性格は変えられる。 [倫理]
均しく是れ人なり。
遊惰なれば則ち弱なり。
一旦困苦すれば則ち強と為る。
愜意( きょうい)なれば則ち柔なり。
一旦激発すれば則ち剛と為る。
気質の変化す可きこと此くの如し。
「言志耋録」第二九条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P198
誰もが人間である、と思っているが、
同じ人間でも遊び怠けていると柔弱になるし、一度困苦に耐えると意思が強固になる。
心が満足していると優柔になり、一度激しく発奮すると剛強になる。
人の気質はこのように変化する。
知・情・意 [倫理]
天に仕える [倫理]
凡そ( およそ )事を作( な )すには、須( すべか )らく天に事( つか )うるを要すべし。
人に示すの念有るを要せず。
「 言志録 」第三条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P13
関門海峡
聞人と達人 [倫理]
子張問ふ、士如何なればこれを達と謂うべき。
子曰く、何ぞや、爾( なんじ )がいはゆる達とは。
子張対( こた )へて曰く、那に在りても必ず聞こえ、家にありても必ず聞ゆ。
子曰く、これは聞なり、達にあらざるなり。
それ達なるものは、質直にして、義を好み、言を察して色を観、慮( はか )って以て人に下る。
那にありても必ず達し、家にありても必ず達す。
それを聞なるものは、色に仁をとりて行いは違い、これに居りて疑はず。
国にありても必ず聞こえ、家にありても必ず聞こゆ。
安岡 正篤
論語に学ぶ(
PHP研究所 (2002/10)
P176
道徳というもの [倫理]
P86
道徳について、私がいつも気になることは、どうも道徳ということを、一般的には、何か我々の生活上の特殊な問題のように考える癖がついている。
特殊なこと、不自然なこと、無理なこと、強制しなければできないことのような、そういう先入観念があります。これを先生たる者、教育者たる者は、まず直さなければならないと思う。
人間が禽獣的・動物的段階からだんだん発達してくるにつれて、善であること、美であること、真実であること、神聖ということ、つまり価値観というものができてきました。
そして現実の上に理想が考えられるようになってきて、だんだん動物と違うようになってきた。
そこに自然に生じてきたものが道徳というものであって、道徳とは、一般概念と違って、最も自然なものなのです。
道徳とは特殊なもの、不自然なもの、何か作為的なもの、強制的なものだと考えることが根本的な間違いで、逆に、道徳というものが一番自然なもの、最も真実なものであるということは、はっきりわきまえなければいけない。また、わきまえさせなければいけない。これをなくしたら、元の禽獣にはね返ってしまう。
早い話が飲食をするということ、飲んだり食ったりするということが、これからして実は道徳なのです。人間ともなれば、犬や猫のようにはできぬ。飲食の仕方が違ってくる。
P88
西洋でも物のわかった学者は、宗教と道徳とを区別したのは、人間のとんでもない間違いだと言っておるが、その通りで、広い意味において、人たることは道徳なのだ。すべて、人間はいかに生くべきかということなのであって、これを間違えたら人間は破壊してしまう。
P90
つまり道徳というものは、小なり大なり人間のあり方、人間の行動をいかに自然にするか、いかに真にするか、美にするか、人と人との間をいかに良くするかです。これが道徳です。
安岡正篤
運命を開く―人間学講話
プレジデント社 (1986/11)
富人を羨(うらやむ)むことなかれ [倫理]
富人を羨むことなかれ。
渠( か)れ今の富は、安くんぞ其の後の貧を招かざるを知らんや。
貧人を侮ること勿れ。
渠れ今の貧は、安くんぞ其の後の富を胎せざるを知らんや。
畢竟( ひっきょう)天定なれば、各( おのおの)其の分に安んじて可なり。
「 言志晩録」第一九〇条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P170
君子たるもの [倫理]
修身とは克己 [倫理]
「大学」に「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しくす。
その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知るを致す。
知るを致すは物に格る
にあり」
とあり、また「天子よりもって庶人に至るまで一にこれ皆身を修るをもって本となす」とあり、
治国、斉家、修身と列挙せることより見るも、自己がその意志の力により、自己の一身を支配することであると思う。
すなわち修身とは克己なることが本となって、肉体情欲のために心を乱さぬよう、心が主となって身体の動作または志の向く所を定め、整然として、順序正しく、方向を誤らぬよう、挙動の乱れぬよう、進み行く意であろうと思う。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P24
怒りがわいたら [倫理]
湧いてきた怒りをそのまま相手に感情的にぶつける人は、幼稚だと思われてしまいます。 ~中略~ 何が嫌だったのか、どんな気持ちになったのか、そして相手にどうしてほしいのかを伝えましょう。 これができれば、言う側もスッキリするし、言われる相手も、怒った側の気持ちを理解しやすくなります。 「怒り=悪いもの」ではなく、相手へのリクエスト。そうとらえると、少し言いやすくなりませんか?
<イラスト&図解>コミュニケーション大百科
戸田久実 (著)
かんき出版 (2019/2/14)
P30
傲岸不遜 [倫理]
人類愛とか純粋な信仰、良心、完全な自由、なるほど、それは立派な理念である。その実現に向かって努力することもよい。
しかし、自分自身がそんな善意と努力の人間だと思いこむとき、それは途方もない唯我独尊へと転化する。
会田 雄次 (著)
日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (講談社現代新書 293)
講談社 (1972/01)
P232
礼 [倫理]
三三 子曰わく、知はこれに及ぶも、仁これを守る能わざれば、これを得ると雖も必ずこれを失う。
知これに及び、仁能くこれを守るも、荘以てこれに涖( のぞ)まざれば、則ち民は敬せず。
知これに及び、仁能くこれを守り、荘以てこれに涖むも、これを動かすに礼をもってせざれば、未だ善( よ)からざるなり。
~中略~
「知識で、その地位までゆきつくことはできるが、仁徳によってその地位を守ることができないと、きっとその地位を失うはめになる。
知識でその地位にゆきつき、仁徳で守っても、おごそかに地位についていないと、人民は敬意をはらわない。
知識でその地位にゆきつき、仁徳で守り、おごそかに地位についていても、人民を動かすのに礼の定めにしたがわないと、まだじゅうぶんではないのである」
( 荘)厳格な態度。おごそかに。
( 涖む )定められた位置につくこと。ここでは位について人民に対すること。
衛霊公篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P452
仁 [倫理]
人は己れに克つを以て成り、自らを愛するを以て敗るる [倫理]
二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。
己に克の極功は「毋意毋必毋固毋我(いなしひつなしこなしがなし)」(「論語」)と云えり。
総じて人は己れに克つを以て成り、自らを愛するを以て敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。
事業を創起する人其の事大抵十に七八迄は能く成し得れども、残りの二つを終り迄成し得る人希れなるは、始は能く己れを慎み事を敬する故、功も立ち名も顕はるるなり。
功立ち名顕はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起こり、恐懼戒慎の意弛み、驕矜(きょうきょう)の気漸(ようや)く長じ、其の成し得たる事業を負(たの)み、苟も我が事を仕遂(とげ)んとてまずき仕事に陥いり、終に敗るるものにて、皆な自ら招く也。
故に己に克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒慎するもの也。
西郷隆盛「南洲翁遺訓」―ビキナーズ日本の思想
西郷 隆盛 (著), 猪飼 隆明 (翻訳)
角川学芸出版 (2007/04)
P90
目次 倫理 [倫理]
倫理
- 理法を愛するひとは栄え、理法を嫌う人は敗れる
- 稚心(ちしん)を去る
- 十三徳
- 明徳
- 敬と誠
- 礼
- 礼は倹(つつま)やかにせよ
- 喪は哀を致すのみ
- 仁
- 人にして仁ならずんば
- 知者は惑わず、仁者は憂えず
- 知者は動き、仁者は静かなり
- 夫子の道は忠恕のみ
- 恕
- 不遜ならんよりは寧ろ固しかれ
- 過ちて改めざる、是を過ちと謂う
- 分を越ゆるなかれ
- 君子たるもの
- 理想の人間像
- 血即気、気即心、心即神
- 戒めをたもち、品性あるある人
- 修身とは克己
- 道徳というもの
- 勇気の修養
- 徳の貯蓄
- 心の手綱
- 人は己れに克つを以て成り、自らを愛するを以て敗るる
- 馬を問わず
- 金もいらなきゃ~名誉もいらぬ~♪
- 己を愛しいと知る者は他を害してはならぬ
- 邦に道なきとき、富且つ貴きは恥なり
- 信頼がなければ国家は立ってゆかない
- 約束は守らな
- 些細なことをまもり通す
- ならぬことはならぬものです
- ちゃんとしよう
- 天に仕える
- 我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり
- 日新
- 計画とは「将来への意志」である
- 努力した人に幸せはやってくる
- 努力は成功の必要条件
- 情熱が世界を支配する
- 惜福の説
- 植福の説
- 偏界かつて蔵(かく)さず
- 傲岸不遜
- 知行合一
- 六時心戒(りくじしんかい)
- 脚下照顧
- 吾日三省吾身
- 怖畏ある時には空観せよ
- 四戒
- 四耐
- 不殺生
- 一滴の水でも生かして使え
- 責任
- 一身独立して一国独立する事
- 富人を羨(うらやむ)むことなかれ
- 他人と比べるな
- 我より勝れるの人を思え
- 付け刃ははげやすい
- 聞人と達人
- 人を知らざるを患えよ
- 権威とは実力と人格からにじみでてくるもの
- 知らしむべからず
- 知・情・意
- 性格は変えられる
- 調身、調息、調心
- 私はマインドフルに食べ、飲むことを誓います
- 平静の心を養え
- 超然の術を身につけよ
- 平常心
- 感情の波を静めろ
- 怒り
- 短気は損気
- 慎みの心
- 怒りがわいたら
- 悪口がいけない理由
- 三たび復(かへ)して後に云へ
- 老婆心とは慈悲である
- 慈悲の念を送ろう
- みみずへさえも哀憐の情
- 恥を知る心
- 士気
- 相手を悲しませていること
- 近づきて而も染まらざる者
- 自慢するな
- 人の声に耳を傾ける
- 挨拶
- お辞儀
- 無視するな
- 慇懃無礼
- 豈に是れ交遊ならんや
- ボロは着てても心は錦
- 身なりは人をつくる
- お金は道具です
- 人から金を借りること
- 貯え
- 知足
- 足りないくらいがちょうどいい
- 食事できることへの感謝
- なまぐさ
- 過去の過ちと現在の過ち
- 足を踏み入れてみる
- 自ら箸を取れ
- 自分にささった矢を抜け
- 自ら行け
- まず肉体上の鍛錬
- 気づいた時
- 成功への鍵
- 四季に順応して、自身を処理する
- 時間の浪費こそ、一番の贅沢
- 時間厳守
- 「忙しい」と言ってはいけない
- 急いでも慌てるな
- 出足を早く、引き足を早く
- 早起きの秘訣
- 働き者の国は栄える
- 積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり
- 家が散らかっていると心の中も散らかっている
- 為政者の姿勢を国民は見ている
- 老いるのは免れない
- 年をとるということ
- 年長者を敬え
- 今時の若い者
身なりは人をつくる [倫理]
ここでちょっと止まって、服装の歴史について、とくに社会科学で対外シグナリングと呼ばれるものを念頭に考えてみよう。
対外シグナリングとは簡単に言うと、わたしたちが身につけるものをとおして、自分が何者であるかを他人に知らせる方法のことだ。時をさかのぼって古代ローマの法には、奢侈(しゃし)禁止令という一連の規制があった。禁止令はその後数世紀をかけてヨーロッパのほとんどの国に浸透した。この法では何よりもまず、身分や階級によって、だれが何を着てよいかがきめられていた。法は驚くほど詳細におよんでいた。
~中略~
こうしたルールは、上流階級のばかばかしいまでの脅迫症のように思えるかもしれないが、実は世間の人たちが自らシグナリングしたとおりの身分であることを保証するための策だった。
つまり、無秩序と混乱を排除するためのしくみだ(シグナリング上の利点があったのは間違いないが、この体制に戻りたいとは言っていない)。
現代の衣服の階級制度は、むかしほど硬直的ではないが、成功と個性をシグナリングしたいという欲求は、かってないほど高まっている。
~中略~
ところであなたはこう思っているかもしれない。安いコピー商品を買う人たちは、何も、ファッションメーカーに損害を与えているわけではない。彼らの多くは、そもそも本物など絶対に買わないのだからと。
だがここで忘れていけないのが、対外シグナリングの効果だ。
何しろ大勢の人がパチモンのバーバリーのマフラーを一〇ドルで買っていたら、ほかの人たち、とくに本物を買うだけの余裕と意欲のある一握りの人は、本物のマフラーにその二〇倍の値段を出そうと思わなくなるかもしれない。
せっかくのバーバリーのおなじみのチェック柄の洋服を着たり、ルイヴィトンのLV柄のバッグを身につけても、にせものではないかとまず疑われるなら、本物を買うことのシグナリング上の価値はどこにある?
この観点から言えば、にせものを買う人は対外シグナリングの効力を弱め、正規品(とそれを身につける人)の真正性を損うことになる。だからこそ、ファッションブランドや、ファッションに敏感な人たちは、偽造品にこのうえない危機感を抱いているのだ。
ずる―嘘とごまかしの行動経済学
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 櫻井 祐子 (翻訳)
早川書房 (2012/12/7)
P134
他人と比べるな [倫理]
相対性は(相対的に)理解しやすい。しかし、相対性には、絶えずわたしたちの足をすくう要素が一つある。
わたしたちはものごとをなんでも比べたがるが、それだけでなく、比べやすいものだけを一所懸命に比べて、比べにくいものは無視する傾向がある。
予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳)
早川書房; 増補版版 (2010/10/22)
P32
お金は道具です [倫理]
家が散らかっていると心の中も散らかっている [倫理]
突然、電話が鳴って、知り合いがすぐ近くまで来ているので、ちょっと寄ってもいいかと言う。こんなとき、「ええ、もちろん、どうぞ。お待ちしています」と答えられるか。それとも、散らかっているのであわてふためき、「うちはちょっと。私も出ていきますから」と近くの店などで会うか。
あなたはどちらのタイプだろうか。後のほうだと答える人は要注意だ。
実は、家のなかが片づいているかどうかは、心もすっきり整理され、安定しているかどうかを示す目安にもなるからだ。要らないモノがため込まれていたり、足の踏み場もないくらい散らかっている人は、頭や心のなかも取り散らかっていると見て、ほぼ間違いない。
孤独死やひきこもりの人の部屋は、たいていモノで埋め尽くされている。ゴミまで処分できなくなる。こうなったら重症である。極限はゴミ屋敷だ。
精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)
P136
自ら行け [倫理]
ちゃんとしよう [倫理]
もうひとつ、日本代表の選手たちに提案したことがありました。
「ラグビー以外の行動をきちんとやろう」
きちんと食事をとる。疲れを残さないために決められた量のプロテインやスムージーをきちんと摂取するといったことは当然ですが、ほかにも靴を脱ぐときは揃えて脱ぐ。ちらかっていたらきちんと並べる。ペットボトルなど放りっぱなしにしない。
バスを降りるときは、ゴミが残っていないか必ず確認する・・・・・。
一見、些細な、どうでもいいように見えることでも、きちんと守ろうと提案したのです。
「ラグビーとどういう関係があるんだ」
そう思われるかもしれません。
けれども、そうした規律の部分は絶対に試合に出るのです。
しなければいけないことをする。これは自分の行動の責任をとるということにほかなりません。
それは、ピッチの上での自分の役割と責任を明確にし、やるべきことを責任を持ってするのと一緒。規律をないがしろにしていると、ピッチの上でも自然にそうなってしまうのです。
~中略~
「つねに個々が自分の役割ご責任をしっかり確認できるよう、ラグビー以外での行動にも責任を持つ、人から言われなくても、するべきことは自分でちゃんとできるようになろう」
と提案したのです。
ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」
荒木 香織 (著)
講談社 (2016/2/19)
P80
足りないくらいがちょうどいい [倫理]
人はものがあまりないほうが、大事に使うような気がします。「これしかない」と思うと、おいそれと使えないから大切に考えながら使いますよね。トイレットペーパでも、「安いから」といって買い込みすぎると、逆に価値が薄れて大切にしなくなる。その結果、必要以上に「ムダ使い」してしまい、ちっともお得な買い物をしたことにはならなくなってしまうのです。
~中略~
私自身を振り返ってみると、お金がない時の方が何事にも貪欲だったし、ものを大切にしていた気がします。十分なお金がないから「買いたい!」と思った本もなかなか満足に買うことができませんでした。けれど、なけなしのお金で買った1冊は「せっかく買ったのだから、きちんと読もう!」と、じっくりきっちり読んでいました。~中略~
それが今は同でしょう。ある程度、本を自由に買えるようになったら、買うばかりで読まない本が増えました。いわゆる「積ん読」が増えたのです。
「貧乏老後」に泣く人、「安心老後」で笑う人
横山 光昭 (著)
PHP研究所 (2015/10/3)
P153
吾日三省吾身 [倫理]
約束は守らな [倫理]
組織間の相互信頼を妨げる精神的基盤として、いまわれわれに最も欠けているものは、「契約の思想」だと思う。お互いに約束事は完全に遂行する。それによって、お互いの気兼ねや猜疑心を取り除いてゆく。そうすると、お互いに批判し合ったり助け合ったりできるようになる。
契約とは高い精神活動なのである。契約という言葉が、ちかごろ貶められているのを残念に思う。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P25
成功への鍵 [倫理]
決意と勇気と自信が、成功への鍵となる要素です。
障害と困難に出くわしても、もし固い決意があれば、それらを切り抜けられます。
どんな環境にあっても、私たちは控えめで、慎み深く、慢心のないようにすべきです。
ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ (著), Tenzin Gyatso H.H.the Dalai Lama (原著), 谷口 富士夫 (翻訳)
ダライ・ラマ 365日を生きる智慧
春秋社 (2007/11)
P17
慈悲の念を送ろう [倫理]
自分の上方に慈悲の念を向け、自分の下方に慈悲の念を向け、
自分の横、前後左右に慈悲の念を向け、
わだかまりなく、分け隔てなく、
恨みなく、敵意なく、
優しい念を送るよう、
練習するように。
経集150
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
一六四
私はマインドフルに食べ、飲むことを誓います [倫理]
P98
先進諸国では大量の肉やアルコール飲料が消費されていますが、それらは身心に破壊的な影響を及ぼします。
肉とアルコールを生産するために多くの土地や大量の資源が消費され、それによって世界中に貧困と飢餓がもたらされます。
大量の小麦、米、トウモロコシ、大麦などが、アルコール製造や食肉用の動物の飼料として使われています。毎日おびただしい数の子どもたちが、栄養や食糧不足のために死んでいっています。
P100
私はマインドフルに食べ、飲むことを誓います。肉を食べることやアルコールを摂ることを減らしていきます。
健全な農業を推進し支えるように努め、あらゆる生き物のいのちと環境を尊重します。
できれば自宅の庭(または僧院)で、有機的な方法による耕作を試みます。食料品店では、有機農業によって育てられた野菜や果物を買うよう努め、有機農産物を生産する農家を支えていきます。
本当に必要な食物だけを摂るよう心がけます。
そうすれば、有機的に育てられた野菜、穀物、豆類、果物などを買うための金銭的余裕が生まれますから。
大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド
ティク・ナット・ハン (著), 島田 啓介 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
お辞儀 [倫理]
たいていの人は、お辞儀というのは「相手に敬意を表する」ことと思っているが、それは第二義である。
第一義は相手を敬するということではなくて、「自らを敬す」ということである。例えば、仏典にお辞儀ということを説いて、「吾を以て汝を敬し、汝を以て吾を敬す」と言っている。つまりお辞儀をするということは「自分が相手に敬意を表すると同時に、相手を通じて自分が自分に対して敬意を表する」ことである。
鳥獣はお辞儀をするとういうことを知らない。ということは、自らその真理、価値というものを尊重することを知らない。まだ精神生活が発達していない。人間になると初めてそれが発達してきて、お互いに挨拶をする。
お辞儀をするということは、お互いに相敬するということであり、自ら他に挨拶をするということは、同時に他を通じて自己を敬すということだ。そこにお辞儀というものの厳粛な意義がある。
この頃は人間が人間味というものをなくしてきたからお辞儀をしなくなった。
知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))
P155
脚下照顧 [倫理]
四季に順応して、自身を処理する [倫理]
もし植物や家畜において四季の作用することが甚大甚深であり、かつその作用に順応しまたはこれを利用することが、有利でかつ有益であることを認めたならば、人類もまた天地の外に立ち日月の照らさざるところに居るものでない以上は、
他の動物や植物と同じく四季の作用を受けて居る道理であるから、詳しく四季の我に作用する所以を考えて、これに順応しあるいはこれを利用するのが、有理の事であり有益の事であろうではないか。
自意識の旺盛なるために一切我より出ずとなして居るのは、自己の掌を以て自己の眼を掩(おお)うて居るが如き状がありはせぬか。
人類の他物に比して優秀なるは、疑いもなくその自意識の旺盛なる点にもあるが、自意識の旺盛なるのみで一切の事が了しているのではない。
努力論
幸田 露伴 (著)
岩波書店; 改版 (2001/7/16)
P129