ボロは着てても心は錦 [倫理]
みみずへさえも哀憐の情 [倫理]
ならぬことはならぬものです [倫理]
江戸時代の会津では六歳から九歳までの藩士の子どもが、一〇人前後で「什」と呼ばれる集まりをつくっていました。そして年上の子が座長となり、家に集まって次の項目に沿って「お話」をみんなに聞かせ、反省会を開いていたのでそうです。
「什(じゅう)のおきて」
一、年長者(としうえのひと)の言うことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、戯言(うそ)を言うことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいじめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
一流の男は「気働き」で決める
高野 登 (著)
かんき出版 (2014/4/23)
P162
稚心(ちしん)を去る [倫理]
稚心とは、おさな心、すなわち子供じみた心のことである。
果物や野菜が、まだ熟していないものを稚というように、物が熟して美味になる前、まだどこか水くさい味がする状態をいうのである。
どんなものでも、稚といわれる間は完成に至ることができない。
人間でいえば、竹馬・凧・まりけりをはじめ、石投げや虫取りなどの遊びばかりに熱中し、菓子や果物など甘くておいしい食物ばかりをむさぼり、毎日なまけて安楽なことばかり追いかけ、親の目をぬすんで勉強や稽古ごとをおろそかにし、いつでも父や母によりかかって自分ではなにもせず、あるいはまた、父や兄に叱られるのを嫌って、常に母のかげに隠れ甘えるなどといったことは、すべて子供じみた水っぽい心、つまりは「稚心」から生ずるのである。
それも、幼い子供の内は強いて責めるほどのこともないが、十三四歳に成長しみずから学問に志す年齢になって、この心がほんの少しでも残っていたら、何をしても決して上達せず、将来天下第一等の大人物となることはできない。
~中略~
更にまた、稚心を取除かぬ間は、武士としての気概も起らず、いつまでも、腰抜け士(さむらい)でいなければならない。そのため、わたくしはりっぱな武士の仲間入りをするために、第一番に稚心をさらねばならぬと考える。
啓発録
橋本 左内 (著)
講談社 (1982/7/7)
P22
「忙しい」と言ってはいけない [倫理]
忙しいということは現代人に共通の口癖の一つですが、忙しいということは本来よいことではない。
文字そのものがうまく表現している。
「忙」とは、心が亡(に)げる、亡(うしな)われる、亡(な)くなる意味で、世人の通弊として「事に先立っては体怠け、神昏(こころくら)し、
事に臨んでは手忙しく脚乱る。事既(おわ)れば意散り、心安んず。これお事の賊なり」(明の呂新呉「呻吟語」)という通り、ろくなことがない。
佐藤一斎の名作「重職心得箇条」の中に「重役たる者は忙しいと言うべきではない。随分手のすき(隙)心の余裕がなければ、大事にぬかりができるものである。
重役が小事を自分でして、部下に回すことができないから、部下の者が自然ともたれて、重役が忙しくなるのである」と言っている。
安岡正篤
運命を創る―人間学講話
プレジデント社 (1985/12/10)
P229
徳の貯蓄 [倫理]
天性実に美わしく生まれて人がある。嫉妬羨望の念なく、ほとんど悪の観念なきかと思われる人がある。しかし、こんな人は極めて希だ。十中の八、九人はこれに反し修養を積まなければ善に進まれぬものである。
善悪の両性を有するものは、たゆまず失望せず徳を貯えるようにせよ。~中略~
徳を積むものは、前に述べた富とか知識とかを積むもののごとく、この世に栄華を極めることの保証は出来ぬ。人から偉いと言われるや否やも分からぬ。月給も多く多くもらえるかどうか分からぬ。
~中略~
しかし、徳には名誉も黄金も及ばぬ保存力と快楽とがあるものと見ゆる。金ある者は、あるいは失敗して一夜にこれを失うことがある。知識は病気のために忘れることもある。
人に嫉まれたりうらやまれたりすることもある。しかし、徳のある人は火災に喪失するの憂いもなく、人に嫉まれることもない。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P262
情熱が世界を支配する [倫理]
いつの時代にも、この世の理性は荒々しい力に弄(もてあそ)ばれてきた。これまで法の支配は一時的に効力を持つにすぎなかったし、人間が人間である限り、それは今後も同じことであろう。個人の知性ならびに国家や民族全体の知性は両方とも人類の生存競争にいったん滅びはしたが、必ずや甦える。
だが、その時には、再び剣を突きつけられることになろう。五千年前あるいは五百年前の全世界を詳細に検討してみていただきたい。至るところで情熱が思考を、信念が理性を一掃していた。情熱が世界を支配し、世界に君臨する。しかも情熱は頭や手からではなく、心から生まれる。愛、憎悪、野心、怒り、貪欲などは、いずれも知性を奴隷に従えて自らの衝動に侍らせるか、あるいは、反駁の余地のない言葉という暴力で無力な相手を打ちのめし、冷酷な手で相手を引き裂く。
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P147
付け刃ははげやすい [倫理]
超然の術を身につけよ [倫理]
まず第一に、「超然の術」(art of detachment)を早い時期に身につけていただきたい。それは、若さにつきものの娯楽や快楽から自らを隔離する能力を意味する。
人間は生来、怠惰の権化である。他のエデン的な性質は残骸として残っているに過ぎないが、怠惰という性質だけは原始時代そのままの強烈さを保っている。快楽を求める代わりに労苦のほうを選ぶ人もたまにはいるが、大多数の者は人間の弱点を持つアダムと真剣に格闘しなければならない。そして、快楽を軽蔑し労苦多い歳月を過ごすのは容易ではないと悟る。~中略~
諸君に向かって、勉学ばかり身を入れすぎてはいけないと警告する必要はないと思う。若い医学生で血気盛んな時代が在学中に無味乾燥なものになってしまった、という人はいまだお目にかかったことがないからである。
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P51
慇懃無礼 [倫理]
真実を敬語をおおうことをやめよう。率直さを敬語で失うことをやめよう。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P187
勇気の修養 [倫理]
第一に勇気の修養に必要な心得は「正を守りて恐るることなかれ」(Be jusut and fear not)というシェークスピアの名言を守ることが大切である。
「正を守る」ということは勇気の根本で、「恐るるなかれ」はすなわち勇気である。正を守ることは勇気修養の最大条件で、正義に基礎を置かない勇気は匹夫の勇である、猛獣的である。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P140
【送料無料】修養 [ 新渡戸稲造 ] |
年長者を敬え [倫理]
「つねに敬礼を守り、年長者を敬う人には、四種のことがらが増大する。―すなわち、寿命と美しさと楽しみと力とである」
(「ダンマパダ」―法句経― 一〇九)
ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P133
日新 [倫理]
一つだけ座右の銘をあげろといわれれば、中国の古典「大学」にある「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」をあげたい。商時代の湯王が洗面盤に彫りつけ、毎朝洗顔の際自戒に資したという。
~中略~
わたしは一日の決算は一日にやるよう心がけている。うまくゆくこともあるが、しくじることもある。しくじれば、その日のうちに始末する。反省し正解を得て、きれいさっぱり清算する。今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない。昨日を悔やむことはないし、明日を思いわずらうこともない。
このことを積極的にいい表わしたのが「日新」だ。昨日も明日もない。
新たに、今日という清浄無垢の日を迎える。今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす。これは私にとって、最大最良の健康法(精神的にも肉体的にも)になっているかもしれない。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P200
権威とは実力と人格からにじみでてくるもの [倫理]
前略~
トップでもマネージャーでも、そのポストからじかに生まれる力をもっている。外から与えられた力である。これが権力(パワー)である。
この権力は伝家の宝刀だから、できるだけ抜かないほうがよい。これに対して、権威(オーソリティ)は、トップやマネージャーに必ず備わっているとはかぎらない。権威は内から自然に身についてくるものだからである。
実力と人格からにじみでてくるものだからである。この権威こそ大いに発揮してほしい。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P39
理法を愛するひとは栄え、理法を嫌う人は敗れる [倫理]
九二 (師は答えた)、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛するひとは栄え、理法を嫌う人は敗れる。」
ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P29
喪は哀を致すのみ [倫理]
一四 子遊曰わく、喪は哀を致すのみ。
~中略~
子遊がいった。
「喪にあっては、悲しみの情をじゅうぶんに尽くせばそれでよろしい」
子張篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P547
自分にささった矢を抜け [倫理]
三三一 起てよ、座れ。眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。
三三二 起てよ、座れ。平安を得るために、ひたすら修行せよ。汝らが怠惰でありその〔死王の〕力に服したことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ。
三三三 神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。この執着を超えよ。わずかの時をも空しく過すことなかれ。時を空しく過ごした人は地獄に堕ちて悲しむからである。
三三四 怠りは塵垢である。怠りに従って塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。
ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P70
両子寺―
なまぐさ [倫理]
二四七 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえって彼らを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、―これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P55
豈に是れ交遊ならんや [倫理]
刺を投じて空しく労するは原(も)と生計にあらず。裾(すそ)を曳(ひ)いて自ら屈するは豈に是れ交遊ならんや
名刺を差し出して、大臣の所へ日参するとか、官僚の所へ、あるいは某大会社の社長さんとか重役さんとか、あっちへ名刺を持っていき、こっちへ名刺を持っていって、それこそ功名を図り、生産を治める。
こんなものは元を尋ねれば、突きつめて言えば、人間の生きる計りごとではない。
「生計」とは「人生の五計」でも詳しく説明しているが、単に日常の暮らし、金をこしらえる、生活の道を立てるという生計ではなく、もっと根本的・本質的な生計、われらいかに生くべきやという人生至極の問題であります。
~中略~
「裾を曳いて自ら屈する」とは、昔の礼装で、礼服を着て、腰を低くしてご機嫌をとってまわるということ。それが「豈に是れ交遊ならんや」である。
こんなことが本当の交際と言えるかどうかというわけだ。~略
酔古堂剣掃「人間至宝の生き方」への箴言集
安岡 正篤 (著)
PHP研究所 (2005/7/1)
P22
四耐 [倫理]
四耐とは、「まず冷に耐える」こと。人間の冷ややかなること、冷たいことに耐える。
それから人間生活にはいろいろ苦しみがあるから「苦に耐える」という。
いろいろ「煩わしいことに耐える」、そして最後に「閑に耐える」という。
「耐冷、耐苦、耐頬、耐閑」の四つの耐であります。~略
酔古堂剣掃「人間至宝の生き方」への箴言集
安岡 正篤 (著)
PHP研究所 (2005/7/1)
P43
老婆心とは慈悲である [倫理]
老婆心は非常に大切であります。自分に関することでないからどうでもいい、俺の知ったことじゃないというのが、世間普通の俗語だけれども、老婆心とは要するに慈悲である。愛というより慈悲であります。
酔古堂剣掃「人間至宝の生き方」への箴言集
安岡 正篤 (著)
PHP研究所 (2005/7/1)
P105
恕 [倫理]
二四 子貢問いて曰わく、一言にして以て身を終( お )うるまでこれを行なうべき者ありや。
子曰わく、それ恕( じょ )か、己の欲せざる所を人に施( ほどこ )すこと勿( な )かれ
衛霊公篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P446
知者は動き、仁者は静かなり [倫理]
最後までやり遂げる [倫理]
一九 子曰わく、譬( たと )えば山を為( つく )るが如し、未だ一簣( いっき )を成さざるも、止( や )むる吾止むなり。
譬えば地を平らにするが如し、一簣を覆( ふく )すと雖も、進むは吾往( ゆ )くなり。
~中略~
先生がいわれた。
「 ちょうど山をつくるようなものだ。最後にもうひと簣(もつこ)というところをやりとげないのは、やめた自分がわるいのである。
ちょうど土地をならすようなものだ。最後にひと簣をあけるだけでも進行したのは、自分の手柄である。 」
*この解釈は新注によった。古注は「 止まるような君主のところには、自分はゆかない、進む君主のところには自分はいって仕える 」という意味にとる。
子罕編
論語
孔子 ( 著 ), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P251
馬を問わず [倫理]
厩焚( うまやや )けたり。子、朝より退きて曰わく、人を傷( そこ )なえりやと。馬を問わず。
郷党篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P279
些細なことをまもり通す [倫理]
子ども心に残る祖母の台所の静けさは、実際の音の有無というより、乱雑さがなかったことから受ける印象が強く残っているのだと思う。
静けさはすなわち、いつでも料理にかかれる態勢が整えられていることを意味していた。まっ白に気持よく乾いた布巾を保つことは、祖母が一生かけてまもっていた心の支え。
夕食後にその日使った庖丁をきちんと晒(さらし)にくるんでしまうのは、刃物に対する敬意、そして女所帯の用心のよさでもあった。
布巾も庖丁も些細なことながら、それをまもり通すのは容易ではない。
青木奈緒
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)
P248
分を越ゆるなかれ [倫理]
この二宮金次郎こと尊徳先生が幕臣に取り立てられたのが、天保十三年(一八四二)十月六日。ときに五十六歳。
荒れ地を開拓して豊かな農地にするなど、これまでのすぐれた農政家としてのこの人の手腕に大いに期待がかけられたのである。たしかに、豊富な農業知識に基づく合理主義の生産活動は、時代の先端をいっていた。
それと質素倹約、勤勉第一、天地の恵みに対する報徳思想とその生き方は、多くの人々の心を打った。
~中略~
逝去は安政三年(一八五六)十月二十日。享年七十。最後の言葉がいい。
「葬るに分を越ゆるなかれ。ただ土を盛り、わきに松か杉を一本植えれば足る」
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P197
不遜ならんよりは寧ろ固しかれ [倫理]
三五 子曰わく、奢れば則ち不遜、倹なれば則ち固( いや )し、その不遜ならんよりは寧ろ固しかれ。
~中略~
先生がいわれた。
「 ぜいたくな暮らしをしていると、態度が自然に尊大になる。つつましすぎる暮らしをしていると、態度が自然と野卑になる。
だが尊大なのより野卑なほうがましだ 」
述而篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P209
夫子の道は忠恕のみ [倫理]
一五 子曰わく、参( しん )よ、吾が道は一以てこれを貫く。
曽子曰わく、唯( い )。子出ず。
門人問いて曰わく、何の謂( いい )ぞや。曽子曰わく、夫子の道は忠恕のみ。
~中略~
忠は自己の良心に忠実なことであるが、それだけでは他人に通用しがたい。そこで、他人の身になって考える知的な同情が必要である。それが恕であり、忠と恕が結合して一体となっているのが仁なのである。
この孔子の、曽子との「 一貫 」についての問答は、儒教、とくに宋以後の学者にとっては、「 論語 」全巻の根本の原理を述べたことばとして重要視されている。
里仁篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P102
理想の人間像 [倫理]
八 子曰わく、君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。
忠信に主( した )しみ、己れに如かざる者を友とすること無かれ。
過てば則ち改むるに憚( はばか )ること勿れ。
~中略~
先生がいわれた。
「 貴族たるものは、まずどっしりとかまえること。そうでないと威厳を失うし、学問をさせてもしっかりしたところができないからだ。
次は、律義で約束をたがえない人に昵懇( じっこん )をねがって、自分に及ばないものと友だちにならないこと。
最後に、過ちがあれば、すなおに認めてすぐさま訂正することだ。」
学而篇
論語
孔子 ( 著 ), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P17