責任 [倫理]
自分の思いを貫く、あるいは自分の権利を主張するのであれば、そのことに伴う責任を引き受ける覚悟がいります。
自分が権利を主張した結果起こるすべてのことを自分の行為の結果生じたものである、と認める責任があります。
自分を嫌う人が現れるということも引き受けなければなりませんし、リスクを引き受ける勇気もいります。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)
P158
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
- 作者: 岸見 一郎
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1999/09/01
- メディア: 新書
到津の森公園
人から金を借りること [倫理]
敬と誠 [倫理]
時間の浪費こそ、一番の贅沢 [倫理]
自分のものであるはずの時間の十分の一を提供して、それをお上のご用に役立てよ、などと国民に要求する政府があったとしたら、たしかに過酷な政府と思えもしましょう。
ところが、怠惰というものは、わたしたちの多くの者に、はかる(住人注;誤植?)多くのものを要求するのです。
~中略~
「ものぐさは、錆と同じで、労働よりもかえって消耗を早める。一方、使っている鍵は、いつも光っている」
~中略~
「寝たいなら、墓場に入ってからで少しもおそくはない」
~中略~
「時間の浪費こそ、一番の贅沢」
~中略~
「まだまだ時間は十分」は、「いつもきまって時間の不足におわる」
フランクリン (著), 松本 慎一 (翻訳), 西川 正身 (翻訳)
フランクリン自伝
岩波書店 (1957/1/7)
P320
三徳山三仏寺とんぼ2
調身、調息、調心 [倫理]
初めはどの雲水も、それまでの生活とのギャップに戸惑い、大変苦労します。しかし、ひと月もすると別人です。背筋がしゃんと伸び、きびきびした動きが身につきます。
禅の道を極めた高僧になると、ただそこにその人がいるだけで、そばにいる私たちの心まで済んでくるような、風格と品を感じさせるようになります。日々の所作を磨き、修行に精進した結果、そのような徳のある美しさが醸(かも)し出されるんです。
姿勢を整え、呼吸を整えると、心が整う。これを禅では「調身、調息、調心」と言い、座禅の三要素としています。三者が一体となって座禅が完成し、無の境地を味わうことができるのです。
決して目立つわけではありませんが、周囲を惹(ひ)きつける魅力を持った人が時々います。そんな人は、所作も、呼吸も、もちろん心も普段から整っているはずです。
心だけを変えようとしても、人はそうそう変われるものではありません。しかし、日常の立ち居振る舞いなら、意識さえすれば簡単に変えられます。
怒らない 禅の作法
枡野 俊明 (著)
河出書房新社 (2016/4/6)
P66
貯え [倫理]
計画とは「将来への意志」である [倫理]
計画とは「将来への意志」である。将来への意志は、現在から飛躍し、無理があり、実現不可能に見えるものでなくてはならない。現在の延長線上にあり、合理的であり、実現可能な計画は、むしろ「予定」と呼ぶべきだろう。
将来への意志としての計画は、本来困難なものなのだ。困難を受け入れ、困難にいどみ、困難に打ち勝つモチーフを計画は自らのうちにもたねばならない。
計画は、個々人にとっては、自己研鑽の場をつくる高い目標を掲げ、なにがなんでもやりぬく強烈な意志の力によって、群がる障害に耐え、隘路を乗りこえる過程で、真の人間形成が行われる。艱難汝を珠にす。
そして艱難を自らに課し続ける人間のみが、不断の人間的成長を遂げる。
我に百難を与えたまえ。
計画とは、結局、自分のものであり、自分のためにある。そのことを各人が自覚したとき、計画は真の力を現わす。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P62
足るを知る [倫理]
努力は成功の必要条件 [倫理]
感情の波を静めろ [倫理]
さとりとは、煩悩や迷いがなくなった状態でなく、それらが、静められ、制せられてバランスの取れた状態のことです。テレビの画面を調整するのにも似ています。
画面が乱れると波立ちますが、それをうまく調整するように、とかく波立ちやすい私たちの感情の波をおさめるのです。ただし、波をおさめる、ということにとらわれたり、滞ってもだめなのです。なぜなら、波立ってこそ水は腐敗しないではないではありませんか。
あらしの波は舟を沈めるが、「さざなみ」のようなリズムのある波は好ましい波です。”万法空寂の波たちて”の波こそ、リズムのある「こころの波」です。
松原 泰道 (著)
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵
祥伝社 (2003/01)
P84
般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 (祥伝社黄金文庫)
- 作者: 松原 泰道
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2003/01/01
- メディア: 文庫
まず肉体上の鍛錬 [倫理]
活力旺盛となって、心身溌溂となれば、自然に大活動を生ずる。
大活動をなすについてその方法を誤れば、甚だしい過失を生ずる人となる。
そこで平生注意を払って、如何に猛進すべきかを考えておかねばならぬ。
猛進する力が正義の観念をもって鼓舞されると、非常に勢いを助長するものであるが、その正義を断行する勇気は如何にして養うかと言えば、平生より注意して、まず肉体上の鍛錬をせねばならぬ。
すなわち武術の練磨、下腹部の鍛錬は自然身体を健康にするとともに、著しく精神を陶冶し、心身の一致したる行動に熟し、自身を生じ、自ずから勇猛心を向上せしむるものである。
~中略~
すべての人の常として脳へ充血しやすく、自然、神経過敏となって、物事に動じやすくなるものであるが、下腹部に力を籠める習慣を生ずれば、心寛く体胖(ゆた)かなる人となりて、沈着の風を生じ、勇気ある人となるのである。
「立志と学問」
渋沢栄一 (著)
論語と算盤
角川学芸出版 (2008/10/25)
PP82
信頼がなければ国家は立ってゆかない [倫理]
三たび復(かへ)して後に云へ [倫理]
古へに三たび復(かへ)して後に云へと。
云ふ心は、凡そものを云はんとする時も、事を行ぜんとする時も、必ずみたび復さ付して後に言行すべしとなり。
先儒のおもはくは、三度び思ひかへりみるに三度びながら善ならば云ひ行なへと云ふなり。
~中略~
我が思ふことも言ふこともあしきことあるべき故に、まづ仏道に合ふや否やとかえりみ、自他の為に益ありやいなやと能々(よくよく)思ひかえりみて後に、善なるべくんば行ひもし言ひもすべきなり。
行者若しかくのごとく心を守らば、一期仏意に背かざるべし。
永平寺の開祖道元(1200‐53)が洛南に道場を開いた時、その学風を慕って参じた懐奘(1198‐1280)が、日々に聞く師の言葉を記録したもの。勉学の心得はもとより宗教について死生について等々、人生の根源にかかわる問題が易しく述べられている。忠実な記者の態度を貫いた懐奘の筆によって、道元その人の言葉がよく伝えられているという。
懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P94
積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり [倫理]
自分は賢いと思って不善(善に背く)道に落ち込んでしまったら、その家にやがて禍がやってくるのに、そのことに気づかない。悲しいことだ。
「易経」(周易上経(しゅうえきじょうきょう)・坤附文言伝(こんふぶんげんでん))に「善行を積み重ねた家では、その禍福の余沢(よたく)が必ず子孫に及ぶし、不善を積み重ねた家では、その災禍が必ず子孫に及ぶ。臣下の身でありながら主君を殺したり、子でありながら親を殺したりするような大それた行いは、決して一朝一夕に起こるわけではないのだ」
(積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり。積不善(せきふぜん)の家には必ず余殃(よおう)あり。臣にしてその君を弑(しい)し、子にしてその父を弑するは、一朝一夕の故(こと)に非(あら)ず)とある。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P146
恥を知る心 [倫理]
平静の心を養え [倫理]
第一は、今日の仕事を精一杯やり、明日のことを思い患うな。
第二は、力の及ぶ限り、同僚や自分のケアする患者に、黄金律を実行すること、すなわち、己の欲するところを人に施せという新約聖書の言葉の実践であり、
第三は、たとえ成功しても謙虚な気持ちを持ち、慢心することなく友達の愛情を受けることができ、悲しみの日が訪れたときには人間に相応しい勇気を持って事に当たることができるような、そういう平静の心を培うことが大切である。
(William Osler,1983.[日野原・仁木訳、1983]
医師のためのパフォーマンス学入門 ―患者の信頼を得るコミュニケーションの極意―
佐藤綾子 (著), 日経メディカル (編集)
日経BP社 (2011/12/15)
P58
慎みの心 [倫理]
あなたは生来の短気者だという。しかし、生まれつき短気ということはありえない。
あなたが好き勝手に行動するから、そうなっただけのこと。
あなただって貴人を前に出たら、勝手気ままにふるまえるものではなかろう。短気に走る行動は、本人に慎み改めようという気さえあれば、直らないことはないはずだ。
以前、奉公人に手を出したとき、その男は怒ったり怨んだりする態度は見せなかったのではないか。
内心で激しく怨み、怒ってはいても、相手が主人なので耐え忍んでいたのだ。縁もゆかりもない他人がその男を殴りつけたとしたら、あなたに対したときのように、じっと耐え忍ぶだろうか。間違いなく向かっていくはず。しかし、相手が主人だったから刃向うことを慎んだのだ。
このことをよく考えないといけない。慎むことで直らないものは何もない。ましてや、その慎みの心を父母に向けないようでは畜生と何ら変わらない。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P106
出足を早く、引き足を早く [倫理]
なかなか手をつけない、またいつまでも終わらない。
それは、心に不平と不満、そして不安があるからだ。
「早く始めて、さっと終わる」習慣を身につければ、
頭の中はスッキリして、身も心も明るくなる。
丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P20
文部科学省生涯学習政策局認可の社会教育団体で、全国に五十万人を超える会員をもつ団体、社団法人倫理研究所。その創始者である丸山敏雄が唱えた、生活の法則と幸せの法則、彼の人と生涯、思考・美学・感性などをまとめる。
邦に道なきとき、富且つ貴きは恥なり [倫理]
一三 子曰わく、篤く信じて学を好み、死にいたるまで守りて道を善くす。
危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道あるときは即ち見(あら)われ、道なきときは即ち隠る。
邦(くに)に道あるとき、貧しく且つ賤しきは恥なり。邦に道なきとき、富且つ貴きは恥なり。
~中略~
先生がいわれた。
「かたい信念をもって学問を愛し、死にいたるまで守りつづけて道をほめたたえる。危機をのぞんだ国家には入国せず、内乱のある国家には長く滞在しない。
天下に道義が行われる太平の世には、表にたって活動するが、道義の失われる乱世には裏に隠れる。
道義が行われる国家において、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。道義が行われない国家において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである」
泰伯篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P223
挨拶 [倫理]
挨拶とは、ことばでありマナーである。だが、その源は心ばえである。心がからっぽじゃ、ことばも、ことばを添えるマナーもない。
だから、挨拶が入り用なときは、その事柄へ心こまやかにするのが先決で、自然にことばは心に引っぱられて出てくる、とわたくしは思う。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P148
六時心戒(りくじしんかい) [倫理]
過ちて改めざる、是を過ちと謂う [倫理]
四戒 [倫理]
努力した人に幸せはやってくる [倫理]
P22 人間は勘違いしてしまって、努力しないでも幸せがやってくると思ってしまうんですが、そんなことはありえない。
だから、二十一世紀にいくら幸せな世界がやってくるといっても、努力しない人にはやってこないわけですね。
努力した人にはじめて神の幸せというのはやってくる。とくに今の日本人は努力しないで幸せを得ようととするところに、とんでもない間違いがあるんですね。
すべて努力です。
P23
病気になったらお医者さんが治してくれるとみんな思うでしょう。
治るわけがない。
自分で治ろうと努力しない人は、いくら医学でやろうと治らない。ただ医者は助けるだけです。
自分で直そうと努力しない人は、永久に病気は治らないし、残念ですが死んでゆくだけの話です。
葉室 頼昭 (著)
神道 見えないものの力
春秋社 (1999/11)
年をとるということ [倫理]
そこで年をとるというは、いったいどんなことを意味するか。昨年はかくかくのことがあったが、今年はそれがなくなった。 ~中略~ 昨年は人をうらやむ癖があったが、今年はそれがやんだというように、
自分の決心と実行とが両々相伴って、より以上の向上発展が実現されたならば、それこそ真の年を取ったのである。
暦を繰り返したからとて、必ずしも老年というのではない。
して、この意味で年を取るのは、いたずらに馬齢を加うると違って、星霜を経れば経るほど精神が若返り、それこそ老いてますます盛んになり、老衰はしないで、成熟する。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
P41
時間厳守 [倫理]
偏界かつて蔵(かく)さず [倫理]
気づいた時 [倫理]
気づいた時ーそれはその事を処理する最高のチャンスである。
それをのばせば、次第に条件が悪くなる。
事情の最も高潮に達した時、その波動(うごき)が、人の脳に伝わって気がつくようになっている。
「万人幸福の栞」より
丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P11