龍馬脱藩の道 [雑学]
文久二(一八六二)年三月二十四日、高地城下を出奔した龍馬は翌二十五日、檮原の志士、那須俊平、信吾邸に宿泊。翌二十六日、村内の宮野々番所、松ケ峠番所を抜け、四国カルスト西端の韮ケ峠を越えて伊予国へ脱藩した。私たちは龍馬の足取りを追い、那須父子邸から旧街道を辿った。
「龍馬脱藩の道」と記された標識が所々に立てられ、無言で道案内をしてくれる。車を走らせながら「昨夜、資料を見ていると茶や谷というところで、民俗学者の宮本常一氏が「土佐源氏」の聞き取りをしているようです。地図を見てみると茶や谷には龍馬脱藩の道も通っています」と報告すると、「それは面白そうじゃないか。思わぬ発見に出くわすかもしれんぞ」と氏は目を剥いた。
「土佐源氏」は宮本常一氏の代表作「忘れられた日本人」に収録される作品で、宮本氏が戦前、檮原の老人に取材した逸話を戦後発表したものだ。
山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P117
四国カルスト
最澄と空海 [雑学]
当初、空海と最澄は「一緒にやっていきましょう」と意気投合していた。しかし、まだ温かい交流が続いていた弘仁3年8月19日の書簡のなかで、最澄は「法華一乗の旨、真言と異なることなし」と言っていたが、実はこの時点で既に空海には認めがたい発言だったであろう。
空海にとっては、「真言密教は仏教のひとつではなく、仏教の全体ということになる」からである。
つまり最澄は、天台と真言との間には優劣を認めない「円密一致」(円とは円教=天台の法華一乗の教えのこと)の立場をとっていたので、真言密教といえども、経典類熟読すれば自ずと理解できると考えていたのである。
それに対して空海は、「仏法に顕密二教の別あり」として、真言ひとつを密教とし、天台は顕教(けんぎょう)のひとつとみなしていたのいである。
また、空海は密教を最高としながらも、僧侶としては小乗仏教の戒律も守るべきとする立場であったが、これに対して最澄は、「大乗仏教には、ただ大乗菩薩戒があればよい」とし、小乗の戒律を排除する立場であったという立場の違いもあった。
空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)
P82
ウニ [雑学]
ウニが食品として高級魚介の仲間に入ったのは、腰だめでそういうのだが、ここ半世紀ほどのあいだのことではないか。
練りウニは、古くからあったらしい。しかし生うにが京・大阪あたりで賞味されるようになるのは、にぎり鮨の移入以後のはずだから、せいぜいここ五十年ぐらいのことかと思われる。
この点、やや不安だから、料理研究家の土井信子さんに電話できいてみると、さあ、どうでしょうか。私の父が昭和初年ごろ、九州の知人から生ウニを塩漬けにしたものを送ってもらってよろこんでいたという記憶がありますけど、といわれた。
~中略~
しかし、樫本さんは、
「わしらの子どものころ―大正末年から昭和初年―は海へゆくとウニがごろごろしていて、だれも食べられるものだとは知りませんでしたな。むろん食べ方を知っている者もおらんかったです」
と、言われた。そのように聞くと、ウニが高級食品として日本中にゆくわたるのはやはり江戸前のにぎり鮨のたねに使われるようになってからだろうという気に私はなってくるのだが、しかしどうだかわからない。
さらにいえば、日本中が、マツタケをよろこび、越前ガニを美味であるといい、牛肉は松坂にかぎると言い、すしのたねにウニが欠かせないというふうに、味覚までがマスコミ化して全国にゆきわたる大現象がおこるのは、昭和三十年代以後のことではないか。
このために、ウニが高級なものになった。
~中略~
ここまで書いたとき、土井信子さんから電話がかかってきた。彼女はあのあと、大和郡山市に住んでおられる味の研究家の大久保恒夫氏に電話できいてくれたらしい。大久保さんは早寝で、すでに九時ごろだから床に入っておられたが、わざわざ起きて来られて、
「そんなもの、昔から食べていまっせ。奈良時代にも、平城京から出土する木簡に出ていたりしますから、食品としては古いですぜ」
ということだった。
街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P143
脳のスペックより体のスペック [雑学]
ひとつには脳は、「単体では存在し得ないもの」であるということ。体があって初めて脳が存在するのです。
脳が頭蓋骨という箱の中に入っていて、外部とは接点を持っていません。環境を感知したり、環境に働きかけたりするのは、すべて体です。
脳は、すべて乗り物である体を通じて初めて、外部と接することができます。
つまり、脳にとっては「体」こそが環境であって、それ以上でも以下でもありません。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P55
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
- 作者: 裕二, 池谷
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/28
- メディア: 文庫
21番太龍寺 [雑学]
二十世紀の始まり [雑学]
さてそんな一九〇一年の一月十日、アメリカのテキサス州に大油田が発見された。一日十一万バレルも噴出するという、全米一の大油田であった。これがアメリカの経済発展に大きく寄与したことは言うまでもない。
~中略~
二月二十五日に、アメリカの金融王、J・P・モルガンがカーネギー製鋼を買収し、自分の持っていた鉄鋼九社と合わせて、全米鉄鋼生産の七割以上を占める巨大会社、USスチールを設立した。世界で始めて十億ドル企業であった。
この買収で、モルガンはアンドリュー・カーネギーに二億二千五百ドルを個人資産として払い、カーネギーは世界一の金持ちになった。つまり、アメリカの巨大財閥が生まれてきたのが、まさに二十世紀の初頭の出来事だったのである。
モルガンのライバルである石油王ロックフェラーが、全米の銀行を把握していくのも同じ頃である。
~中略~
そういう巨大財閥が経済を動かし、それだけではなく政治も動かし、時には戦争さえもおこしていくのが二十世紀なのだ。
そういう頃に日本は何をしていたのかというと、二月五日に官営八幡製鉄所がスタートしていた。この製鉄所はトラブル続出で、翌年七月には操業停止になってしまうのだが、ともあれ、日本も大いに工業化に乗り出そうとしていたのだ。
ちょっとひねった言い方をすれば、二十世紀は鉄で始まった、というところだろうか。
なお、二月三日には慶應義塾創始者の福沢諭吉が六十七歳で生涯を閉じている。
もっとどうころんでも社会科
清水 義範 (著),西原 理恵子 (イラスト)
講談社 (1999/12)
P216
高松
ジンギス・カン [雑学]
星に感じて妊娠するという伝説がある。それも、ジンギス・カンの家系伝説になる。
その感じは、包のなかに臥ていて天窓を見つめていると、わかるような気がする。似たような環境の中で成立したイエスの母マリアの神聖受胎の話も、その環境のなかにいるひとびとにとっては、あるいは、そうかもしれないという、感覚としての身の覚えのようなものが共通にあったのであろう。
日本の神話の場合も、その自然環境の上に成立している。日本では、娘が厠(かわや)へ行ったとき、丹塗(にぬり)の矢が陰(ほこ)を突いて神聖者が受胎させられた、というのがある。
日本のように山河の形象が複雑な自然環境の中にいると、せっかく神聖受胎という主題をとらえていても象徴性がすっきりゆかず、つまり丹塗の矢とか陰とかいう具象的なもののカケラを援用しなければ受胎のイメージが結像しないのかもしれない。
そこへゆくと、聖マリアの環境にあっても、このモンゴル高原においても、星空と大地という2元がくっきりしていて、想像力の象徴化がごく簡単にゆくようである。
マリアは、そのようにして受胎した。というよりも、マリアの受胎復活を、ひとびとは熱狂的にみとめた。
ジンギス・カンの家系伝説における神聖受胎も草原のひとびとの感受性によって認められていたからこそ、語り継がれていたといえる。
ジンギス・カンの遠祖にドンチャルという者がいた。妻のアラン・ゴウは、この夫とのあいだに二児をもうけたが、やがて夫に先立たれた。あるとき上の二人の子が、下の三人の弟に対し、
―お前たちは亡父(ちち)の子ではない。
と、いった。母親のアラン・ゴウはべつに狼狽もせず、五人の少年をあつめ、真実を明かす、と言い、亡父の死後、毎夜、包の天窓から光の精が入ってきて、自分の腹部にふれた、やがて受胎し、つぎつぎに子がうまれた、つまりあとの三人の子は神の子である、といった。
それだけでなく、彼女は上の子に矢を一本ずつ渡して折らせた。簡単に折れた。つぎに五本の矢の束をわたし、この束を折ってみよと命じた。むろん折れなかった。
兄弟は一人ずつなら弱い、五人で力をあわせればこのように強い、と彼女は諭すのだが、この矢の教えというのは、感想アジアの遊牧民族の社会ではありふれた説話だったらしい。おなじ話が、ジンギス・カンの少年時代にもある。その異母兄と魚のことで争ったとき、母親のウルゲンが、この話を引いて諭す。日本の戦国時代の武将である毛利元就にもこの話がある。
街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P214
ピンチが脳を鍛える [雑学]
脳の特徴を理解することで見えてくる学習のコツがあるのも事実である。
たとえば危機的な状況にあると、注意力や記憶力が促進される。これは脳に備わった普遍的な性質だ。私たちはヒトである以前に動物である。
~中略~
たとえば、冬になるとエサを得にくくなることを本能的に知っているのだろうか、脳は寒いときに危機感を感じるようだ。
「頭寒足熱」という言葉にあるように、頭部の温度が低めのときに仕事効率が上昇することが古くから知られている。
空腹もまた生物にとっては危機である。~中略~
こうして見てゆくと、栄養は体に必要だとはいえ、食べ過ぎは必ずしも脳にとってよくないことがわかる。
グレリン(住人注;胃が空っぽのときに放出される消化管ホルモン)を脳に伝えるためには、たらふく食べることは避けたいし、無駄な間食も慎むべきであろう。
「腹が減っては軍(いくさ)は出来ぬ」は今や古き時代の言葉。暖衣飽食の現代では「腹八分に医者いらず」の心意気をむしろ尊重したい。
海馬を鍛えるのは文字通り「ハングリー精神」なのだ。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P240
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
- 作者: 裕二, 池谷
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/28
- メディア: 文庫
人の痛みがわかるか [雑学]
ところが驚いたことに、痛みを与えられて反応した脳部位は「痛覚経路」だけではなかった。「帯状野」や「島皮質」と呼ばれる場所も同時に反応したのだ。謎めいた発見だった。
なんのためにこうした部位までが活動するのだろうか。
回答は意外な実験からもたらされた。これらの部位は、自分だけでなく、他人が苦しんでいるのを見ているときにも反応することがわかったのだ。
「痛いだろうなあ」とゾワゾワする感覚、あれを生み出すのが帯状野や島皮質の活動だったのだ。
他人の苦痛を感知する優しい神経。シンガー博士はこれを「同情ニューロン」と名づけた。
ニューロンとは「神経細胞」のこと。
彼女の研究が面白いのは、しかし、ここからである。同情ニューロンが活動したのは、痛がる相手が近親や恋人だった場合のみで、見知らぬ他人の場合は反応しなかったのだ。
ましてや嫌いな人が苦しんでいたら「ざまあみろ」という感じであろうか。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社
(2006/09)
P131
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
- 作者: 裕二, 池谷
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/28
- メディア: 文庫
高野聖 [雑学]
P209
高野聖は、数人が群れて回国(かいこく)する。「洛中洛外図」などを見ても、旅をする聖たちが、どこへ行くのか杖を持ち、背を曲げて歩き進んでいる。かれらは聖であるという証拠として亀が甲羅(こうら)を背負うようにかならず笈(おい)を負う。笈の中には経文や弘法大師の像などが入っていて、村々で逗留しては加持祈祷(かじきとう)したりして米銭を得る。
~中略~
安土桃山時代から徳川初期まで在世したかとおもわれる氏名不詳の筆者が書いた「当代記」全十巻は当時の世相をうかがうのに便利な本だが、そこにも高野聖のことが出ている。以下、多少漢文まじりを訓(よ)みくだしにあらためて写すと、
昔より 高野山聖 諸国へ下る時 我と宿取ることなし。
路巷にて 宿かせ〱と呼ばはる。心ある人は上下によらず宿をかす。若し宿なければそのまま路頭に明かす。
かれらは宿を借ろうと呼ばわるために、聖の異称として「夜道怪(やどうかい)」などという文字が当てられたのは、「高野聖にやど貸すな 娘とられて恥かくな」などということばが流布したことと無縁ではなかろうし、聖たちも悪い仲間の悪行をひっかぶって、まことに詮(せん)もないことであったにちがいない。
高野聖は僧形(そうぎょう)をしている。しかし正規の僧ではない。
P213
高野山を権威と信仰のよりどころにした聖が、高野聖である。かれらは時代の流行の念仏を護持するとともに、弘法大師の御利益(ごりやく)をもかついだ。
空海には、阿弥陀如来に頼みまいらせて南無阿弥陀仏をとなえるという思想はまったくない。高野聖が、勝手に念仏と空海をくっつけ、念仏の他力本願と空海の即身成仏という理論的には矛盾したものを堂々と信仰化してしまって、諸国を歩いたのである。
「病気なおしにはお大師さんの加持祈祷を。死者に対して阿弥陀如来の本願を慕う念仏を」というのが、室町期には夜道怪などとさげすまれるほどにしたたかだった高野聖の両刀使いであった。
江戸末期まで、高野山にあっては、
学侶方(がくりょがた)
行人方(ぎょうにんがた)
聖方
という三つの機能があり、それぞれ仲が悪かった。学侶方は奈良・平安期の官僧およびその候補者といってよく、これに対し行人は叡山などの僧兵にあたるであろう。本来、高野山の雑役夫で便宜上僧形(そうぎょう)だった者が、しだいに一山(いっさん)で勢力を得、学侶と対抗するまでになった。かれら行人はおなじ私度僧ながら聖とは異なり、高野山に常住して旅には出ない。
これに対し、高野聖は、回国が専門である。
こういう自然に成立した制度は、空海自身、思いもよらぬことであった。かれが山を開き、平安中期ごろから栄えはじめるにつれて出来あがってきたもので、空海の末弟と信じている学侶だけで高野山が成立していたとすれば、高野山じたいもあるいは空海信仰も、空海以後に見られるような大きな発展はしなかったにちがいない。常時数千の行人が山を守り、常時万余の聖が諸国を歩き、いわば大師信仰を販売していたからこそその後の高野山がありえたといっていい。
小説的な想像だが、高野聖が、奥州のはてまでゆき、村々に泊り、すすめられれば何十日も逗留して、加持祈祷、念仏、説法、諸国のはなしなどをする。
「この村の裏山にふしぎな泉がある。あお泉は霊泉であるゆえに大切にせねばならない」
などと言い、その泉はお大師さんが奥州まで来られたとき(空海が奥州に行ったはずはないのだが)たまたま渇きをおぼえ、杖を地面に突き立てたところ、たちまち泉が湧いた、以後涸(か)れることがない、などという空海伝説を高野聖たちは創ってまわったにちがいない。中世以後、高野聖というものが存在しなければ、空海のあのむずかしい体系が、大師信仰という形になって民衆に根付くはずがなかったということが言えるのではないか。
街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
安曇 [雑学]
「安曇(あど)」
という呼称で、このあたりの湖岸は古代では呼ばれていたらしい。この野を、湖西第一の川が浸(ひた)して湖に流れこんでいるが、川の名は安曇(あど)川という。
安曇は、ふつうアズミとよむ。古代の種族名であることはよく知られている。
かつて滋賀県の地図をみていてこの湖岸に「安曇」という集落の名を発見したとき、
(琵琶湖にもこの連中が住んでいたのか)
と、ひとには嗤(わら)われるかもしれないが、心が躍るおもいをしたことがある。安曇人はつねに海岸にいたし、信州の安曇野を除いて内陸には縁がないものだと思っていた。
街道をゆく (1)
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1978/10)
P22
生物はギャンブル好き [雑学]
生物は本質的にギャンブル好きであり、結果として、自分が損をしていることに気づかないことさえあるというわけだ。 ビジネスの現場でも、過去の成功した事業例を眺めてみると、盲目的な人間の選択壁を利用していることが多いことに気づく。 宝くじもまたリスクと報酬のトリックである。もちろん数学的期待値からいえば「買わない」ことがなによりの得策である。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P124
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
- 作者: 裕二, 池谷
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/28
- メディア: 文庫
権威による統治の弊害 [雑学]
権威による統治には幾つかの弊害がある。
第一に、失敗を認めることができない。~略
第二に、抜本的な対策をとることができない。抜本的な対策とは、従来の政策を否定することだ。~略
第三に、ルールが変更されたときに、意外な脆さを露呈する。~略
第四に、権威が及ばない外部には無力である。
第五に、権威による統治では、統治者は保護者として振る舞うから、統治される側が鍛えられることがないし、統治者と被統治者が運命共同体として結びつくこともない。
権威による統治では、統治者の権威に傷が付くような情報は可能な限り隠そうとする。結果として「知らしむべからず、依らしむべし」という統治形態になる。
~中略~
また、依らしめられた、統治される側は、任せておけばいいのだから、自分で判断したり、責任を取る訓練を受けていない。
何が起きても他人事であり、悪いのは統治者である。
第六に、技術革新や変革を、秩序維持の名において妨害する傾向がある。~略
最後に、権威による統治では行政の中に専門家が育たない。~略
「借金棒引き」の経済学 ―現代の徳政令
北村 龍行 (著)
集英社 (2000/8/17)
P201
臼杵石仏山王石仏
平家物語 [雑学]
(住人注;「平家物語」の冒頭の一節の)ねらいは、「おごれる者」「猛き人」が「久しからず」「滅び」る点にある。
もともと、勝者が敗者に堕ちて死ぬという構想は、こうした軍記物語の基本設定にあった。
しかも、死者が権力者である場合、その魂は静かに安らかな往生を遂げるとは考えられなかった。そこで、荒ぶる霊威を恐れて、鎮魂するために軍記物語の編集が要請された。
「平家物語」もまた、平家一門の浮かばれぬ諸霊を慰める長大な弔辞の意義を担っていた。
哀調を帯びた美文の底には、慰霊の深い祈りが込められている。
平家物語
角川書店 (編集)
角川書店 (2001/09))
P17
平家物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2001/09/21
- メディア: 文庫
内子町 [雑学]
谷がひろければ、町がある。 松山から大州への古街道ぞいにある内子町もそうで、三方の渓谷を削って流れおちてくる三つの川(中山川、麓(ふもと)川、小田川)がやや広い谷をつくって人々に集落をつくらせている。
「実家は内子でございます。櫨鑞(はぜろう)の問屋をいたしておりました」
と、この夜、泊まった大洲の旅館「油屋」の女主人がいったが、内子の町はどこか古風で道をゆくひとびとの歩き方までが悠長にみえた。
この町は、市から発達したらしい。奥のほうの谷々から山の物を持ち寄り、それを売って里の物を買ったようである。
明治以前、諸藩の重要な産業のひとつは鑞であった。櫨の木の実からとつのだが、採ったばかりのなまの鑞を採集して晒し、諸国に出荷していたわけで、内子の鑞問屋といえば大きな資本であったらしい。
街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
P51
日曜日という制度 [雑学]
当然のことながら、昔は日曜日という制度(?)すらなかった。日曜日だからって坂本龍馬が釣りに出掛けたなんて話を聞いたこともない。
つまり近代になってから、と自然に思い当たる。で、早速ながら、明治元年の話ということになる。それまでの当番順にとっていた休暇を、この年の九月十八日、明治新政府は布告をだして、一・六の日をもって一斉休日にすることにした。これがはじまりである。
しかし、陰暦ではうまくいかない。そこで明治五年のグレゴリオ暦(新暦)の採用と同時に、政府は「日曜は休日とすべし。土曜は正午以後は休暇たるべし」と改めて決めた。これが明治九年(一八七六)三月十二日。実施は四月一日から。
ただし、明治の人びとは言ったという、「なぜ、休まなくてはあかんのかねぇ」と。勤勉なるかな。
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P251
鎌倉期の女性の理想像 [雑学]
江の島の弁天様と、鎌倉鶴ヶ丘の弁天様は裸なのである。
裸の仏は珍しい。ギリシャの彫刻はすべて裸体であるが、日本の仏様は衣服をまとっていられるのである。
しかし、ここではほとけは真裸、しかも裸の美女なのである。この裸の美女のほとけを作り出した意図は何であったか。江の島の弁天は源頼朝の命によって、文覚によって灌頂されたほとけ様だという。
源頼朝と文覚、それは、新しい武士の時代を作った英雄と怪僧である。そこに一つの新しい時代精神が現われているにちがいない。
江の島弁天様の見事な肉身はどうであろう。それはまがいもなく現実の女身の再現である。美のリアリズムとでもいうのか、利口そうな眼、ひきしまった口もと
、端麗なお顔、真っ白い肉づき豊かな体、この美人はもはや平安朝のなよなよとした美女ではない。それは何より、多産で健康で、官能的どのような荒武者すら満足させる肉身と、同時に、すべての家政を自らテキパキととりはからってゆく知性をもっている女性なのである。恐らくここに、鎌倉期の女性の理想像があったに違いない。
鎌倉期の仏像はふつう運慶、快慶のリアリズ芸術によって代表されるが、運慶や快慶で知られる仏像には、力にみちた仏像が多い。このような男性リアリズムの精神の背後にあった理想的女性像は何であったか。私は突如として鎌倉に出現したこの裸形の弁天こそ、このような鎌倉武士のもった女性的理想像ではなかったかと思うのである。
鎌倉武士を支配した宗教は禅宗だといわれるが、学のなかった鎌倉武士が、難解な禅の教えをどれだけ理解したかは疑問のように思われる。
力にみちた武人と、豊かな肉付きをもった女性に対する信仰が彼らの信仰であり、禅は教養的看板にすぎなかったと見るのが、もっともありうることのように思われる。
続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P135
眼 [雑学]
ところで、眼「というもの」と普通に言うとき、それは暗黙のうちに脊椎動物の眼を意味しているが、多くの異なる無脊椎動物のグループで、像を結ぶ役に立つ眼が、それぞれ独立に四〇回から六〇回も進化しているのである。これらの四〇回あまりの進化のなかでも、ピンホール式の眼、二種のカメラ・レンズ式の眼、凹面反射鏡式(人工衛星のパラボラ・アンテナ式)の眼、および数種類の複眼などを含めて、少なくとも九つの異なった設計原理が発見されている。
ニールソンとペルガーがもっぱら研究したのは、脊椎動物とタコでよく発達している。
遺伝子の川
リチャード ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)
草思社 (2014/4/2)
P112
]
島根県松江市熊野大社
大山祗神社 [雑学]
那須与一の扇の的 [雑学]
この与一は、石井紫郎氏の指摘のように、一種の休戦状態のなかで行われた「いくさ占い」の儀礼であったと考えられ、与一の射芸に感じ入った平氏方のある老武者は、 船上で舞を披露することになる。
しかし、一般にはあまり知られていないが、源義経の命を受けた与一は、つづけてこの老武者までも射殺してしまうのである。
これは源平合戦において鎌倉軍勢がおこな った露骨なルール違反の一つであった(石井紫郎 「合戦と追捕)。
源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究
川合 康 (著)
講談社 (2010/4/12)
P62
源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究 (講談社学術文庫)
- 作者: 川合康
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2022/01/21
- メディア: Kindle版
増上寺 [雑学]
夏の台所は「つとめる」台所 [雑学]
野菜にしても魚にしても、季節があるのは当然だが、台所にも季節がある。夏の台所は「つとめる」台所である。
第一が、暑いから台所作業そのものがちと骨が折れる。つぎが腐敗が早いこと、腐敗がはじまってしまってから気がついたのでは、台所は信用失墜なのである。
つまり清潔の感度をふだんよりぐんとあげていなくてはいけないのだが、これは疲れる。夏の台所は絶対に「だいじょうぶ」という信用をもちつづけなくてはいけない。
(一九五七年 五十二歳)
幸田文 台所帖
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)
P134
玉置山 [雑学]
玉置山というのは明治後は神仏分離で玉置神社などと、いわば明治風の国家神道の名称でよばれるようになったが、それ以前は神域を社僧が護持じ、社名も神仏混淆ふうに玉置(たまき)三所権現(さんしょごんげん)とよばれ、江戸期には七坊十五ヵ寺という多くの建物があった。山僧も数百人もいたというが、いまは宮司ひとりに数人の補助者が山を守っているにすぎない。
この山の歴史は、むしろ平安期から鎌倉にかけて栄えた。京都の貴族まで巻きこんだ熊野詣での流行が、熊野とは川で結ばれている十津川にまでおよび、玉置山が熊野信仰の圏内に組み入れられた。
熊野の奥の院だと称せられたが、このあたり、中世の十津川にはなかなか食えぬ宣伝家がいたにちがいない。
これに乗って、平安期には花山院、白河院、後白河院といった京都貴族の大親玉が熊野からこの十津川までやってきて、玉置山に登っている。
街道をゆく (12)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1983/03)
P161
ほぼ永遠に腐らない食品 ハチミツ [雑学]
(住人注;ミツバチの)この強力な翅の発熱と送風によって、巣の中で蜜の水分はどんどん蒸発する。そしてとろりとした黄金色になる。最終的にハチミツ中の糖濃度は80%に達する。
こんなに濃い溶液は他にない。たとえば塩はどんなにがんばっても29%以上は水に溶けない。ハチミツのこの濃さに強力な殺菌作用があるのだ。
細菌がハチミツと接する。すると何が起こるか。ハチミツが細菌の水分を吸い取り、細菌は脱水症状でたちまち死滅する。浸透圧である。
福岡 伸一 (著)
ルリボシカミキリの青
文藝春秋 (2010/4/23)
P221
不退寺2
鵯越の「坂落し」はありえん [雑学]
比較的坂道に強いとされる在来馬にあっても、険阻な山坂道には弱く、そのような街道での運搬は近代にいたるまで牛が使用されていた事実を知るとき、むしろ現実には ありえないことだからこそ、人々を魅了する英雄伝説として広まったと理解されよう。
そもそも同時代史料によれば、義経の軍勢は山陽道を東進して一の谷を攻撃しており、 山方の鵯越は通っていないのである。(「玉葉」寿永三年二月八日条)。
源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究
川合 康 (著)
講談社 (2010/4/12)
P16
源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究 (講談社学術文庫)
- 作者: 川合康
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2022/01/21
- メディア: Kindle版
庖丁人は歯が命 [雑学]
辻(住人注;辻嘉一)ほんとの味わいというものは、義(い)れ歯ではちょっとわからんでしょうね。わたしは入れ歯ですけど、ほんとに自分の料理人の死命を制せられたと思うたことがございます。
幸いいい先生に巡り合って、なおしていただいたんです。それは入れ歯の上あごのところをとってあるんです。料理でもお茶でも、上あごにさわればわかるんですね。おおい隠してしまったらあかんですな。
そのいい先生に巡り合ってから、おかげでまた戻ってきましたけれども。
(一九七九年)
幸田文 台所帖
幸田 文 (著) , 青木 玉 (編集)
平凡社 (2009/3/5)
P65
信頼できる歯科医師 [雑学]
P157
手術の数だけでは、その歯科医師が”慣れ”ているかどうかが分かるにすぎません。
~中略~
問われているのは、「数」ではなく「質」です。その歯科医師が、さまざまなリスクを考慮しながら、安全な治療を行なっているかどうかは、症例数だけでは分からないのです。
ニュースになるほど重篤な医療事故を起こした歯科医師も、1990年代は、あるインプラントメーカーの世界一のヘビーユーザーだったと言われています。
P159
また、海外の有名大学での研修会や教育プログラムへの参加を、「肩書き」として記載している場合もあります。
アメリカやヨーロッパの大学では、「教育」を大学や講座の収入源として予算化していることろが多数あり、経済力のある日本や韓国の歯科医師が、そのターゲットとなっています。
国内外を問わず、多くの研修会や勉強会に参加していることは、その歯科医師の「やる気」を見る上では役立つでしょうが、それらの研修会から得た知識や技術をいかに真剣に自分のものとし、患者さんに還元できているのかは不明なのです。
P160
他の歯科医院では見たこともないような、最新と思われる器材が並んでいると、それだけで「この人は優秀な歯科医師である」と勘違いをしてしまう患者さんも多いのではないかと思います。
しかし当然のことながら、歯科医師の実力は、設備や器材でははかることはできません。
たとえ豪華な手術室を完備した歯科医院であっても、歯科医師やスタッフが清潔行と不潔域を明確に分けていなければ、汚染した器具で手術が行われかねません。立派な手術室なくても、清潔・不潔の知識を十分に活用して準備した、通常の歯科用チェアでの手術の方が、はるかに安全で信用に値すると思われます。
歯科大教授が明かす 本当に聞きたい! インプラントの話 角川SSC新書
矢島 安朝 (著)
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) (2013/3/9)
歯科大教授が明かす 本当に聞きたい!インプラントの話 (角川SSC新書)
- 作者: 矢島 安朝
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2013/05/09
- メディア: Kindle版
家庭菜園の効果 [雑学]
まず、太陽の下で土をいじる、ということが文句なしに気持ちいいらしい。~中略~ 土に触るだけで、心静かに、のんびりとした気持ちになれる。
また、たとえ小さい区画であっても、家庭菜園には自分が監督となってマネジメントする喜びがある。今年の春野菜は何を、どれくらいの量で、いつ植えるかということを考え、畑のレイアウト図などを書き出すと、わくわくしてくるらしい。
これは「独創性」を刺激して、感情を生き生きさせることは間違いない。
さらに「お百姓は毎年一年生」という言葉があるように
人は「感情」から老化する―前頭葉の若さを保つ習慣術
和田 秀樹
(著)
祥伝社 (2006/10)
P108
人は「感情」から老化する―前頭葉の若さを保つ習慣術 (祥伝社新書)
- 作者: 和田 秀樹
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2006/10/01
- メディア: 新書
神戸 [雑学]
神戸における奈良・京都式の観光資源といえば、なんといっても須磨である。いや須磨であろうと考えていた。
そこには、源平合戦の哀史があり、古寺須磨寺がある。当然、神戸の人はそれを愛惜し、それに執拗な愛情を持ち、保存し、宣伝しているのだろうと思っていた。
とは、大きな見込みちがいだった。神戸のひとは、自然に歴史をくっつけて愛惜するよりも、自然に人工をくわえて、歴史とは離れたあたらしい観光資源に仕立てようという欲望のほうが、はるかにつよい。
(昭和36年11月)
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P56
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)
- 作者: 遼太郎, 司馬
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/12/22
- メディア: 文庫