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今の医者が気に入らないからセカンドオピニオン [医療]


 私は「専門家」と目されている立場上、セカンドオピニオンなるものを求められることが多い。とはいえ、実際に来る患者や家族の圧倒的多くは、いまの担当医、もしくはそれまでの経過に不満で、ただ不平不満を延々と並べ立てられるばかりである。
他の医者の悪口を(間違いなくあることないこと)聞かされるのは苦痛きわまりないが、それでもまあ患者さんのためになるのならよしとしよう。
 しかし、問題なのは、「で、結局、何が知りたいの?」と聞いても、全く要領をえないことが多いことである。
「ご不満はわかりましたが、相当の先生からそれについてどうお聞きになりましたか?」
「聞いていません」
 こっちは今の担当医の代理人じゃないんだから、どんなつもりでそういう治療を行ったとか、方針になったとか、当て推量で説明しろと言われても無理だよ。まずは担当医によく説明を聞いて、その上での不審であったり、疑問でしょうが。なんいもならないよ、これじゃ。

偽善の医療
里見 清一(著)
新潮社 (2009/03)
P21


偽善の医療 (新潮新書)

偽善の医療 (新潮新書)

  • 作者: 里見 清一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 新書

 


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タグ:里見 清一
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病院給食の「三悪」 [医療]


 ところが私の入院体験でも、午後四時か四時半に夕食がでてきます。病院給食の「三悪」とよくいわれますが、時間が早すぎるのと、冷たくて、まずくて、とても食べられたものではありません。これでは逆に、病気がわるくなってしまします。

患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)
P28


患者本位の病院改革 (朝日文庫)

患者本位の病院改革 (朝日文庫)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/06/01
  • メディア: 文庫

 


DSC_2290 (Small).JPG札幌もいわ山ロープウェイ

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血圧の薬を飲むと病気になる。 [医療]

 降圧剤を飲むことで、はたして寿命が延びるのか?
~中略~
 日本では国民病とされ、これほどうるさく言われるにもかかわらず、驚くべきことに、偽薬を用いた本格的な臨床試験は、ほとんど行なわれていない。欧米では、何度も行われている。
 ただし日本でも、一度だけ行われたことがある。いや、行われたという言い方は、正確ではない。マスコミの横やりが入り、途中で止めてしまったからである。にもかかわらず、その試験は信用に値する、非常に精度の高い結論をもたらした。
 厚生省の事業の一環として行われた実験が、それである。~中略~ これは製薬会社ではなく、研究者の主導で行われた。
~中略~
 その結果、降圧剤を使用した人としなかった人のあいだに、死亡率の差はなかった。脳卒中や心筋梗塞などの発症率にも差は見られなかったのである。
 これは、高齢者に降圧剤は、効果がないことを示している。
 それだけでない。ガンの発症率は降圧剤を使用したグループのほうが高いという結果が出たのだ。
 研究者や製薬会社の期待とうらはらに、降圧剤の副作用が強調される結果となってしまったのである。

 しかし、試験中に一部のマスコミから、「高血圧患者に対して偽薬を使うのは問題だ」と非難の声が上がり、中止されてしまった。


高血圧はほっとくのが一番
松本 光正 (著)
講談社 (2014/4/22)
P56


高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

  • 作者: 松本 光正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/04/22
  • メディア: 新書

 




大安寺 (10).JPG大安寺

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医療の目的 [医療]

 能率社会での医療効果とは、健康、知力、体力など、社会で生活するために必要な「能力」の回復維持と理解されています。
アルツハイマー病患者の知力低下の進行を遅らせる(といわれる)薬は、熱烈な期待を持って受け入れられました。
しかし、わたしの行う「医療」によって「痴呆」をふたたび頭脳明晰にすることも、寝たきりを起き上がらせて歩かせることも不可能であり、医療努力は無益無効に見えました。~中略~
 家に伺って診察し、話に耳を傾けるだけでそんな効果が現れるとは、夢にも思っていませんでした。半信半疑のわたしに保健婦は、お年寄りが喜んでいて家族もありがたがっている、と保証してくれたのです。この時のうれしさは、一瞬、世界が光に包まれたような、胸の上に乗せられた重い錘(おもり)が突然消えたような感覚でした。
 この経験によって、機能回復を主眼とするそれまでの狭い医療観から解放されたことは確かです。
医療が、健康や機能を回復する機会を提供することもあります。しかし医療に普遍的な働きがあり、人間がどのような状態であってもその恩恵を受けることができるとすれば、それは「気持ちを良くしてくれる」ことしかありません。苦痛からの解放、こころの慰藉(いしゃ)などは、病者だけではなく、認知能力の衰えた老人でも、死を目前にした人であっても与(あずか)りうる働きです。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
P23


「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

  • 作者: 大井 玄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/01/01
  • メディア: 新書


DSC_2770 (Small).JPG松江


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なぜうつ病の人が増えたのか [医療]

  一般向けのうつ病の書籍には、うつ病患者増加の理由について次のように説明していることが多い。
「バブル崩壊後の日本経済の停滞、終身雇用の終焉により社会不安が増大した。またグローバル競争の激化、ITの導入、非正規雇用の増加により労働者のストレスが増加した。こういった日本社会の変化を背景として、近年うつ病が増加している」
~中略~

 しかし、このような環境要因が本当にうつ病患者増加の原因なのだろうか?実はそれほどきちんと検証されているわけではない。少なくとも自分が調べた範囲内で、しっかり検証している論文はない。
 ある病気の患者数が6年間で二倍に増えるということは、医学的にはかなり稀な現象である。

冨高 辰一郎 (著)
なぜうつ病の人が増えたのか
幻冬舎ルネッサンス (2009/7/10)
P10

なぜうつ病の人が増えたのか (幻冬舎ルネッサンス新書)

なぜうつ病の人が増えたのか (幻冬舎ルネッサンス新書)

  • 作者: 冨高 辰一郎
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2010/08/25
  • メディア: 新書


-37828.jpg善光寺三門1

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医療崩壊の原因 [医療]

  日本の医療が抱える問題は山のようにありますが、その根底に横たわっているのは「売る側=病院」と「買う側=患者」の乖離にほかならないのです。

北原 茂実 (著)
「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる!
講談社 (2011/1/21)
P10

「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる! (講談社プラスアルファ新書)

「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる! (講談社プラスアルファ新書)

  • 作者: 北原 茂実
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/21
  • メディア: 新書

-8e81a.jpg法輪寺2

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医療サービス [医療]


  医療サービスというのは、たいへんむずかしいことです。たんに、頭をぺこぺこさげたり、言葉つかいをていねいにすればいい、というものではありません。
そのサービスには、底の深い、医学や心理学、さらに社会学的な裏付けが必要です。患者さんが何を求めているか、どこに問題があるかを、的確に引き出すことがだいじなのです。
 私も、看護の教育を担当したことがありますが、看護とは何か、というとき、いちばん大切なのは、患者さんのニーズ(求めているもの)を正しく知ること、それに誠実に応えていくこと、これに尽きると思います。
患者さんがいま、何をして欲しいと思っているか、何を求めているか、それを正しく知ることだと思うのです。 

患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)
P19




患者本位の病院改革 (朝日文庫)

患者本位の病院改革 (朝日文庫)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/06/01
  • メディア: 文庫


DSC_2257 (Small).JPG風のガーデン

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医療に「時間の手当て」はない [医療]

 患者さんへの説明に1時間かけ、「抗がん剤治療をやめる」という判断に至ったとしても、そこには保険点数も医療機関の収入もほとんど発生しません。5分話しても1時間話しても、診療報酬は変わりません。「時間の手当て」はないですから。
 医療は患者さんのためにやっているのであって、お金のためにやっているのではありませんので、私(住人注:本稿では筆者の発言か、取材先の医師の発言かあいまいな文が多いのだが、高野利実 医師?)自身は、あまり気になりませんが、経営の厳しい病院では、そういう姿勢は好まれないかもしれません。説明に余計な時間をかけるよりも、患者さんが希望しているのであれば、抗がん剤をどんどん使って儲ければいい、という発想になるかもしれません。
取材・文/北健一(ジャーナリスト)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P76

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本


DSC_0911 (Small).JPG両子寺

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絶対とか100%ってのは医療にはありえない [医療]

「患者さんが、医療を利用するケースはふたつあります。
ひとつは、回復する可能性があるかどうか。良くなる可能性があるかどうか。良くなる可能性があるならば利用した方がいい。
もうひとつは、生活の中身です。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)ですね。
生活が改善する可能性が高い場合です。ただ、医療ってのは不確実性ですから、やってみないとわからない。絶対とか100%ってのは医療にはありえない。良くなる可能性が高ければ医療を利用すればいいだけです。
メシが食えなかったのに食えるようになればいいし、歩けなくなったのが歩けるようになる可能性があるなら、一応やってみたらいいと思います。ただ、期待通りにならなかったケースがいくらでもあることだけは知っておいてほしい」
中村仁一

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P138

DSC_0922 (Small).JPG両子寺

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医者だって人間だもの [医療]

 約一時間後、全くの前置きなしに、「Bです」という男性から電話があった。「私の妻が先生から精神病だと言われ、いちじるしくプライドを傷つけられたので一度会いたい」と言う。
ある日時を指定すると、今は年末で多忙であると、まず第一に御自分の都合を主張される。それでは、都合のつく日時がわかったらこちらに連絡してほしいと電話を切った。
 翌朝、私が、おの時間だけはさけてほしい、と昨日電話で知らせておいた、その時間帯に、直接、「Bです」と入って来られた。このために、多数の患者は廊下で長い間待たされる羽目になったのであるが、「妻が精神病と言われ、夫としてのプライドも傷ついた。取り消してほしい。そうしなければ何らかの法的処置を考える」と言う。なんだかんだの末、「私の治療を一ヵ月間つづけ、その後に、もう一度会いましょう」と約束して別れた。

「お忙しいところお邪魔をしまして」とか、「突然に来てすみません」とか、「どうもありがとうございました」、などという言葉は露ほども示さず、後足で砂をかけるような態度で診療室を出てゆかれた。
 その後、Bさんの妻は、数回、いずれも診療時間を過ぎてからバタバタと走って来られたが、「すみません」とか「ありがとう」とか礼のひとつ言うわけでもなく、「痛みは変わらない」と言いつづけながら、いつの間にか自然消滅のように来なくなった。Bさんの夫からも、なんの連絡もないままである。人づてに聞いたところ、Bさんの顔の痛みは完全に消失し、非常にお元気で、PTA、テニス、ゴルフ、パーティと御活躍中とのことであった。

 患者の訴える「痛い」という一言(ひとこと)の奥には、その人の人間性が秘められている。
 痛みに起因するさまざまな言動は、痛む本人の人間性を、あますところなく表現しているように思われる。日本人は痛みに耐えることを美徳としてきたのに対し、欧米人は痛みを素直に表現する国民性であると言われる。
 しかし、痛みが治療によって、確実に軽くなっても、まだわずかに残っている痛みを、どこまでも前面に押し出し、無表情に、ただ「痛い」とだけ強硬に主張する人、逆に、「痛みは軽くなった」と率直に喜ぶ人、この差は、人間性の差であり、人種の差ではない。
 痛みは痛む本人にしかわからない。その痛さは他人には知る由もない。
であるが故にこそ、医師と患者は同じ人間として、心のふれあう共通の基盤がなければならない。
強者である医師によって弱者である患者が痛みの治療を受ける、という関係は否定されなければならないし、同時に、医師に対し、騒ぐだけ騒ぎ、自己主張の限界を追求するが如き患者の態度も否定されなければならないであろう。

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
P36

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る (ブルーバックス)

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る (ブルーバックス)

  • 作者: 柳田 尚
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/04/11
  • メディア: 新書

 

DSC_4517 (Small).JPG薦神社(秋)


タグ:柳田 尚
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名医 [医療]

鱗介( りんかい )の族は水を以って虚と為して、


水の実( じつ )たるを知らず。

                       「 言志後録 」第五三条


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所(2005/5/26)

                       P103

魚介類は、水がないもののように思い、実際あることに気づいていない

[現代語抄訳]言志四録

[現代語抄訳]言志四録

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 


1923245福岡県山門郡 清水寺 山門

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現代の医療は検査と治療が不可分 [医療]

日本のみならず、世界的に言えることですが、現代医療の中心は”治療”です。検査によって何かが発見された場合、次に必ず治療が行われます。つまり、「常に検査と治療はセットになっている」ということです。何かが発見されたからと言って「積極的に放置するする」という態度は、よほどの場合をのぞいて考えにくいことです。
 ですから「がん検診を受けない」という選択肢があっても良いのではないかと思います。~中略~ 強制力をもつ職域健診でのエックス線検査は、ただちに廃止すべきというのが私の意見です。
~中略~
「検診を受けても受けなくても、『総死亡』の数は変わりません。そして多くの人は、がんが早期発見されても『積極的治療はしない』という選択肢を医師から提示されることはありません。現代の医療は検査と治療が不可分だからです。
治療を拒むことは『非常識』なことであり、ひいては検診を拒むことを『怠惰』である、と責める風潮があることは、私もよく認識しています。しかし、がん検診こそ『過剰な治療への第一歩』であるということを、心にぜひとどめてほしいと思います。
取材・文/山守麻衣(ライター)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P84

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/04/22
  • メディア: 大型本


DSC_0908 (Small).JPG両子寺

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治りたいと思っていない患者さんは治りません [医療]

内田(住人注:内田 樹) 何もしなくていいんですよね。教育と治療って似てると思います。
けっきょく僕らは学生に向かって、「学ぶことを欲していないこと」を教えることはできない。本人が学びたいこと以外は絶対に頭に入らない。治りたいと思っていない患者さんは治りませんよね。
春日 うちは公立病院だから断るわけにはいきませんが(笑)、本人が治りたいと思っていないのを、治すのは不可能だっていうのは本当だと思いますね。
内田 「学びたい」「治りたい」というドアが一回開いたら、あとはその人が勝手に取り組むわけですよね。最初、そのドアはふさがっている。患者さんの場合は病いだし、学生の場合は無知の悲しみでドアが閉じてる。
こちらはただドアを開けてあげるだけです。こじ開けるという手もあるけれども、いちばんいいのは天岩戸と同じで、前で踊るんです(笑)。そうすると「何をあんなに楽しそうにやっているんだろう?」と自分から扉を鋳開いてくるんですよ。

「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
P189

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自己決定権は自己責任 [医療]

考えてみると、こういう患者発信の本が、現代ほど必要な時代はありません。
なぜなら、現代の医療は、以前の「先生にお任せ」といった医者中心の医療ではなく、患者が自分で治療法などを選択しなくてはならない変革期だからです。
患者の自己決定権を大切にする医療へと変化してきているからです。
でも、私たち日本人は、長い間「お任せ」医療の中にいましたから、「自分で決めなさい」と言われても、おたおたするばかり。

 市場に出回っている医者の側から発信されたガン関係の本の多くは、病状や治療法であり、知識の吸収にはすこぶる有益。
でも、患者は実はそれらとは次元の違う実際的なことで悩んでいるんですね。
病院はどうやって決めたらいいのか?手術ってしなくちゃいけない?手術するとしても、執刀医の腕は信じられる?看護師の態度に傷ついちゃうけど、仕方ないの?
手術する入院の時の病室は個室にしたほうがいいのか?
 患者は、こういう現実的な問題で困惑しているのです。


大学教授がガンになってわかったこと
山口 仲美(著)
幻冬舎 (2014/3/28)
P9



大学教授がガンになってわかったこと (幻冬舎新書)

大学教授がガンになってわかったこと (幻冬舎新書)

  • 作者: 山口 仲美
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2014/03/28
  • メディア: 新書




DSC_0567 (Small).JPG斑鳩寺 (兵庫県太子町)


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医療のめざすもの [医療]

 医療のめざすところは、長生きではありません。
気持ちよく生きて、気持ちよく死ぬこと、それこそが最大の目的であり、気持ちよく生きるためになにができるのか、医療に携わる人間はもっと真剣に考える必要があります。

北原 茂実 (著)
「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる!
講談社 (2011/1/21)
P193

「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる! (講談社プラスアルファ新書)

「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる! (講談社プラスアルファ新書)

  • 作者: 北原 茂実
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/21
  • メディア: 新書


-b3e36.jpg法輪寺1

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不安への対応 [医療]

P96
 不安とは恐れの感情であり,動悸や発汗といった生理的変化や,落ち着きのなさや,繰り返し保証を求めるなどの行動の変化,心配や集中力の低下といった認知の変化を伴うものである1,2)。
類似した感情である恐怖は対象が明確で急性的に出現して消失することが多いのに対して,不安は対象が恐怖ほど明確とは限らず,症状がより慢性的なことが多いという特徴がある2)。

表10-11 不安な患者への対応のポイント
 聴くスキルを用いて患者の話を聴く
 不安の背景要因を探索する
 患者に共感を示す
 必要に応じて情報提供,誤解や悲観的な予測の訂正をする
 不安が持続する場合,薬剤の副作用,身体症状,他の精神疾患の可能性について評価・対応する
 薬物療法,支持的精神療法,リラクゼーションを開始するもしくは専門家へ紹介する

表10-12 聴くスキルの例(文献5より引用)
 アイコンタクトを保つ
 相手側に身体を少し傾ける
 話すスピードや声の調子・大きさに気を配る
 医療者が話題を飛躍させたり妨げたりしない
 オープン・クエステョンを使用する
 合間にうなずく
 合間に「はい」と合づちを入れる
 患者がある程度話した時点で,その内容の本質を言い換えて返す
 患者が長時間話したら,その内容を要約して返す

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)

 

DSC_6203 (Small).JPG金峯山寺


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医療では何が正解か一概に言えない [医療]

医療では、何が正解で何が間違いか、一概には言えない。
患者が一〇〇人いれば一〇〇通りの治療方針があり得る。
決断が正しかったかどうか、医師が迷いを感じなくなれば「独善」に陥る。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P15

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
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DSC_9749 (Small).JPG平山温泉

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終末期医療 [医療]

 日本救急医学会は2007年に策定したガイドラインで、脳死など不可逆的な全脳機能不全、生命維持が人工装置に依存、など4条件のいずれかを満たせば「終末期」と定義し患者・家族の意志を基本として延命治療の中止を選択肢として認めた。
しかし、どんな状態を終末期と定義するかは個々の患者や病気ごとに異なり、一律の定義は難しいため、この定義は必ずしもコンセンサスを得ていない。
尊厳死の法制化を目指す日本尊厳死協会の研究斑は、がん、呼吸不全、心不全、持続的植物状態などの病気ごとに終末期の定義を示し、延命治療の中止の判断基準を提案したが、患者団体などからは「弱い立場の患者を死に誘導しかねない」などと反論も出ている。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P22

DSC_9758 (Small).JPG平山温泉

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SPIKES [医療]

P23
 1960年代前半までは,米国においても「がんの告知」は稀であり,患者への医療上の説明も十分には行われていなかった。しかし,1960年代の公民権運動に引き続いて,病院での患者の人権を重視する運動が高まり,医師の「パターナリズム」(家父長主義:独善的に物ごとを決め,押し付けること)が批判されるようになった。
裁判上の判断基準として,「ニュールンベルグの倫理綱領」を参考に確立したのがインフォームド・コンセントの法理(法の原理)である1)。
患者には「真実を知る権利」があり,医師には「説明する義務」がある。
患者の同意を得ることにより,違法性棄却が行われ,医師は患者に侵襲的な医療行為を行っても傷害罪に問われないことになる。しかし,同時に患者には「真実を知る権利」を放棄する権利,「知らないでいる権利」もある。
また,米国,カナダは移民社会であり,さまざまな文化的背景をもった患者/家族が存在する。1970年代は,悪い知らせを不適切に伝えられた精神的衝撃によって,苦悩する患者/家族も多く存在していた。
このような状況の中で,とくに「悪い知らせ」を患者に伝えるための実践的ガイドとして開発されたのが,SPIKESである。

P24
表4-1 SPIKES 各段階のまとめ (文献2より引用,改変)
Spikes:場の設定
     ①環境を整える
     ②タイミングを図る
     ③患者の話を聴く技術を働かせる
sPikes:患者の病状認識を知る
spIkes:患者がどの程度知りたいかを確認し,患者からの招待を受ける
spiKes:情報を共有する
     ①伝える内容(診断・治療計画・予後・援助)を決定する
     ②患者の病状認識,理解度に応じて始める
     ③情報の提供
      ・情報を少しずつ提示する
      ・医学用語を日常用語に翻訳しながら説明する
      ・図を描いたり,小冊子を利用する
      ・患者の理解度を何度も確認する
      ・患者の言葉に耳を傾ける
spikEs:患者の感情を探索し,対応する
     患者の感情に気付き,思いやりを示すBr> spikeS:今後の計画を立て,面談を完了する
     ①今後の計画を立てる
     ②面談のまとめを行ない,質問がないか尋ねる
     ③今後の約束をし,面談を完了する

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)


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SHARE [医療]

P11
 わが国のがん患者は,悪い知らせを伝えられる際に医師に対してどのようなコミュニケーションを望んでいるのだろうか。この疑問を明らかにするために,筆者らは国立がんセンター東病院において42名の外来通院患者,および7名のがん専門医を対象とした面接調査を実施した1)。~中略~
その結果,がん患者の悪い知らせを伝えられる際に望む,あるいは望まないコミュニケーションとして70のコミュニケーションがあげられ,それらは内容の類似性から「supportive environment 支持的な場の設定」,「how to deliver the bad news 悪い知らせの伝え方」,「additional infomation 付加的な情報」,「reassurance and emotional support 安心感と情緒的サポート」
という4つのカテゴリーにまとめられた。~中略~
 これらの研究結果から得られた悪い知らせを伝えられる際の患者の意向の構成要素をその頭文字からSHAREとした。

P12
1.Supportive environment (支持的な場の設定)
目標
・落ち着いた環境を整える
・信頼関係の構築
P13
2.How to deliver the bad news (悪い知らせの伝え方)
目標
・患者に対して誠実に接する
・患者の納得が得られるように(例えば,単なる情報提供にとどまらず,気持ちを整理できるように促し,患者の意向を踏まえて受け入れられる状態にあるかどうかを確認しながら)説明をする。
P14
additional infomation (付加的な情報)
目標
・今後の治療方針に加えて患者個人の日常生活への病気の影響など患者が望む話題を取り上げる。
・患者が相談や関心事を打ち明けることができる雰囲気を作る(そうすることによって,病気だけでなく患者本人への関心を示すことができる)

がん医療におけるコミュニケーション・スキル―悪い知らせをどう伝えるか
内富 庸介 藤森 麻衣子 (編集)
医学書院 (2007/10/1)

DSC_6261 (Small).JPG如意輪寺


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「ガイドライン」は何者かの都合で作られる [医療]

 高血圧学会は「高血圧治療ガイドライン」という冊子を出し、日本中の医者はそこに記された基準値によって、患者が高血圧かを判断する。ほとんどの医者がそれに従うのだから、ガイドラインは非常に多くの影響力があるといえる。
ガイドラインはおよそ5年で改定され、そのたびに基準値は下がってゆく。
 実際に目を通すとわかるが、冊子は非常に読みずらい。あいまいで細かい区分、ちりばめられた難解な専門用語、おそろしく回りくどい説明・・・・。読んでいると、苦痛を感じる。こうして煙幕を張りながら、彼らは抜け目なく基準値を下げるのだ。


 


P31
 ここに興味深い新聞記事がある(2008年3月30日付読売新聞朝刊「指針(住人注;ガイドラインのこと)作成医9割へ寄付金 製薬企業から」)。
 新聞社は、全国50の国立大学に、2002年から2006年までの5年間で、医学部の学者の受け取った寄付金の額や提供者を公開するよう求めた。
 その結果、高血圧や高コレステロールなどのガイドラインを作った276人中87%にあたる、240人に製薬会社から寄付金が渡っていることがわかった。
2004年の高血圧ガイドラインの場合、委員の9人全員に、合計約8億2000万円もの寄付金が渡っていた。
~中略~
「「外部から研究費を多くとるほどよい教授」という見方が強く、寄付の多さで評価されるようになった」
 これは、とってもまともな状況とは思えない。寄付金の多さ=評価なら、大学や学会が製薬会社との癒着を推し進め、自ら御用学者を生み出しているということだ。


P40
 アメリカにも日本と同様、高血圧のガイドラインを決める委員会がある。そこの研究者たちは、製薬会社から講演料、助成金,株などを受け取り、議論をゆがめるため、医療ジャーナリストから「高血圧マフィア」と呼ばれている。
~中略~
 2003年に、基準値が140から120に下がられた時、アメリカの高血圧患者は5000万人増えたという。日本では20下げると、患者は2000万人増えるから、人口比から言って、当然そうなるだろう。
 以前、アメリカで、3歳以上の子供に血圧検査をすべきという意見が、研究者によって発表されたことがある。高血圧が中高年に特有なのは、いうまでもない。基準値はそうは下げられないため、年齢層を下げるという新手を考え出したのだろう。


高血圧はほっとくのが一番
松本 光正 (著)
講談社 (2014/4/22)



高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

  • 作者: 松本 光正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/04/22
  • メディア: 新書






高塚地蔵尊 (8).JPG高塚地蔵尊

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高血圧症とは詐欺商法である [医療]

 高血圧症の基準値は、たった8年で50も下がっている―。これを聞くと、多くの人は耳を疑うのではないか。
~中略~
 2000年までの基準値は、実質、上180mmHgだった。それがどんどん下がり、2008年には130になっているのだ。
 今は、130を超えると、その人は「高血圧症」と判断される。「病人」として、医者に生活上の指導を受け、降圧剤(血圧を下げる薬)を処方されるのだ。
 まぜ短期間に、これほど大きく下げられたのだろう?2000年前後に、高血圧のリスクを説く画期的なエビデンス(科学的根拠)が得られたのだろうか?
 そのような研究を、私は寡聞にして知らない。むしろ、高血圧の通説に疑問を投げかける研究が、数多く発表されている。にもかかわらず、基準値はどんどん下がっているのだ。どう考えても、これはおかしい。
 基準値を下げることは、いうまでもなく患者を増やすことである。基準値を上160から140にするとは、150で「正常」だった人が、突然「異常」になるということだ。
 基準値を10下げれば、あらたに1000万人の「患者」が生まれる。
 1980年代後半は230万人ほどしかいなかった。「高血圧症」が、今では5500万人に増えている。なんと20倍以上の増加率である。


高血圧はほっとくのが一番
松本 光正 (著)
講談社 (2014/4/22)
P14





高塚地蔵尊 (3).JPG 高塚地蔵尊

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厚労省はここまでやる [医療]

P141
   私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺に言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう五年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。 

 ところがこの二〇〇六年三月末、突然医師から今回の診療報酬改訂で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後百八十日を上限として、実施できなくなったと宣告された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。
~中略~

そういう人(住人注:それ以上機能が低下しないよう、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流している)がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るより明らかである。
今回の改定は、「障害が百八十日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。

実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落すのか」と二〇〇六年三月二十五日の朝日新聞東京本社版・声欄に書いている。ある都立病院では、約八割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。
~中略~

 身体機能の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっている。医療費の抑制を目的とするなら、逆行した措置である。
それとも、障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商業施設に流用した東横インよりも悪質である。 

 何よりも、リハビリにたいする考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。
社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気づいて欲しい。

 今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落すことになるか。
そして一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度をつくる国が、どうして「福祉国家」と言えるのであろうか。

P265
 それなのに小泉改革は、無常にもこうした障害者リハビリを、最長でも百八十日に制限する「診療報酬改定」を二〇〇六年に開始した。改革の名を借りた医療の制限である。
私は、ある会で厚生労働省の医療課長が、私を指して「あれはできる」と発言したことや、主治医の特別な計らいでリハビリを継続できたが、都立病院などでは約七割の患者が治療を打ち切られた。リハビリを打ち切られた患者の中には機能が落ちで寝たきりになり、実際に命を落とした人もいる。
多くの障害を負った患者が、希望を失い、「再チャレンジ」を諦めざるを得ないという非常事態に陥った。
~中略~

 私は新聞に投書したり、総合雑誌に書いたりして、この非人間的暴挙を告発した。
社会では最弱者の、障害を持った患者が窮地に陥っていることを訴えた。同じ苦しみを実感していた関西のリハビリ科の医師グループと、「リハビリテーション診療報酬改定を考える会」を作って、反対の署名を集めることになった。目的はこの乱暴な日数制限の白紙撤回である。
~中略~
 締め切り後も、署名は増え続け、最終的には四十八万人にも達した。
~中略~
 ところが受け取った厚労省は何の反応も示さなかった。四十八万の国民の声は無視されたのである。
 私は暮れも正月も、精魂こめてこの冷酷な制度を世に訴える論文を、総合雑誌等に書き続けた。新聞もこれに呼応したように、厚労省のやり方を批判した。二十紙にあまる地方新聞は社説で非難した。
朝日新聞などの大新聞は無視しようとしたが、地方紙には気骨がある論調が多かった。地方自治体も、反対の議決を相次いで可決した。運動は燎原の火のように広がったが、厚労省は無視し続けた。
~中略~

その後厚労省は、限られた疾患の上限日数の緩和や、当分の間という条件付きで、介護保険では対応できない例の維持期リハビリを、いやいやながら認める異例の通達を出した。
~中略~

 維持期のリハビリが一部解禁されたといっても、介護保険のリハビリが対応できるまでの当分の措置に過ぎない。
もっと許せないのは、診療報酬の逓減制を持ち込んだことである。上限日数を超えて治療を行う場合は、報酬を安くするというものである。診療を受け付けない医療機関が出るのを防げない。

 これでは医療をやりたくてもできない。まるで、やれるものならやってみろといわんばかりではないか。そのほかに「リハビリテーション実施計画書」という面倒な書類を医師に作らせ、三カ月おきに厄介な基準で状態改善の記載を申告させるとか、診療をやる気を起こらなくするようないやがらせをしている。
~中略~

厚労省の官僚は、ここまでやるのである。
 長期にわたるリハビリを、なんとしても介護保険に強制的に追いやろうとする厚生省の魂胆に、私は深い疑問と不安を持っている。
今行われている比較的安価な医療保険のリハビリを捨てて、高額な設備や人的予算のかかる介護保険のリハビリ施設を新設することの意味は何だろうかそうでなくても、破綻寸前といわれる介護保険に、リハビリ難民が押し寄せて、対応できるはずがない。
医療保険と違って、地方自治体の管轄の介護保険に丸投げして、国は医療費も責任も逃れようとしているのだ。
~中略~

結果的には、合法的な治療切り捨てになって、生命の危険を招く。
そんなところに厚労省がもっていこうとしているならば、これは立派な国家犯罪である。私はまだ戦わなければならない。

寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

寡黙なる巨人 (集英社文庫)

  • 作者: 多田 富雄
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/07/16
  • メディア: 文庫



-29cb1.jpg善光寺本堂2

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畳の上で死ぬのは贅沢? [医療]

   多くの人が病院で亡くなる現在、住み慣れた自宅で最期を迎える在宅死は、希望しても実現が難しい「ぜいたく」になりつつある。 かつて在宅死亡率が全国で最も高かった長野県も、近年は急落した。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P100

IMG_0001 (Small).JPG平山温泉 湯の蔵

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代替医療を疑え [医療]

P184
ひとことでいうと、これまでの治療成績のデータに基づいておこなわれている医療が標準医療で、それ以外のものが代替医療です。
「がんにおける代替医療とその生存に対する影響」と題された論文が、エール大学の研究チームから発表されました。(JNCI,2018)。
JNCIというのは、米国国立がん研究所によるがん研究分野での一流雑誌です。けっこう大きく報道されたその内容は、代替医療だけを受けた人の死亡リスクは、標準医療を受けた人の2.5倍というものでありました。
~中略~
 ただし、少し注意が必要なのは、その論文は、代替医療だけを受けた人についてのデータとの比較である、というところです。
標準医療に代替医療を組み合わせたものは「統合医療」、それから標準医療に組み合わせて使う代替医療は「補完医療:と呼ばれます。こういったケースと、代替医療の単独治療のケースは区別して考える必要があることはいうまでもありません。
ひっくるめて考えると、少なくとも代替医療だけに頼るのはやめといたほうがよろしい、ということになります。

P186
 標準医療と代替医療の違いは、医学的な裏付けがあるかどうか、すなわち、治療についてのエビデンスがあるかないか、です。研究が進んで、代替医療とされていたものが標準治療に格上げされることは、当然ありえます。
なので、すべての代替医療が絶対に効かない、と断定するのはきわめて困難です。しかし、がんのように放置すると死に至る可能性が高い病気において、エビデンスのない治療法に身をゆだねるのは、あまりに危険すぎるとは思われませんか?
ほかに治療法がないと診断されたので代替医療を、という人もおられるかもしれません。その心情が理解できない訳ではありません。しかし、ほとんどの医師は、たとえ自分がそのような状況になったとしても、代替医療に大枚をはたいたりしないでしょう。

P187
その本(住人注;アルトゥール・ガワンデというハーバード大学教授の「死すべき定め―死にゆく人に何ができるか」(みすず書房))では、末期のがん患者の場合、緩和ケアをしっかりうけるようにした方が、抗がん剤などの治療を中止するタイミングもホスピスに入るタイミングも早くなった、そして、臨終の苦痛が少なかった、という研究が紹介されています。
でも、そんなことをしたら寿命が短くなってしまったのではないかと思われるかもしれません。わたしもそんな気がします。しかし、実際は逆で、平均25%も長生きしたというのです。
末期がんで代替医療に身をゆだねるよりも、心の平穏が得られるし、この方がはるかにいいと思うのですが、いかがでしょう。

(あまり)病気をしない暮らし
仲野徹 (著)
晶文社 (2018/12/6)

DSC_6213 (Small).JPG金峯山寺


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生命維持治療の中止は違法行為?  [医療]

 確かに、生命維持治療の差し控えと中止を倫理的に同質の行為とみなすことで、様々な問題が矛盾なく解決できるかもしれない。
とはいっても、実際に生命維持治療を中止した結果、違法行為として訴えられることはないだろうか。
医師の中には、「生命維持治療の中止は個人的には許容できるが、実際に行うことについては訴追の恐れがあるため躊躇する」という意見は少なくない。
 過去には生命維持治療を中止した医師が警察の介入を受け送検されたケースが存在する(2004年道立羽幌病院事件、2007年和歌山県立医大病院事件)。
これらの事件はニュースでセンセーショナルに(例えば「安楽死を実施した医師に殺人容疑」といった文面で)取り上げられたりしたものの、最終的にはいずれも不起訴に終わっている。
しかし、その顛末はほとんど取り上げられておらす人々の印象には残っていない。~中略~
実際のところ、この行為が「犯罪とみなすべき悪事」と広く社会から非難されたわけでもなく、司法的にも不起訴になっているにもかかわらず(というよりそもそも「安楽死」ですらないのだが)、「活字の威力」は絶大である。
これら一連の出来事が一般市民だけでなく、医師に与えた影響は計り知れない。
「利用可能性ヒューリスティック」の影響によって、多くの医師は生命維持治療の中止を「安楽死の一種である」「違法な行為である」と解釈するようになった。
「利用可能性ヒューリスティック」とは、想起しやすい記憶情報を優先的に頼って判断してしまう傾向のことであり、我々人間はとりわけインパクトが大きな情報に判断が引きずられやすい傾向がある。
このようにして誰が定めたわけでもない「一度始めた生命維持治療はやめられない」という不文律は「利用可能性ヒューリスティック」によって確信となっていったのである。
 しかしながら、実際には、先の事件の後、生命維持治療の中止は少なからず実施されていることがわかっているが(NHKのドキュメント番組でも公表されている(4))、この10年以上の間、生命維持治療を中止したからといって無条件に法的な介入を受けることを心配するのは、わずかな訴訟のリスクを過大評価し、「訴えられるかもしれないから治療を中止できない」と過度に心配している状態に陥っているといえよう。
~中略~
かといって合法とみなしうるための要件が示されたわけでもない。結局のところ、生命維持治療の中止が違法なのか合法なのか司法の判断は示されていない。
この判決を行った東京高等裁判所は「治療中止の問題を解決するには、法律を制定する、あるいは、それに代わるガイドラインを策定する必要性がある。・・・・・・・この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法が抜本的な解決を図るような問題ではない」と言及している。
なお、わが国において生命維持治療の差し控え・中止を法制化する動き(いわゆる尊厳死法案)はかねてからあるものの、一度として国会で議論すらされていないところを見ると、当面のあいだ法制化は期待できないだろう。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P212

DSC_5911 (Small).JPG宝満山


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「差し控え」と「中止」は違う? [医療]

P204
 死の避けられない終末期の患者において生命維持治療を望んでおらず、医療者も生命維持治療のメリットが乏しいと判断する場合、生命維持治療を差し控えること(以後、「差し控え」と記載)は一般に広く許容されている。
例えば、全国のほとんどの緩和ケア病棟は患者に対して病状悪化時に人口呼吸管理、血液透析、心肺蘇生術などの濃厚な生命維持治療を行わないことへの合意を前提に利用を認めている。
また、自宅で死を看取られるがん患者も濃厚な生命維持治療を行わず死を迎えるのが一般的である。
一方、生命維持治療の中止(以後「中止」と記載)については「一度始めた生命維持治療はやめられない」と考え躊躇されることが多い(1)。
 つまり、「中止」は「差し控え」と倫理的に異なり、してはいけない(悪い)行為であるとみなされていることになる。しかし、もし「差し控え」と「中止」が倫理的に異なる行為なのだとすると、以下に占め主要ないくつかの矛盾が生じる。
~中略~
 このように、「差し控え」と「中止」を倫理的に異なる行為であると仮定すると様々な矛盾が生じてくる。
一方、逆に「2つの行為は倫理的に同質である」と見なすと、これらの矛盾は全て解消される。実際、アメリカやイギリスなどで出されている生命維持治療の差し控え・中止に関する法律、判例、ガイドラインなどを見ると、一貫して「差し控えと中止は倫理的に同質の医療行為である」と明記されている(2)。
~中略~
 ただ最終的に、「差し控え」と「中止」を異なる行為とみなすか、同質の行為とみなすかは、我々の判断次第である。
たとえ、「差し控え」と「中止」を倫理的に同質の行為とみなすことが合理的であったとしても、様々な心理的、感情的なバイアスの影響から逃れるのは難しいことである。

P207
 あらゆる医療行為において、その行為を行うことの医学的妥当性は、期待しうるメリット(利得)とデメリット(損失)を比較考量して判断することになる。
したがって、生命維持治療の是非を判断するにあたっても、そのメリット(生命の延長)とデメリット(治療を行うことによって生じる苦痛)を天秤にかけて比較することが必要である。
「差し控え」を考慮する際には、治療を開始することによって生じる「心身の苦痛」という「損失」の方が、治療を開始することによって得られる「生命の延長」という「利得」よりも大きいと評価され、最終的に「差し控え」が医学的に妥当であると判断されることは通常の医療において珍しいことではない。
 ところが、同じ状態の患者において、いったん始まった生命維持治療の中止を考慮する際には、治療を中止することによって「生命が短縮する」という「損失」の方が、治療を中止することによって「苦痛から解放される」という「利得」より大きいと評価され、治療の中止は妥当ではないと判断する傾向がある(たとえ患者が生命維持治療を希望していなかったとしても)。
当然ながら、「差し控え」でも「中止」でも、生命維持治療によって生じる「利得」と「損失」は本質的に変わるものではない。ところが、同じものを見ているはずなのに、「差し控え」のときと、「中止」のときとでは、「利得」と「損失」のどちらがより大きいかの評価がまったく逆になってしまうのである。
~中略~
「差し控え」を検討するときの「参照点」は治療開始前の状態である一方、「中止」における「参照点」はすでに治療が開始された状態の患者である。
このようにして各々の「参照点」から見た生命維持治療の見え方の違いによってその評価が異なることになるのである。このときの生命維持治療の見え方の違いによってその評価が異なることになるのである。
~中略~
我々は「損失回避バイアス」の影響によって、各々の「参照点」から見て「損失」を与えるような変化を生じさせたくないという心理が働く。その結果、「差し控え」においては生命維持治療を「開始する」という行為によって生じる「損失」が、一方の「中止」においては生命維持治療を「中止する」という行為によって生じる「損失」が、より重視されることになる。
こうして「中止」においては「差し控え」とは逆に、「患者の死が早まること」を「避けるべき損失」と感じる心理がより強く働くことになる。しかし、もし「治療を行うことの苦痛」よりも「治療を行わないことで患者の死を早めること」の方が重大な問題なのだとすると、そもそも「差し控え」を許容することもできないはずである。
 さらに、この「損失回避バイアス」から生じる人間の心理として、「現状維持バイアス」「保有効果」「不作為バイアス」も「差し控え」と「中止」が異なって見えることを強化している。 

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

DSC_5909 (Small).JPG宝満山


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共働的意思決定(シェアード・デシジョン・メーキング) [医療]

 がん治療にあたる医療者は、がん患者やその家族に対して、病状を告げること、および、その後の方針について話し合うことを日常的に行なっているが、多くの場合、それぞれの医療者の経験に基づいた手法が用いられている。
そして経験豊かな医療者は、真心をこめれば、相手に気持ちが伝わり、よい意思決定ができると信じている。はたして、それは本当なのだろうか?
 一定の期間、がん治療に携わっている医療者は、十分に説明したつもりでも、患者にわかってもらえなかったり、予想外の返答をされることをしばしば経験する。
しかし、多くの医療者はそれが偶然のこと、すなわち相手(患者や家族)が(理解力が)悪かったと片づけてしまっていて、そこに一定の理由があることに目を向けないことが多い。
~中略~
IC(住人注;インフォームド・コンセント)の導入後、患者の権利は確立される方向にあるが、一方で、説明だけして、後の意思決定は患者や家族にゆだねてしまうインフォームド・チョイスの傾向が強まってきた。しかし、この意思決定の方法は、人間は合理的に判断し、選択可能な生き物であるという考えに基づいており、その考えは伝統的な経済理論における人間観と同じである。
近年、多くの研究により、人間は必ずしも目の前にある情報を的確に処理し、より合理的に意思決定をしているわけではないことが明らかにされている。とくに医療についての知識や経験が欠如している患者やその家族が(さらに当事者であるというバイアスがある中で)合理的に考えるという前提には無理がある。
 そこで、最近になり、医療者と患者の意思決定は、ともに行うべきものとして、共有意思決定あるいは共働的意思決定(シェアード・デシジョン・メーキング)という概念が導入されてきた(1)。
患者やその家族は、医療の知識に明るくなく、医療者からの丁寧な説明においても、十分にその内容を理解できるわけではない。これまでの報告では、医師による1回の十分な説明ののちに、患者が自分の病状を理解しているのはおよそ60%であり、さらに投薬された薬剤の副作用にいたってはおよそ4割しか理解していないことがわかっている。(2)。
このようにICの原則のもとで患者の意思決定には大きな欠陥があるとわかりながらも、医療者は説明し、自立原則を守っていれば説明責任を果たしと考えて、訴訟などの難を 逃れられるとしてきたのだ。
 共有意思決定の概念は、知識や理解力に乏しい患者やその家族とともに、専門家として、たとえて言うならソムリエのように意思決定支援をしていこうとという考え方である。
共有意思決定の考え方は、人間の意思決定には様々なバイアスがあり合理性には限定があるという行動経済学の考え方と対応している。  

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P69

DSC_5834 (Small).JPG宝満山

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意志執行代理人 [医療]

 がんの進行による臨死期にあたって、胸を押す、喉に管を入れて人工呼吸で呼吸させる、心臓を動かす薬を注射するような蘇生行為を家族は希望した方がいいのか?
という場面では家族は2つの連帯の責務を感じていると考えられる。
 1つ目は少しでも長生きしてほしいと願うことが、家族としてあるべき姿であるという責務を感じること(道徳感情)(22)である。
この道徳感情は、医療者の側にもあるはずである。医療者として、たとえ1分1秒でも生存期間を延ばすことが正義であるという考え方は、偏った道徳感情だと感じる。
 2つ目は、死に目に会えないのは不幸であるという道徳感情である。そして、医療者には、この家族の道徳感情に最大限、配慮しなければならない(適合性)という道徳感情がある。
しかし、このようなスピリチュアルな問題に、家族が最も患者のそばにいるべき瞬間は、科学的根拠に基づいた心肺停止の瞬間であるという(功利主義的な)価値観を持ち込むことが本当にいいのだろうか?
 1つ目の道徳感情に対しては、「患者さん自身の苦痛のことを一番に考えた方がいいんじゃないでしょうか?」と問うことで家族として道徳的にあるべき姿を見直してもらうことができる。
 2つ目の道徳感情については、「確約はできませんが、兆候があったときにはお知らせするよう努力します」と約束することと、死亡確認はそろうべき人がそろってから行なうことであろう。
 このように、「蘇生しない」をデフォルトに設定すること(ナッジ)で、終末期の患者の幸福とともに家族の道徳感情にも配慮した意思決定支援ができるだろう。


医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P94




DSC_2145 (Small).JPG美瑛

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決められない患者たち [医療]


 毎日、多くのひとびとが薬を新しく始めるかどうか、医療処置を受けるべきか頭を悩ませている。
それは健康でいるための予防的な治療をどうするかという問題のこともあるし、病気の治療に複数の選択肢があってそのうちどれかを選ばなければならないという悩みのこともある。
こうした決断をするのはかつてないほど難しくなっている。だが、情報が足りないわけでは決してない。
医師、インターネット、テレビ、ラジオ、雑誌、自己啓発本、とソースには事欠かない。~中略~
いったい自分にとって誰の言うことが正しいとどうしたら判断できるのだろう?多くの場合、その答えは専門家の側になるのではなく、あなた自身の中にある。

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P2



 

DSC_2121 (Small).JPG美瑛

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