成功体験を見せてもらおう [教育]
子供が親孝行しないのは親の責任 [教育]
孝行は親がさしてくれて初めて子が出来るもので
子が孝するのでは無く、親が子に孝をさせるのである。
「論語と算盤」教育と情諠
渋澤 健 (著)
巨人・渋沢栄一の「富を築く100の教え」
講談社 (2007/4/19)
P138
狗留孫山修禅寺3
愚直に、地道に、徹底的に [教育]
「教育」は、知らないことを教える。
「訓練」は、知っていることを繰り返し練習させ、カラダで覚えさせることをいう。
訓練するためには、教育する人自身が率先垂範することが求められる。でないと、「口先ばかりでなにをやってるんだ」となってしまう。
改善活動を一時的に持ち込む「教育」は容易だが、風土と呼べるところまで定着させるには「訓練」によらなければならない。
あきらめたり投げ出したりせず、「愚直に、地道に、徹底的に」訓練するのは、執念の問題だ。
若松 義人 (著)
貧乏トヨタの改善実行術 カネがないなら知恵を出せ
大和書房 (2007/03)
P271
貧乏トヨタの改善実行術 カネがないなら知恵を出せ (だいわ文庫)
- 作者: 若松 義人
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2021/04/26
- メディア: 文庫
努力の堆積が天才を生む [教育]
答えは相手の中にある [教育]
コーチの大前提は「すべての答と能力は、その人の内側にすでにある」というものです。
コーチングが人を活かす
鈴木 義幸 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2013/3/1)
P83
プレッシャーが人を育てる [教育]
[第百五十段] 芸能を身につけようとする人が、よくできないうちは、なまじっか人に知られまい、内々でよく習得してから、人前にも出るのが、奥ゆかしいというものだと、一般に思っているようだが、こういうような人は、一つの芸も習得できない。
~後略
徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P263
学びたいか、学びたくないかを決めるのは当人の心です [教育]
モンゴロイド流子育て [教育]
いちばん言いたかったことは、とにかく、ヒト社会全体でもそうですけれど、なかでもモンゴロイドは子どもを長くていねいに育てるのが特徴なんだ、ということです。
ヒトは本来、ネオテニー化した未熟なサルであり、モンゴロイドはその戦略をさらに進めた。
未熟だからこそ、いつまでも脳が柔らかくて多くを学べる。未熟になったのは、そのためなんです。
未熟さのメリットを生かすためには、子育てをキチンとしなければならない。そのためのしつけ、教育、社会の”仕掛け”は必要で、それを失うと未熟性のマイナス面が出てきてしまいます。
~中略~
南さんは、もうおわかりだと思います。いままでの話で未熟になった原因はわかってますから、そこを直せばいいんです。
伸坊 モンゴロイド流子育てに還ることですね、子育ては長くていねいに。しかも群れの中で社会性を身につけさせて、食事は魚を、DHAをとるト。
澤口 素晴らしい答えです。満点です。
①ネオテニーを生かす幼年期の適切な脳教育。
②大人になっても知性を伸ばすのをあきらめない。
③食生活を見直す。
平然と車内で化粧する脳
澤口 俊之 (著), 南 伸坊 (著)
扶桑社 (2000/09)
P 184
ほめて育てる [教育]
もしあなたが、相手の持つ何らかの性向を、彼らが自ら進んで伸ばすようになってほしいと思うなら、相手がそのような性向を少しでも見せたとき、大いにほめてあげることです。
デール・カーネギー 著田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P144
婦寺の忠 [教育]
※婦寺の忠 「論語」(憲問篇)に「孔子がいった、わが子を真に愛すなら、苦労させることだ。君子に真の忠を尽すなら、教え導くことだ」(子曰く、之を愛してよく労(ろう)せしむること勿(なか)らんや。
忠にして能(よ)く誨(おし)ふること勿(なか)らんや)とある。
婦寺の忠は、蘇軾(そしょく)(北宋の詩人・政治家)が使った語で、
「愛して苦労させないのは禽獣と同じ、忠義を尽くしても教誨(きょうかい)しないのは婦寺の愛と同じだ」とし、朱子が「論語集註」で引用している。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
P259
心の教育でいじめはなくなるか? [教育]
いじめは現代日本だけに限った現象ではなく、人類共通の現象であるということです。
~中略~
ところが、今の日本では「心の教育」をすれば、いじめをしない子どもができるという前提で議論が進んでいます。ここに私は、今の日本のおかしさが潜んでいると思うのです。
改めて言うまでもなく、「いじめをする心」を教育によって修正することができるという発想は、旧ソ連や中国で行われた「イデオロギー教育」と何ら変わるところはありません。
日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点
山岸 俊男 (著)
集英社インターナショナル (2008/2/26)
P30
日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点
- 作者: 山岸 俊男
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2008/02/26
- メディア: 単行本
犬飼石仏
長続きするには [教育]
チンパンジーの教育と学習 [教育]
こうした観察から、チンパンジーの教育と学習の三つの特徴がわかる。
一番目が、親や大人が手本を示すということ。逆にいうと、「ああしなさい、こうしなさい」とはしない。やってみせるだけ。
二番目が、自発的に真似る。真似しなければいけない特段の理由はない。でも、真似る。そもそも、「まねる」ということばが語源になって、「まねぶ」から「まなぶ」となったそうだ。
三番目が、子どもに寛容。子どもが見るぶんには、「あっち行け」と邪険にしたりしない。
子どもは見ているだけではなくて、自分でもいろいろやってみる。それは、トライアル・アンド・エラーという試行錯誤ではない。
トライアル・アンド・トライアル(試行また試行)とでもいうべきものだ。
想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)
P138
禽獣と人の違い [教育]
日本の教育 [教育]
結局のところ、日本の教育現場では「勉強方法」について教えてこなかったと思うのです。
例えばノートの取り方、記憶の仕方、本の読み方、メモの取り方、ものの考え方。
あるいは、「考える」とはどういうことなのかを学校の先生から教わってきたかーほとんどないですよね。「君たち、自分の頭で考えろ」とは言いますよ。
“司法試験流” 知的生産術
伊藤 真 (その他), 野田 稔 (その他)
NHK出版 (2012/1/25)
P10
“司法試験流” 知的生産術 2012年2月 (仕事学のすすめ)
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/01/25
- メディア: ムック
学生に伝えるべきこと [教育]
男のみがき砂として役立たないものはない [教育]
男というものが、どのように生きてゆくかという、その問題は、結局、さかのぼっていくと「幼児体験」に突き当たる。
幼児体験というのが一生つきまとうんだよ。
P210
人間の一生というものは、ことに男の場合、幼児体験によってほとんど決まるといっていい。
しかし、そう言い切ってしまったら、身も蓋もないわけだ。
~中略~
人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。だけど、残りの半分はやっぱりその人間自身の問題です。
みがくべきときに、男をみがくか、みがかないか・・・・結局はそれが一番肝心ということですよ。
~中略~
仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女のさまざまな人間関係、それから衣食住のすべてについて言えることは、
「男のみがき砂として役立たないものはない・・・」
ということです。
その人に、それらの一つ一つのみがき砂として生かそうという気持ちさえあればね。
P245
池波 正太郎 (著), 柳下 要司郎 (編集)
新編 男の作法―作品対照版
サンマーク出版 (2004/05)
いつ死ぬる木の実は播いておく [教育]
道具はいいものを与えないと [教育]
独立する時は道具を一式揃えてもらえます。親方のよりいいものを持ちますな。
道具はいいものを与えないと性根が入りません。
「わしは親方より上等ののみを持っている。親方があの仕事をするのに、俺ができないわけがない」とおもうでしょ。
だから親方よりいいものを持たせる。これが無言の教育です。
西岡 常一 (著)
木に学べ―法隆寺・薬師寺の美
小学館 (2003/11)
P184
法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー、待望の文庫版。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くしている。氏が発するひとつひとつの言葉からは、現代人が忘れかけている伝統的な日本文化の深奥が、見事なまでに伝わってくる。
解るレベル [教育]
凡そものが解るという程不可思議な事実はない。
解るという事には無数の段階があるのである。
人生が退屈だとはボードレールもいうし、会社員も言うのである。
「測鉛Ⅱ」1-110
新潮社 (編集)
人生の鍛錬―小林秀雄の言葉
新潮社 (2007/04)
P11
日本の近代批評の創始者であり、確立者でもある小林秀雄―。厳しい自己鍛錬を経て記されたその言葉は、没後二十余年の今日なお輝きを増し続け、人生の教師として読む者を導いている。人間が人間らしく、日本人が日本人らしく生きるためには、人それぞれ何を心がけ、どういう道を歩んでいくべきか。八十年の生涯の膨大な作品の中から選り抜いた、魂の言葉四百十六。
ちょっと鈍感で誠実な人のほうがよろしい [教育]
不器用な人は、とことんやらないと得心できない。こんな人が大器晩成ですな。
頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人のほうがよろしいですな。
西岡 常一 (著)
木に学べ―法隆寺・薬師寺の美
小学館 (2003/11)
P186
法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー、待望の文庫版。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くしている。氏が発するひとつひとつの言葉からは、現代人が忘れかけている伝統的な日本文化の深奥が、見事なまでに伝わってくる。
子供に対して文句を言いたくなったら [教育]
子供に対して文句を言いたくなったら、
思いとどまって「まだ子供なんだから、私と同じように考えられると期待する方が無理なんだ」、
そのように考えてみましょう。
デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P102
やって見せ 言って聞かせ させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ [教育]
小吏あり。苟( いやしく)も能( よ)く心を職掌( しょくしょう)に尽くさば、
長官たる者、宜しく勧奨して誘掖( ゆうえき)すべし。
決して之を抑遏( よくあつ)す可からず。
抑遏せば則ち意阻( はば)み気撓( たゆ)みて、後来遂にその心を尽くさじ。
「 言志後録」第一三条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P90
部下が、一生懸命仕事に務めていたら、上の者はよく励まし、誉めてやることだ。
ときには妥当を欠く場合があっても、しばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。
決して頭ごなしに押さえつけてはならない。
押さえつけると、意欲を失って、萎縮し、それ以後は真心を尽くさなくなってしまう。
やって見せ 言って聞かせ させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ
山本五十六
人を諭す [教育]
口舌を以て諭す者は、人従うことを肯( がえん )ぜず。
躬行( きゅうこう )を以て率いる者は、人効( なら )うて之れに従う。
道徳を以て化する者は、則ち人自然に服従して痕迹( こんせき )を見ず。
「 言志耋録」第一二五条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P222
口先だけで人を諭そうとしても、人は心から従うことはない。
自ら実践し率先すれば人は従(つ)いてくる。
さらに道徳をもって感化する者には、人は自然と服従し、不満も残らない。
人の過ち [教育]
ゆとり教育 [教育]
「 文部省のさァ、ゆとり教育って、おかしいんだよ。
ゆとりなんてものは、厳しさを耐えて出てくるものなんだ。
はなからゆとりがあるってのは、だらしがねェってことだよ。」
永 六輔
伝言
岩波書店 (2004/2/22)
P66
徳教 [教育]
P28
根本真実の教化は、徳教(とつきよう)なり。くちにてはおしえずして、我身をたててみちをおこないて、人のおのずから変化するを徳教という。たとえば水の物をうるおし、火のものをかわかすがごとし(上巻之本)
P29
徳教は、道徳と本質的にまったく異なる。なぜなら、幼少期のときは親や祖父母が、また学校へ通っているときは教師が、口では教えずに、わが身を正し、おこないを慎んで、子どもがその親や教師のすがたを見て、識らず知らずのうちに善の道へと変化するのが、徳教である。~中略~
俗に「子は親の背中を見て育つ」というが、まさしくこれが「徳教」である。
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
自我と自我の衝突 [教育]
日本では、自我の主張は教えられているが、他人の自我と衝突したとき、それを妥協させるという訓練はまったくなされていない
学校や社会における日本の集団思考ほど、無意味さと喜劇性に満ちたものは珍しい。
会田 雄次 (著)
日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (講談社現代新書 293)
講談社 (1972/01)
P172
鉄は熱いうちに打て [教育]
前略~
職場や仕事を人材開発に適するように変えてゆくには、組織面や人事面からいろいろな手を打っていかねばならないだろう。
その中で、私が最も重視するのは「早期・重課・鍛錬主義」である。
どんな人でも、若いうちから、能力を上回る程度の仕事を与え、きびしく鍛える。そのような困難に立ち向かい、努力を重ね、苦労を積まねば人は育たない。実力と人間は形成されない。教育はキレイ事ではだめなのである。
経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P77
教育の効果は数値化できない [教育]
P234
教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。
みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に「投資は成功だった」とみなされる。
要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と。
これはほとんど教育の自殺に近い考え方だと思います。
まず第一に、そうなってしまうと家庭というのは「ファクトリー(工場)」であって、子どもはそので創り出す「製品」だということになる。
P225
みなさん「実学」ということを軽々に口にされますが、あらためて「実学って何のことですか?」と聞くと、絶句してしまう。「実用性の高い学問のことです」というふうに答える人もいる。
では、と重ねて訊きます。「天文学は実学ですか?解剖学は実学ですか?考古学は実学ですか?数学は実学ですか?」と答えられない。
天文学が有用な学問であることは誰だってわかります。でも、自分の子どもが「天文学者になりたい」と言ったら、たぶん「そんな夢みたいなことを言うんじゃないわよ」って言うんじゃないですか。
みなさんがおっしゃっている「実学」というのは有用性とは関係ないんです。要するにそれは「教育投資が迅速かつ確実に回収できるようが学問領域」のことなんです。~中略~
実学における有用性というのは、つきつめて言えば、「労働市場が高い値を付けること」つまり、教育投資の元金がすぐに回収できること」のことなんです。それを平然と「実学」と称している。
教育のアウトカムは計量不能なんです。教育の効果は数値化できない。だから、教育を「投資と利益の回収」というスキームで論じるのは、はじめからお門違いなんです。
教育のアウトカムは、卒業後に得られた地位や年収でしか測定できないというのは、だいたい、いつ誰が決めたことなんですか?
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)