いまだに「一章 概念、二章 歴史 3章 方法論」などと昔ながらの体系的な教え方をしているようであるし、
三〇代の教員などは完全に「一時間一テーマ」でワークショップをやらせる、などと実戦的な授業を行っている。
ただ、自分を正当化するつもりではにが、私としてはこの「体系的な知と実戦的な知のミックス」というのが、「勉強や学問」のあるべき姿なのではないかと思うのだ。
若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか
香山リカ (著)
朝日新聞出版 (2012/12/13)
P147
書斎 [学問]
吾が斎の中は虚礼を尚(とうと)ばず。凡そ此の斎に入れば均しく知己と為し、分に随いて欵留(かんりゅう、住人注;茶も出す酒も酌む、菓子も勧め丁寧にもてなして気持よく引き止める)し、 形を忘れて笑語し、是非を言わず、営利を侈(おご)らず、間(しず)かに古今を談じ、静かに山水を玩(もてあそ)び、清茶好香、以て幽趣に適す。 臭味の交(住人注;同じ香りや味を好むもの同士の交際)、斯くの如きのみ。
酔古堂剣掃「人間至宝の生き方」への箴言集
安岡 正篤 (著)
PHP研究所 (2005/7/1)
P80
六言六蔽 [学問]
「子路よ、おまえは六言六蔽ということを聞いたことがあるか」
子路が席から立ってかしこまってこたえた。
「まだです」
(先生がいわれた)
「席に就け、予は汝に語り聞かそう。仁徳を好みながら学問を好まないと、その弊害は他人にばかにされる。
ものがわかることを好んで学問を好まないと、その弊害はとりとめがなくなる。
誠実を好みながら学問を好まないと、その弊害は他人に利用され、みずからをそこなうことになる。
正直を好んで学問を好まないと、その弊害は窮屈になる。
勇気を好んで学問を好まないと、その弊害は無秩序になる。
根性のあるのを好んで学問を好まないと、その弊害は狂気になる」
陽貨篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P499
古に仿(なら)えば今に通ぜず [学問]
一一 子曰わく、故( ふる )きを温めて新しきを知る、以て師と為すべし。
~中略~
先生がいわれた。
「煮つめてとっておいたスープを、もう一度あたためて飲むように、過去の伝統を、もう一度考えなおして新しい意味を知る、そんなことができる人にしてはじめて他人の師となることができるのだ」
( 故きを温めて )「 温 」を朱子の新注で「 たずねる 」と訳しているか意訳にすぎる。漢の鄭玄( ていげん )にしたがって、冷えた食物をあたためなおす意味にとるが、これが原義である。
*孔子はたんなる物知り、過去のことをよく記憶しているだけでは学者になれないと考えたのであろうが、そこまでいわずに、物知りでは他人の先生にはなれないと控えめに述べている。
為政篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P42
学びて、これを約するに礼を以てする [学問]
二七 子曰わく、君子博( ひろく )文を学びて、これを約するに礼を以てすれば、亦以て畔( そむ )かざるべし。
~中略~
先生がいわれた。
「学問に志す人が、できるだけいろいろの文献を読んで、その知識を礼の理念によって統一するならば、正しい道からはずれることはまずあるまいな」
*孔子が学問論を述べたことばとして、非常に重要な章である。学問は、実証的に広く資料を集めなければならないが、中心の理念を欠いてはいけないというのである。
雍也篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P172
書きながら考えてみる [学問]
「人は読書によって知識が豊富になり、会話をかわすことによって能弁になり、書くことによって正確になる」
フランシス=ベーコン(1561-1626)(塚本憲・訳)
実戦・日本語の作文技術
本多 勝一 (著)
朝日新聞社 (1994/09)
P60
過量な剛気を制御するために学問がある [学問]
社会が発生してからというものは、社会を組むことによって食物を得、食物を得るために社会をもち、それを維持し、さらにはまたその秩序に適合するように人間たがいたがいを馴致しあってきた。
そのなかでもっともよく馴致された人間を好人物としてきたことは、どの人種のどの社会でもかわらない。(住人注;晋作の父)高杉小忠太は人間の猛獣性を「剛気」とよぶ。その「剛気がもし平均以上に過量になったばあいはそれをおさえねばならぬ。
おさえるのが人の道である。おさえるために学問(倫理)というものがある」と、いう。
そういう人物が尊い、と小忠太は言いつづける。あるいはそうであろう。
平均的人間がときに猛獣になるのは社会が飢えたときだが、社会が飢えないかぎりその社会の秩序に従順であることが社会の維持と繁栄に役立ち、小忠太のいう「その中庸的人物こそ偉大である」ということになるであろう。
世に棲む日日〈2〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)
P197