敵を作らない [処世]
敵方を自分の味方にしてしまうんです。味方にしてしまえば、一滴も血を流すことなく、城をとることができます。さらにいいことに、自分の兵力も増強されるんです。
わたくしは、これが最強の成功法則だと思っています。つまり、敵を作らない。会う人すべてを自分の味方にしてしまう、ということです。
斎藤 一人 (著)
ツイてる!
角川書店 (2004/8/7)
P 148
長浜城
知らないことは知らないと言おう [処世]
診療の場で患者さんから、聞いたことのない治療法や手術の手法について質問されることは僕にもある。僕だってちょっと知ったかぶりをしたくなることもあるけれど、そこは努めて正直に、知らないことは知らなかったと認めることにしている。
「それは知りませんでした。調べてみましょう」と、ときにはその場でネットを検索したりする。
そのせいで「なんだこの医者は、こんなことも知らないのか」と幻滅されるようなことは、たぶんない。
「NO」から始めない生き方~先端医療で働く外科医の発想
加藤 友朗 (著)
ホーム社 (2013/1/25)
P167
「NO」から始めない生き方 先端医療で働く外科医の発想 (集英社文庫)
- 作者: 加藤 友朗
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2022/01/20
- メディア: 文庫
信じるものは救われる [処世]
世の中にはよこしまな考えの持ち主も、犯罪的な行為をする人もいるので、ある程度の守りは必要です。しかし、過度に防衛的な人は、基本的に人を信用していないところがあり、それが人間関係を阻害しがちです。
「因幡の白ウサギ」という話がありますね。ウサギはワニザメをだましたため、皮をはがれます。そして荒ぶる神々に言うことを聞いてひどい目にあいますが、大国主命の言葉を再度信じて救われます。
人間は一度だまされるとこりてしまい、人の言うことを聞かなくなるものですが、因幡の白ウサギは信じたために救われます。これはなかなか示唆に富むお話なのです。あまりに何度もだまされるのは問題ですが。
プロカウンセラーの聞く技術
東山 紘久 (著)
創元社 (2000/09)
P122
仏神は尊し。仏神は頼まず [処世]
もうひとつわたくしのいいたいのは、宮本武蔵の生き方や剣法論にあらわれている徹底した合理的な態度についてである。
たとえば彼のやりかたは、これは自分の技では勝てないと思う相手とは、闘わないようにしているところがありありと認められる。
~中略~
このようにしたら、あるいはしなかったら、あとでどんなことをいわれるかわからないーだからやってしまう、あるいはやらずにしまうー。
すべてこれは、世間に対する甘えからきているところだ。本当に自分を大切にしているところからくるものでもなく、といって世間を尊重しているわけでもないのだ。
これくらいのところで折り合っておけば世間も悪いようにはしてくれないだろうと甘えているのであり、甘えていることによって実は世間を軽視しているにすぎない。
世間のちからは、いくら尊重してもしすぎることはない。しかし尊重するのと甘えるのとはまったく別のことだということを、武蔵は「世間」を「仏神」におきかえ、次のようにいいのこしている。
「仏神は尊し。仏神は頼まず」
(独行道」十九条のうち第十八)
奈良本 辰也 (著)
宮本武蔵 五輪書入門
学習研究社 (2002/11)
P253
東大寺南大門
決断しないといけない時 [処世]
凡そ大硬事に遇わば、急心もて剖決( ぼうけつ )するを消( もち )いざれ。
須らく姑( しばら )く之を舎( お )くべし。
一夜を宿し、枕上( ちんじょう )に於いて粗( ほぼ )商量( しょうりょう )すること一半にして、
思を齎( もた )して寝( い )ね、翌旦の清明なる時に及んで、続きて思惟すれば、
則ち必ず恍然( こうぜん )として一条路を見、就即( すなわ )ち義理自然に湊泊( そうはく )せん。
然る後に徐( おもむろ )に之を区処せば、大概錯悞( さくご )致さず。
「 言志後録 」第四五条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P109
観世音寺大宰府
世間というもの [処世]
最初、この長州馬関に行ったとき、
「阿弥陀寺という寺はどこにあります」
と、土地のひとにきいて笑われた。明治以後、神社になってしまっているというのである。
「赤間宮がそうですよ」
といわれて、なんだと思った。赤間宮の石段の下で、土地のひとにきいたのである。
~中略~
赤間宮にのぼると、のぼった左手のほうに平家一門の墓がある。
~略~、例の琵琶法師耳無し法一の伝説もここからでた。
ともあれ、幕末の長州人は、この赤間宮を知らない。維新後、神道ブームがあって神仏分離という悪名高い太政官令がでた。
阿弥陀寺の場合、天皇を仏式でまつるとはけしからぬということで、にわかに神社にした。一時、
「天皇社」
とよばれていたらしい。すぐに赤間宮という名称にかえられた。
その初代宮司は、下関の豪商白石正一郎であった。
街道をゆく (1)
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1978/10)
P196
人間の器と組織の枠 [処世]
自ら儲く可き金の三分は人に儲けさせよ [処世]
「個性的、独創的」って世間は許すの? [処世]
なんとなく私ってものがあるような気がして、そして自分の考えることは人とは違って独自のものだっていうふうに、それが個性だとか思い込む。
ところが自分の考えることが人と違ってたら、そしてそれを突き詰めていったらどうなるかっていうと、「へん」になるんじゃないかってことですよ。
なぜかっていうと、本当に独創的な人っていうのは、他の人の目から見ると、やってることがわからないからですよ。素っ裸になって電車に乗ったり、服を着たまま温泉に入るとかね、その人独自の世界をつくっていても、周囲がそれを理解できなければ「へんな人だ」っていうことになる。
~中略~
感情だって同じですよね。たとえば葬式で大笑いしてはしゃぎまわる。こうした万人が共感できない、いわゆる個性的な感情は、世間では許されませんよね。
もしだれかが自分だけの怒りで何かしたら大変なことになります。そんなことはわかり切ったことです。
ある程度生きてくればわかります。一般的にいわれている個性とか独創なんて、そんなものです。まわりで「個性的」「独創的」などと騒いでいるほど、現実は、個性や独創性を求めていないことのほうが多いんじゃないかと、疑ってかかったほうが無難ですね。
(住人注;養老孟司)
自分を生ききる -日本のがん治療と死生観
中川恵一 (著), 養老孟司 (著)
小学館 (2005/8/10)
P125
世の中 [処世]
この世は、
むしゃくしゃしたり不機嫌になったりしても自分の欲するものは得られずに、
かえって自分の欲しないもの、頭痛と怒りを引き起こすようにできているのです。
デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P281
真実そのものを言うことは危険だ [処世]
―あなたは、ご自分が紡ぎ出す言葉が、語録と称されて注目を浴びていることをどうお考えになっているのか。
しばしの沈黙の後、彼は言った。
「私は別にテレビやファン向けに言葉を発しているわけではない。私から言葉が自然に出てくるだけだ。しかし、実は発言に気をつけていることがある。
今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。
だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」
オシムの言葉 増補改訂版
木村 元彦 (著)
文藝春秋; 増補改訂版 (2014/1/4)
P43
縁故 [処世]
人間には縁故のいない者はいない。
そして、それへの扱いは、さまざまな影響を他に与える。「縁故者だから・・・・・」も、「縁故者でさえ・・・・」も、共にさまざまな問題を生じる。
唐の時代は致し方がなかったが、現代の組織はむしろ初めから「縁故を入れず」が最良の方法であろう。縁故者に報いるのは別の方法をとっても、それに役職を与えるようなことはしなかったのが、渋沢栄一である。
帝王学―「貞観政要」の読み方
山本 七平 (著)
日本経済新聞社 (2001/3/1)
P173
親類づきあい [処世]
さて祖父が死ぬると、古い親類は「じいさんの死んだことだし、親類のつきあいはやめにしよう」と何軒かの家からいって来た。
それでそういう家はまったく他人になっていったのである。親類は家についたものであるはあるが、同時にその家の主人、主婦についたもの、とくに老人の意志によることが多い。
親類づきあいは普通従兄位までの間でおこなわれるが、義理がたくすれば再従兄(またいとこ)までがその範囲になる。それも、相手の家との話しあいによってきまる。
現在私の家でも母は正月のあいさつ、盆の先祖礼にあるいている。しかし妻はほとんどあるいていない。このようにして世代ごとに家の行事もあらたまっていくようである。
忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P208
上司と部下の「義理と人情」 [処世]
多年の関係によって資本家と労働者の間に、折角結ばれた所の言うに言われぬ一種の情愛も、法を設けて両者の権利義務を明らかに主張するようになれば、勢い疎隔さるるに至りはすまいか。
~中略~
資本家は王道をもって労働者に対し、労働者もまた王道をもって資本家に対し、その関係しつつある事業の利害得失は、すなわち両者に共通なる所以を悟り、相互に同情をもって終始するの心掛けありてこそ、初めて真の調和を得らるるのである。
果たして両者がこうなってしまえば、権利義務の観念のごときは、徒(いたずら)に両者の感情を疎隔せしむる外、ほとんどなんらの効果なきものと言って宜かろう。
「算盤と権利」
渋沢栄一 (著)
論語と算盤
角川学芸出版 (2008/10/25)
P232
英彦山神宮奉幣殿
禍は口より出で、病は口より入る [処世]
約を以て失つものは鮮なし [処世]
人物の観察法 [処世]
佐藤 一斎先生は、人と初めて会った時に得た印象によってその人の如何なるかを判断するのが、最も間違いない正確な人物観察法なりとせられ、先生の著述になった「言志録」のうちには、「初見の時に相すれば人多く違わじ」という句さえある。
~中略~
孟子の人物観察法は、人の眼によってその人物の如何を鑑別するもので、心情の正しからざるものは何となく眼に曇りがあるが、心情の正しいものは、眼が瞭然として淀みがないから、これによってその人の如何なる人格であるやを判断せよというにある。
~中略~
孔夫子の論語に説かれた人物観察法は、まず第一にその人の外部に顕れた行為の善悪正邪を相し、
それよりその人の行為は何を動機にしているものなるやを篤(とく)と観、
さらに一歩進めて、その人の安心はいずれにあるや、その人は何に満足して暮らしてるや等を知ることにすれば、
必ずその人の真人物が明瞭になるもので、如何にその人が隠そうとしても、隠し得られるものではないというにある。処世と信条
渋沢栄一 (著)
論語と算盤
角川学芸出版 (2008/10/25)
P29
福岡市 十日恵比寿
云いわけすべからず [処世]
子孫、年わかき者、父母兄長のとがめをうけ、いかりにあはば、父祖の言の是非をゑらばず、おそれつつしみてきくべし。
いかに、はげしき悪言をきくとも、ちりばかりも、いかりうらみたる心なく、顔色にあらはすべからず。かならず、わが理ある事を云いたてて、父兄の心にそむくべからず。只ことばなくして、其せ(責)めをうくべし。
是子弟の、父兄につかふる礼なり。父兄たる人、もし人のことばをきき損じて、無理なる事を以て、子弟をしゑた(虐)げせむとも、[子供において]いかるべからず。
うらみ、そむける色を、あら(顕)はすべからず。
云いわけする事あらば、時すぎて後、謝すべし。或(は)別人を頼みて、いはしむべし。
十分に、われに道理なくば、云いわけすべからず。
和俗童子訓 巻之二
総論 下
養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P233
呉市入船山公園
人を見分けるチカラ [処世]
「人を見たら泥棒と思え」とか「渡る世間は鬼ばかり」とか、日本にもヨーロッパ流の性悪説に基づく諺や言葉が多々あるが、やはり日本人は性善説がすきなようだ。
~中略~
日本では下校時の小学生をねらった痛ましい犯罪が続発しており、その対策が云々されてているというが、いちばんの決め手は、幼いころから子どもに疑う習慣をつけることではないかと思う。
被害にあってからでは遅い。もう日本もそういう世の中になってしまったのだ。そして自分の身を守るのは自分しかいないということを、幼いころから子どもに教えるのが親の務めだろう。
初対面の相手が善人か悪人か見分けることは難しいが、もしかしたらヨーロッパの人たちはその方法を心得ているのかもしれない。
一度も植民地になったことがない日本
デュラン れい子 (著)
講談社 (2007/7/20)
P206
不平不満は悪しき習慣です [処世]
世襲 [処世]
では、太宗は政務多忙で、子供の教育に無関心だったのであろうか。決してそうではない。彼は、「二代目」でうまくいかなくなることを知っていた。ここにも、反面教師煬帝があったであろう。
従ってむしろ、一種の危機感を常に持つ「教育パパ」だったといってよい。
「貞観十年、太宗、房玄齢に謂いて曰く・・・・・」(教誠太子諸王第一・第五章)につづく太宗の言葉は、その基本的な理由をよく理解していたものと思われる。
「前代の乱世を治めた創業の君主を次々に観察すると、民間に成長し、皆、情(真)も偽もよく知っているから、破亡に至る者はまれであった。世つぎの守成の君に及ぶと、生まれながらにして富貴で、世の苦難を知らず、そのため時には一族皆殺しにされるまで至る。
私は若い時から、経営多難という経験があり、くわしく世の中のことを知っているけれども、それでもなお、及ばない所あろいうかと恐れる。
わが子の荊王やその弟たちに至っては、奥深い宮中に育ち、識見が遠くに及ばない。そうして私が経験したようなことを、思うことができようか。
私は一食ごとに耕作の苦難を思い、一衣ごとに紡績の辛苦を思う。しかし、諸子弟は私に学ぶことができない。いまよい補佐を選んで、諸王の輔弼(ほひつ)とする。
願わくばこの善人の近くで習い、多くの罪過を免れることができるようにしたい」と。
~中略~
そこで魏徴に命じて、古来の帝王の子弟の成功と失敗の例を記録させ、「諸侯王善悪録」と名づけて諸王子に賜わった」と。
その一部を引用しよう。
確かにさまざまな例があるが、「其の盛衰を考え、其の興滅を察するに、功成り名立つは、咸(ことごと)く始封の君に資(よ)り、国喪(ほろ)び身亡(ほろ)ぶるは、多く継体(後継者)の后(きみ)に因る。其の故は何ぞや」。
一体理由は何であろう。「始封の君は天下がまだ定まらない時に直面し、王業の創業の国難を見、父兄の辛苦を知った。それゆえ上にあっても驕慢にならず、早朝から夜中まで精励して倦(う)むことなく、常に細かい配慮を怠らなかった。たとえば、楚の元王は酒を好まぬ賢人のためには特に甘酒を用意し、周公旦は食事中に来客があると口中の食物を吐き出して賢士を出迎えた。
このようにして、耳に逆らう忠言を喜んで受け入れ、人民の歓心を得、生前に功徳を立て、死後にまでその仁愛は伝わった。
だが、その子孫である後継者となると、多くは太平の世に宮殿の奥で生まれ、女官たちに育てられ、位が高いことは危険を招くことだという配慮が全くない、またどうして農業の辛苦を知っていようか。
そのうえ、小人と親しみ賢人君主を遠ざけ、いわゆる利口な女にまといつき、明徳の人には威張って逆らい、義を犯し礼に悖(もと)り、淫荒に限度なく、法律を尊重せず身分を越えて上をしのぎ、権力と寵愛をたのんで嫡子を廃しようとする野心をもち、わずかな功労を誇って、ついにあくことなき野望をもち、忠実貞純の正道を捨て、姦邪の迷える横道を踏み、諫言にそむき卜占を無視し、迷って正しきに返ることを知らない・・・・・」と。
帝王学―「貞観政要」の読み方
山本 七平 (著)
日本経済新聞社 (2001/3/1)
P176
論議に参画させておくべき者たち [処世]
意思決定を実効あるものにするには、決定を実行するうえで何らかの行動を起こすべき者、逆にいえば決定の実行を妨げることのできる者全員を、決定前の論議に責任をもたせて参画させなければならない。
それは民主主義ではない。セールスマンシップである。
「マネジメント」
P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
経営の哲学 (ドラッカー名言集)
ダイヤモンド社 (2003/8/1)
P154
マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14)
P155
先ず勝敗の念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処せよ [処世]
海舟はまた、禅と剣とによって得た心境について、
「一たび勝たんとするに急なる、忽(たちま)ち頭熱し胸跳り、措置却って顚倒し、進退度を失するの患を免れることは出来ない。
若し或は遁れて防禦に地位に立たんと欲す、忽ち退縮の気を生じ来りて相手に乗ぜられる」
「おれも、此の人間精神上の作用に悟了して、何時も先ず勝敗の念を度外に置き、虚心坦懐、事変に処した、夫れで、小にして刺客、乱暴人の厄を免れ、大にして瓦解前後の難局に処して、綽々(しゃくしゃく)として余地を有(たも)った」
とも説明する。自慢するところがいささか生臭いが、しかし達人の境地ともいうべきものであろうか。
勝海舟 (中公新書 158 維新前夜の群像 3)
松浦 玲 (著)
中央公論新社 (1968/04)
P20
勝海舟―維新前夜の群像3 (中公新書 158 維新前夜の群像 3)
- 作者: 松浦 玲
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2021/02/26
- メディア: 新書
緒方宮迫西石仏
古社に逃げこめ [処世]
ちなみに、東日本大震災の時の津波からの平均避難速度は毎秒0・六二メートル。一分に三七メートルであった。健康な老人や群衆は一分に六〇メートル歩く。しかし、歩行困難者や乳幼児・重病人は一分に三〇メートルとされる(消防庁国民保護・防災部防災課「津波避難対策推進マニュアル検討会報告書」による)。
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P159
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)
- 作者: 磯田 道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 新書
毀誉褒貶は世の常 [処世]
人は聞きたいようにしか聞かない [処世]
人は聞きたいようにしか聞かないし、見たいようにしか見ないということです。
伝わった事実は、みなバラバラでした。
なぜなら、人はみんな違うからです。
喜田 菜穂子 (著)
きほんからわかる「ビジネスコーチング」
イースト・プレス (2008/10/17)
P44
きほんからわかる「ビジネスコーチング」―図解 (East Press Business)
- 作者: 喜田 菜穂子
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2008/10/17
- メディア: 新書
敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり [処世]
孫子曰く、凡そ師を興すこと十万、師を出だすこと千里なれば、百姓の費、公事の奉、日に千金を費し、内外騒動して事を操(と)るを得ざる者、七十万家。
相守ること数年にして、以て一日の勝を争う。
而るに爵禄・百金を愛(お)しんで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり。主の佐に非ざるなり。勝の主に非ざるなり。
故に明主賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以(ゆえん)の者は、先知なり。
先知なる者は鬼神に取るべからず、事に象(かたど)るべからず、度に験すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり。
新訂 孫子
金谷 治 (翻訳)
岩波書店; 新訂版 (2000/4/14)
P175
世間のつきあい [処世]
世間のつきあい、あるいは世間態というようなものもあったが、はたで見ていてどうも人の邪魔をしないということが一番大事なことのようである。
世間態をやかましくいったり、家格をやかましくいうのは、われわれの家よりももう一まわり上にいる、村の支配層の中に見られるようにみえる。このことは決して私の郷里のみの現象ではないように思う。
忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P209
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