「他力」こそ「自力」の母である。 [宗教]
泣きたい時には泣け [人生]
自然と向き合う [社会]
危険なバブルの見分け方 [ものの見方、考え方]
教育の受益者は本人ではなく、社会全体 [教育]
かの国(住人注;アメリカ)は基本的に「自助の精神」を重んじる国です。アメリカ社会における理想的な人格とは「self-made mann」です。
他人に依存せず、誰からも支援されず、独力で地位も、財産も、威信もすべて築き上げた人間を敬する伝統があるわけです。「開拓者の国」ですから。 ですから、この国では「弱者の支援」というアイディアがほんとうの意味で根づいたことはないのかも知れません。
例えば、アメリカ教育史上の大問題は、公教育の導入に多くの市民が反対したことです。
公教育の理念自体はコンドルやルソーなど、一八世紀のフランスでできたものですが、行政的に公教育が導入されたのはアメリカが最初です。
アメリカは公教育の先進国なのです。ただ、この公教育制度に対して、つまり「税金を使ってすべての子どもたちに初等中等教育を施す」という仕組みに猛然と反対した市民たちがいた。
彼らは教育の受益者は「教育を受ける本人」であると考えた。子どもたちが学校に通い、そこでしかるべき教育を受けて、有用な知識や情報や技術を身につけて、資格や免許をとり、社会的上昇を果たすとするならば、教育の受益者は子どもたち自身だということになる。
だとすれば「受益者負担」の原則を適用して、教育経費は受益者たる子どもたち自身が、あるいはその扶養者である親が負担すべきではないのか、そこにわれわれの納めた税金を投じるのはアンフェアである、そう言って反対する人たちが出現してきた。これは反論のむずかしいロジックでした。彼らはたしかに刻苦勉励して税金が払えるような身の上になった。だから、自分の子どもたちにそれなりの教育を与えることができるようになった。
けれども、自分ほども努力していないし、才能もない貧乏人たちの子弟のためになぜ教育機会を提供しなければならないのか、その理由がわからない。彼らが教育を受けて、それなりの社会的能力を獲得すれば、自分の子どもたちとポストをめぐって競合することにもなりかねない。 なぜ、自分の懐を痛めてまで他人の子どもに自分の子どもに自分の子どもを蹴落とすチャンスを提供しなければならないのか。
教育の受益者は教育を受ける本人である。それなら、教育を受けたいものはまず働いて、金を貯めて、それを自己投資すべきである。~中略~
それでも公教育が実現したのは、公教育論者たちが納税者たちを「短期的には損だが、長期的にはお得」という利益誘導のロジックを用いて説得したからです。~中略~ どう転んでも、こどもたちに教育を施したほうが長期的に見れば「金になる」んです。そういうふうに説得した。
でも、僕は今でも、こういう経済合理性のロジックで公教育の導入に成功したという歴史的事実そのものがアメリカの根本にある種の「ねじれ」を呼び込んだのではないかと思います。
「学校教育」というのは、それで誰かが「金を儲ける」ことができるから有用であるというような理屈で基礎づけてはならないものだからです。
学校教育の受益者は教育を受ける子どもたちではありません。誤解の多いことなので、繰り返し強調しますが、学校教育の受益者は本人ではなく、社会全体なのです。
われわれが学校教育を行う理由は、一言で言えば、われわれ共同体を維持するためです。集団として生き残るためです。次代の共同体を支えることのできる成熟した市民を育成するためです。自余のことは副次的なことにすぎません。
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P316
自己決定権と自己責任 [日本(人)]
養老 医者の場合は、告知した方が楽に決まってるんですよ、当然。医療訴訟が起こりにくくなるし、いわゆるインフォームドコンセントですから治療がやりやすい。
あなたはガンですからこうこうこういうことをするんですよって言えるでしょう。それ、以前はどうやっていたかっていうと、有名な話があるんです。
旦那さんがガンで、告知はしていない。それでその患者さんと奥さんを前にして、放射線科の医者が、ガンだって言えねえから、しょうがない、苦し紛れに適当な理由つけて、放射線の治療をしますとインフォームしたわけです。
そしたら、奥さんのほうが「先生、放射線治療をするってことは、主人は本当はガンじゃないですか」って。
で、患者である旦那さんのほうが、「お前、先生に向かってそんなこと言うもんじゃない」。
これが古き良き日本だったんですよ。それが通じない世界になったでしょう。通じない振りをするというか。
これ、非常に難しい問題になっていますよ。先生にお任せしますという態度には裏表ありまして、すごんでる場合も有り得るわけです。
うまくいかなかったらただじゃおかねえぞっていう。極端に言えばね。
養老 孟司 (著) 玄侑 宗久 (著)
脳と魂
筑摩書房 (2007/05)
P185
震災と浄土教 [宗教]
宮崎 これは何の実証的な裏付けもない与太話ですが、この震災を経験して、浄土教の成立機序を理解できたような気がしました。まったく文献的根拠はありませんから、理屈の上で自分が納得できた、というだけのお話ですが・・・・。
本来仏教は自力聖道門で、実戦的にも理論的にも完結していたと思います。善因楽果、悪因苦果、個々の行業とそれに応じて各々が受ける果報の因果律。そして、それを超越する悟りというシンプルな体系から始まり、少しずつ複雑化、緻密化していった。
ところが因果線をいかに複数化し、それでも足らずに因果的縁起を相依相待の縁起に展開してみても、なお説明できない重大な問題が残った。
それが大災害や戦乱、飢餓や伝染病などによる大量死です。その死者のなかには、善人もいれば、凡夫もいれば、悪人もいたに違いない。侍もおれば遊女もおったに相違ない。僧侶も貴人も百姓も役人も盗賊もいたろう。それなのに皆等しく、無差別に、文字通り「非業の死」を遂げてしまう。
この場面では仏教の伝統的な業報観は成り立ちません。
かかる事態に対処すべく、各私の行業の如何を問わず、阿弥陀如来の本願に乗じて等しく救われるという信仰が生まれ、同時に「万人が悪人」という思想が生まれた。そうでなくては天災、戦、飢餓、疫病などによる厖大な死者を一挙に救済することができなかったからです。
林田(住人注;林田康順) そうかもしれないですね。ちょうど法然上人がメジャーデビューを果たす大原問答の前年に、鴨長明が「方丈記」の中でおおきく取り上げた元歴大地震(元歴二<一一八五>年七月九日)が起こり甚大な被害が京周辺を襲います。
宮崎 浄土信仰が生まれ、拡がり、根付いた土地や時代には、おそらく大量死を伴う惨事が相次いでいたのではないかと思います。そういう意味では、浄土教は、従来の伝統的な仏教の限界をブレーク・スルーした、と言えると思うのです。
宮崎哲弥 仏教教理問答
宮崎哲弥 (著)
サンガ (2011/12/22)
P243
震災に際し、重要な視点 [社会]
第一に、一人ひとりが能動的に考え、行動すること。未曾有の事態に、マニュアルはない。
一人ひとりが、なにが大切か、なにができるか、自らの頭で考え、行動することが大切だと思う。
第二に、日々の、日常の生活を大切にすることである。
~中略~
最後に、最も重要なのは、共感だと思う。現場から私がメールを送り続けた、経験豊かな先生からは「なにもできませんが、すこしだけでも、共感を通して重荷を背負うことができました」というメールをもらった。
そしてその気持ちは、被災者の方々にも伝わるはずだと信じている。
医療支援はどう始まったか──岩手県からの報告
山本太郎 (長崎大学熱帯医学研究所)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P223
足立美術館 1
豊かさ [社会]
友人たちに冗談で言ったことはある。-大震災でもあればオール電化生活は破綻する。だから半分は昔ながらの生活スタイルを維持しておいた方がいい―。
~中略~
翌朝、水道は使い物にならなかった。車に大鍋、やかん、ポリ容器など、ありったけのものを積んで出発した。
~中略~
雑木林のふもとに一軒家が見えた。煙突から白い煙が立ちのぼっている。薪ストーブの煙だ。一軒家の前に、樹齢千年と言われれば思わず信じ込んでしまいそうな桂の巨木がそびえ立っている。
秋には燃えるような黄金色の葉群があたりを圧倒する。その根元から清水が湧き出ているのだ。
一軒家の中川さん宅の薪小屋に積まれている薪の量は半端ではない。働き者の家だ。
戸口を開け、大声で、「神様の水をもらいにきた」と叫ぶ。すると、中川のおばさんが居間からふくよかな顔をみせた。
「 久しぶりだこと。山が揺れたから、少しは砂が混じっているかもしれねえよ」
幸ひ思ひ出立申すべし
簾内敬司 (作家)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P232
地震は政治も動かす [雑学]
地震は大地だけでなく政治も動かす。教科書にはない真実を書いておく。豊臣政権の崩壊は、実は伏見地震が引き金になっている。自身のせいだけではないが、地震後のかじ取りのまずさで豊臣家は滅亡した。
地震時、豊臣政権下の大名たちは朝鮮出兵で疲れ、困窮して、不満をつのらせていた。このままでは甥のかんぱく秀次に政治の求心力が移る。秀吉と三成はそれを警戒した。
先手を打って、秀次とその妻子側近をまるごと処刑。それで家族を殺された大名が続出。多くの大名たちが朝鮮出兵の不満とあいまって、秀吉・三成に怨みの目を向けた。
そこへ伏見地震がきた。ところが、秀吉は地震で崩れた自分の居城=伏見城をもっと豪華に再建せよ、同時に朝鮮に再度攻め込めと命じた。
豊臣から徳川へ心が移りはじめたきっかけは地震であった。
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P31
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)
- 作者: 磯田 道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 新書
現代版流言飛語のシステム [社会]
一九二三年九月一日、相模湾を震源とするM七・九の地震に襲われ東京は灰燼と化した。関東大震災である。
~中略~
NHKのラジオ放送が始まったのは一九二五年であり、国民の情報源は専ら新聞であった。多少誇張した噂話が「朝鮮人と社会主義者の諜略と暴動」という流言飛語となって増幅され、被災者の恐怖心を煽り、とんでもない惨劇を生んだ。
~中略~
芥川龍之介は「中央公論」一九二三年一〇月号に「大震雑記」と題して寄稿し次のように述べた。
「僕の所見によれば、善良なる市民というものは、ボルシェヴィッキと○○○(伏字で挑戦人の意)との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信ぜられぬ場合は少なくとも信じているらしい顔つきを装わねばならぬものである」
彼らしい歪曲な言い回しだが、異様な時代の空気を伝えている。
今日メディア環境は激変し、活字媒体に加え電波メディア、さらに際立った特色として一億台を超すまでに普及した携帯電話とツイッターなど、ネットワーク情報技術の進化がある。
安否確認から事態の展望まで驚くほどの情報がネットを駆け巡る。しかも国境を越えて。
これが現代版流言飛語のシステムともなる。
脳力のレッスン 109
緊急編 東日本大震災の衝撃を受け止めて──近代主義者の覚悟
寺島実郎
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P78
文明と災害 [ものの見方、考え方]
寺田寅彦は、「文明が進めば進むほど天然の猛威による災害が、その激烈の度を増す」
(「天災と国防」昭和九年一一月、「寺田寅彦全集第7巻」所収、岩波書店)
と書いている。文明の進展とともに世の中が一様化され集約化されるから、天災による一つの部分の破綻が全体に対して致命的となるということを指摘したのだ。
この七七年前の言葉が不幸にも現代日本において的中してしまった。
この間、さらに科学・技術が発展し、高層建築、巨大ダム、高速道路、高速列車など、寺田寅彦の時代とは様変わりし、天災に対してより脆弱な社会構造としてきた。
科学・技術にによって自然が克服できると錯覚し、科学者・技術者はせっせと自然改造に勤しみ、人々もそれを歓迎して欲望を膨らませていったためだ。
同文章で、寺田が「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた」と書いている通りである。
無限の繁栄が続くと誤認して。
専門家の社会的責任
池内 了 (名古屋大学名誉教授)
世界 2011年 05月号
岩波書店; 月刊版 (2011/4/8)
P54
今が幸せ [ものの見方、考え方]
それまでの私は、時間管理が下手でやたらと詰め込みすぎてしまうところがあり、「今は大変だけれども将来は楽になる」とか、「今頑張れば、次はきっといいことがある」「先の幸せのために今を犠牲にして我慢する」という考え方でずっと過ごしてきたんです。
けれども、今を頑張って耐え忍び苦しみを生き抜いたとして、その先の楽しみがあるかというと、そこはまた、新たな試練、苦しみが待ち受けているだけなんですよ。
ということは、自分の幸せや楽しみはいくら先送りしても、結局、そこに辿り着けないわけですよね。
だとしたら、幸せを先送りするのではなく「今」を大切にし、「今が幸せ」と感じられるような生き方こそが、効率とは異なるもうひとつの時間の価値なのではないか。そう考えるようになったのです。
“司法試験流” 知的生産術
伊藤 真 (その他), 野田 稔 (その他)
NHK出版 (2012/1/25)
P66
“司法試験流” 知的生産術 2012年2月 (仕事学のすすめ)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/01/25
- メディア: ムック
藤松小学校運動会
山人の文化 [日本(人)]
日本の仏教を語るとき、聖徳太子の次になぜ役小角がくるのか。私の考えを語ろう。
私は日本の基層文化を縄文文化とし、日本という国家は、渡来した弥生族が土着の縄文人を征服してつくった国家であると考える。
この弥生人である最終的な日本の征服者が、いわば皇室の祖先にあたる天孫族である。
~中略~
弥生人が平地を占領して国をつくったとしたならば、土着の縄文人はどこへ逃げるか。それは当然山である。
若き柳田國男が「遠野物語」で描いた、里人を驚嘆せしめる山人の文化はこのような山に逃げた縄文人の文化とみてよい。
~中略~
役小角のように、山人は縄文時代から脈々と伝わる呪術に長じ、また新しい呪術である道教や仏教をとり入れ、里人がとうていもつことのできない呪力をもっていたのであろう。
梅原猛、日本仏教をゆく
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2004/7/16)
P27
あんたにオレの苦しみがわかってたまるか! [ものの見方、考え方]
リエゾンでがんの終末期患者の枕元を訪れたときに、
「あんたみたいに健康な奴に、オレの苦しみや恐怖がわかってたまるか!」
と怒鳴られたとしたら、わたしは答えるだろう。
「おっしゃる通りです。わたしは健康ですし、あなたではないのだからあなたの苦しみを体験することなどできません。ただし、自分なりに過去のつらい経験をもとにあなたの気持ちを類推しようと努めていますし、もしわたしがあなたと同じくらい苦しんでいたら、知恵を出す余裕もなくなってしまうでしょう。
今のわたしは、あなたよりも苦痛が軽くなくては使命を果たせないのです」
偏狭な経験主義に屈する必要などないのである。
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
P012
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
- 作者: 春日 武彦
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
茶 [雑学]
十六世紀の末に、オランダ人が、快適な飲料が東洋のある灌木の葉から作られるという情報をもたらした。
~中略~ この一六一〇年という年に、オランダ東インド会社の船がヨーロッパに最初に茶をもたらした。それは一六三六年にフランスで知られるようになり、一六三八年にはロシアに達した。
英国は一六五〇年にこれを歓迎して、「かの素晴らしき、かつあらゆる医師の推奨せる中国飲料、中国人はチャと呼び、他国人はテイまたはテーと呼ぶ」と語った。
この世のあらゆる良いものと同様に、茶の宣伝も反対にでくわした。~中略~ 当初は茶は高価(一ポンドにつき約一五、六シリング)のため一般の消費するところとならず、「饗応と歓待の王室御用品、王侯貴族むけの贈物」であった。こういう欠点にもかかわらず、喫茶は驚くほど急速にひろまった。
十八世紀の前半になると、ロンドンのコーヒー店は事実上喫茶店となり、アディソンやスティールのような文士、通人の溜まり場になり、彼らは茶を飲んで退屈をまぎらわした。
この飲料はやがて生活必需品―課税対象となった。これに関連して茶が近代の歴史に演じた重要な役割が思いだされる。植民地アメリカは本国の圧迫に言いなり放題になっていたが、茶に重税が課されるや、ついに人間としての忍耐の限度に達した。アメリカの独立はボストン湾に茶箱を投げ捨てた日にはじまる。
茶の本
岡倉 天心 (著),桶谷 秀昭 (翻訳)
講談社 (1994/8/10)
P20
新約聖書は哲学というより文学 [宗教]
キリスト教に限らず、宗教と呼ばれるほどのものはほとんど例外なく、世のはじまりについての神話をもっているが、そのはじまりに創造の主体として明確に神が登場し、創造ののちも、その神の世界支配がくりかえし強調されるという点で、旧約キリスト教はとびぬけて体系的といえる宗教思想だった。
世界の中心にゆるぎなく位置を占め、世界の隅々にまでにらみをきかせる神ヤハウェの存在が、体系的思考をささえる核となっていた。
くらべていえば、「新約聖書」のイエス・キリストは体系的思考の核にはなりにくい。イエスを神の子と考えようと、人の子と考えようと、そこから世界のすべてが流れてくるその中心としてイエスをイメージするのはむずかしい。この世に人間として生まれ、一人の人間として多くの人びとと交わり、随所で人の心を打つ愛と人格性と思想性を発揮しつつ、受難のうちに短い一生をおえた人物というイメージが強すぎるのだ。~中略~
パスカルの「パンセ」のように、ありのままのイエス・キリストに近づこうとした思想の書もないではないが、その真情あふれるキリスト論は、やはり、哲学的というより、文学的というにふさわしい文章だと言わねばならないように思う。
だから、イエスを哲学的に扱おうとする人びとは、「父なる神―子なる神―聖霊」の三位一体論へと傾いていく。
新しいヘーゲル
長谷川 宏(著)
講談社 (1997/5/20)
P73
脳梗塞は血圧の低いときに起こる [医学]
脳梗塞は高血圧が原因といわれるが、そうではない。むしろ、血圧の低いときに起こる疾患である。
脳の血管が詰まりかけたとき、体は懸命に血流を勢いよくし、血のかたまりを吹き飛ばそうとする。血圧を上げて、脳を守ろうとしているのだ。
「高血圧だから、脳梗塞になった」のではなく、「脳梗塞だから、血圧を上げて治そうとしている」のだ。原因と結果を取り違えているのである。
このとき、血流が弱く、血のかたまりを押し流すことができなければ、簡単に脳梗塞になってしまうだろう。これは少し考えれば、わかることである。
薬で血圧を下げることは、命取りなのだ。「脳梗塞は(降圧剤を処方した)医師によって作られる」と言っても過言でない。
東海大学医学部名誉教授・大櫛陽一氏の研究によれば、
「降圧剤を飲んでいる人は、飲んでいない人に比べて脳梗塞の発症率が2倍になる」という。
~中略~
実は、戦後1950年代までは、脳卒中のうち、約90%が「脳溢血」だった。時代を下るにつれ、脳溢血は減り、脳梗塞が増える。70年代に入ると逆転し、90年代に入ってからは、脳溢血が10~20%で横ばい、脳梗塞は80~90%で90年代半ばから急に増加している。
なぜ昔は、これほど脳溢血が多かったのか?
それは戦後の日本は、非常に栄養状態が悪かったからである。~中略~
血管がもろいうえに、強い肉体ストレスが加わって、たやすく血管が破れていたのである。そのため、脳溢血が多発していたのだ。
こうして、「高血圧=脳卒中で倒れる」というイメージが医者や国民の間に広まったのである。
高血圧はほっとくのが一番
松本 光正 (著)
講談社 (2014/4/22)
P53
まぜずし [雑学]
五年に一度は脳の塵払い [人生]
神聖な知識欲と適切な予備訓練を受けた学究的開業医に刺激を与え、その教育を持続させるには、少なくとも三つのものが必要である。手帳(a notebook)、書斎(a library)、そして五年目ごとに行う脳の塵払い(a quinquennial braindusting)である。
平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P368
国会 [社会]
民主主義制度のもとでは、法律を作るのは、国王でも、大統領でも、総理大臣でもなく、国民自身なのである。そこでは、国王でも、大統領でも、総理大臣でも、その他いかなる公務をつかさどっている人々でも、国民の作った法律には従わなければならない。
ただ、国民が直接に法律を作る代わりに、それを国民の代表者たる国会に任せるのである。国会の仕事がいかにたいせつなものであるか、有能で忠実な国会議員を選ぶことが国民にとってどんなに重要であるかは、これによってよくわかるであろう。~中略~
今日の国家の法律は非常に複雑な発達を遂げている。したがって、よい法律を作るためには、専門の知識がいるし、よくよく利害得失を考えてかからなければならない。
それを、法律についてはしろうとが多い国民が決めるということになると、かならずよい結果が得られるというわけにはいかない。まして、国民が、いいかげんな判断や、物好きな気持ちなどで投票をすれば、せっかく苦労してできたよい法律案が否決されてしまうということにもなる。
それに、何千万というような人口を有する国家で、一々の法律案を国民に示し、国民の投票によって可否を決するということは、たいへんな手数と暇とがかかる。そこで、実際には、高い見識と深い経験とを持った人々を集めて国会を組織し、法律の制定は国会に任せて、国民は国会議員を選挙するにとどめておく方が、かえってぐあいがよいということになる。
それが代表民主主義であって、今日の大部分の民主国家では、この方法が制度として採用されている。
民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P88
金毘羅大権現 [雑学]
世界に冠絶する美の国になったか [日本(人)]
敗戦の悲傷は、厳然と残った(住人注;戦火を免れた大和の古寺の)伽藍(がらん)に却(かえ)って痛ましいものを感じるのではなかろうか。祖宗の霊は安らかに眠ることはできない。
国民の道義はすたれ、信仰の日は去ろうとしている。神々の黄昏(たそがれ)が来て、ただ無信仰の眼に好奇的にさらされるであろう悄然(しょうぜん)たる古寺の姿を僕は想像するのである。
戦争は終わった。斑鳩の地をはじめ大和一帯は、やがて観光地として世界の客人を招くであろう。観光地としての再生―僕らはかかる再生を喜んでいいのか、悲しむべきであるか。
~中略~
また異邦人の客人に劣らず札びらを切って豪遊するのも無風流なことだ。観光地としてではなく、聖地としての再生―これこそ僕らの念願ではなかったろうか。観光地として繁栄する平和の日などは軽蔑(けいべつ)しよう。
日本を世界に冠絶する美の国、信仰の国たらしめたい。そのためにはどんな峻厳(しゅんげん)な精神の訓練にも堪えねばならぬと僕は思っている。一切を失った今、これだけが僕らの希望であり、生きる道となった。そういう厳しい心と、それに伴う生々した表情を古都にみなぎらすことが大事だ。
かかる再生が日本人に可能かどうか、大なる希望と深い危惧(きぐ)の念をもって僕はいまの祖国を眺める。
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P41
戦国時代の僧の役割 [雑学]
「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、禅は気合いの仏法である。 (住人注;戦国大名は)子ども時代に禅寺で修行し、気持ちを高める漢詩や漢文を学ぶことは、戦でもっとも重要な決断力を養うのに大いに役立ったのである。 それに領内の治世や外交にも、禅僧をはじめとする僧の力が必要だった。 僧は文書の作成に長けていただけでなく、その師弟関係を軸とする人脈は大名の領国を越えて広がっていた。そのため、さまざまな交渉を僧が引き受けた。 豊臣秀吉の毛利攻めのときも、毛利方の交渉役は安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という臨済僧で、のちに秀吉によって僧のまま大名に取り立てられた。 そのほか、徳川家康が幕府を開いたときも、臨済僧の金地院崇伝(こんちいんすうでん)、天台僧の天海(てんかい)の二人が黒衣(こくえ)の宰相、すなわち僧服を着た政治顧問として幕府の体制をつくりあげたのだった。 ~中略~
仏像探訪 (エイムック 2124)
エイ出版社 (2011/2/17)
P13
幕府という政体 [雑学]
「水師提督(クーパーのこと)の申されることはよくわかった。しかしわが藩がおこなった攘夷(住人注;下関戦争
)はわが藩の意志でおこなったものではない。朝廷と幕府の命令でおこなったのだ。
わが藩は単に鉄砲に過ぎない。射手は幕府である。その三百万ドルは、幕府が支払うべきものである。
晋作がいうことに一理あることは、日本政府の政情にあかるいサトーにはわかっている。
~中略~
しかも、(住人注;サトーが晋作を評して)魔王らは用意のいいことに、朝廷と幕府の攘夷命令書をちゃんともってきていて副使の渡辺という者がそれを卓上に置いた。
「よかろう、償金の件は幕府に交渉する」
と、クーパーがあっさりいったのは、幕府なら取はぐれがないとみたのである。
幕府はこれをいやとは言えないということは、英国人たちはよく知っていた。この日本国の政府というのは奇妙な体制で、じつは徳川家という「家」なのである。
徳川将軍は中国やヨーロッパのような皇帝ではないということは、サトーの洞察によって英国だけはそう解釈をしていた(これとは逆にフランスはあくまでも徳川将軍をその崩壊まで皇帝と見ており、この政体解釈の差が、対日外交における英国の勝利―フランスに対して―をもたらした。
~中略~
「それは長州藩がやったことで、幕府にはなんの責任もない」 といってしまえば、長州藩は独立国家であることになり、またその解釈をひろげれば三百諸侯はみな独立国家であるということになって、幕府は日本唯一の正式政権であるという大きな建前がくずれてしまう。
世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)
P217
唐戸市場
親や教育者の仕事 [教育]
そもそも、受験や卒論は自分に対して徹底的に負荷をかける行為です。ある程度の負荷は成長に欠かせないものでもあり、それ自体悪いとは思いません。高校生や大学生にもなれば、自ら望んで負荷をかけていくものです。
しかし、傍で見ていて「これ以上は難しいな」と判断したら、その負荷を外してやらねばなりません。
これは、親や教育者の仕事でしょう。
畑村洋太郎
40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2010/7/23)
P187
40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/07/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
嘉麻市立織田廣喜美術館
茶道 [雑学]
ユタ [言葉]
身内に別れて寂しい不幸の日を送った者は言うにおよばず、富栄えて眷属の多い人々でも、田舎では、つれづれなる夜の物語などに、この世の始めとわが家の始めを、もっと精彩に知らねばならぬと、考える折りが多かったことと思う、しこうしてこの要求に対しては、村々には物知りと称する女性がいた。
物知りは沖縄の方では、ユタと呼ぶのがふつうである。
大島加計呂麻などでは正神、またホゾンカナシとも言っていた、本尊と頼む神仏の力によって、ただの人の目には見えぬ者を見る。
ゆえにその言うことが信ぜられた。今まで不明であった高祖の名でも事業でも、これに聞けばたちまち闇の園の灯火であった。
海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P62
淡路 [雑学]
淡路というのはむろん、日本の他の地域と同様、弥生式農耕が入って、銅鐸などもかなり出ている。その後古墳時代に入ってからは、漁民こそこの国の代表のように「日本書紀」などに登場する。しかし、広大な耕地をもつ古代土豪がいたのかどうか、この島における前記古墳や中期古墳の存在がまだあきあらかでないため、よくわからない。
そのくせ、この島は伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)神話で知られるように、古代国家の誕生神話のなかでも主流をなす伝承をもっている。この男女紳はまずははじめにおのころ島を生んだ。
おのころ島は、神話だからそれがどこということもないが、淡路島の属島である沼(ぬ)島であるといわれたり、淡路島そのものだともいわれたりする。
この神話は元来、ふるくから淡路島にあったものを畿内政権がとり入れたものかとも思える。
そのことはどうでもいいが、この両神の国生み神話が天皇家の神話の最も重要な話の筋に組み入れられているということは、淡路には大阪湾沿岸の権力(大和をふくめて)が古くから及んでいて、古墳時代がはじまっても、この島に大土豪を成立させなかったのかもしれない。古代天皇家そのものが、淡路を直轄領とする大豪族だったのである。
また淡路島は、さきの「日本書紀」の「応神紀」にもあるように、「海人部(あまべ)」とともに「山守部(やまもりべ)」も置かれた。山守部は山林に入ってしごとをする人である。猟もする。これも王朝直属の民である。山守部には木材だけでなくシカやイノシシも獲って送り出す義務があったのであろう。淡路島の古代は、海彦も山彦も、そして農耕者も、古代王朝を食べさせてやってきたことになる。
この島が、神話で優遇されたり、また島ひとつで一国という礼遇をうけたことも、多少はこういう有難味から出たものではなかったか。
街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P125
自己認識能力 [言葉]
「自分を知る」という能力のことを「自己認識能力」といいます。 ~中略~ 自己認識能力には、「自己内省力」と「自己客観力」という二つの要素があります。 ~中略~ 自己内省力とは、自分の内面と向き合い、内なる自分を掘り下げる力。~中略~ そのような「自分の現状整理」も、まさに自己内省の作業です。 自己客観力とは、自分という人間を客観的に見る力。「自分を客観的に見るとは、周りの他人から自分はどのように見られているのか、どうあるべきだと思われているのかを常に考えるということです。それは、社会の中での自分の「立ち位置」を正しく認識することにもつながります。
メンタルトレーニング実践講座
田中ウルヴェ京 (著)
PHP研究所 (2009/7/18)
P51