火宅を抜け出せ 比喩品 [宗教]
仏というものは、世界が朽ち古びた炎の家であるかのような時に現れます。
なぜなら、人々は生老病死の憂いと悲哀のなかにありながら、心は暗く閉ざされていて、貪(とん;むさぼり)・瞋(じん;怒り)・癡(ち;愚か)の三毒の炎に焼かれています。
仏はそのような人々を苦悩の炎から救いだし、無上の悟りを得させたいと望むのです。
~中略~
三界の火宅に住みつづけることのないように、平安を求める願いを起こしなさい。
そして早く苦しみの三界を出なさい。
あなたがたには声聞と縁覚と菩薩 の三種の乗物があり、皆、すぐれています。
それらは人々を苦から離れさせ、仏の智慧の世界に導き、生死を越えてゆきます。
この三種の乗物によって、ことごとくの根(知覚と精神)と力(能力)と覚(目覚め)と道(修行)、それから、禅定(心身の調和)と解脱(解放)と三昧(精神集中)において、あなたがたはみずから楽しみを得るし、そのことによって至高の幸いに至ります。
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P47
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2020/03/07
- メディア: 単行本
宗教というもの [宗教]
梅原 (住人注;蓮如は)嫁さんも何人かいるし、子どもは二十七人もある(笑)。浄土真宗を私はあの世つきの楽天主義といってます。
玄侑さんもおっしゃるとおり、宗教というものはのびのびと、人生は辛いこともあるけれども、けっこう楽しいものだということをまず説くのがいい。空海の考え方もそうです。
玄侑 密教も禅宗も、生を愛する宗教だと思いますね。
梅原猛
玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P174
天皇と宗教 [宗教]
イギリスの国王はあくまでも信仰の「擁護者」なのであり、したがって神を祀るものでもなければ、まして神として祀られるものでもない。
それに対して、わが国の天皇は、かつて特定唯一の宗教の擁護者であったことはないし、それを自称したこともない。
信仰の統一者でもなく、したがって宗教の宣布者でもなかった。
天皇はむしろ宗教や信仰の形式や運動の埒外(らちがい)において、それらとは次元を異にする回路によって不可思議な霊威を放射し、超常的な影響力を行使してきた。
いわば天皇信仰を内側から充電してやまない宗教性の秘密は、むしろ目に見える宗教の外形的な殻や枠組みを破るところに蔵されているといってよいだろう。
山折 哲雄 (著)
天皇の宮中祭祀と日本人―大嘗祭から謎解く日本の真相
日本文芸社 (2010/1/27)
P119
感謝の心 [宗教]
P179
私たちは、たしかに遺伝子の作用によって生かされているのですが、遺伝子からの情報だけで生きているんじゃなくて、テレビと同じように微量の波を出すことによって、宇宙にある大きな情報波と共鳴する。
遺伝子のなかにブラウン管と同じようなものがあり、ふっと神さまと同じような周波数の波を少しだけ出すことによって、神さまの波動、エネルギーがどっと入ってくるものだと思います。
それを枯らしてしまい不可能にしているのが「我」なのです。
~中略~
私はそこに感謝の心、理屈ぬきの純粋な感謝の心が不可欠だと思うのです。
この大宇宙は感謝の心で満ち溢れているわけで、それはすなわち神さまの心、ご加護のことです。
こちらから電波を出すというのは、つまり神さまに対して感謝の気持ちを抱くことです。それも何ほどの見返りも期待しない素白の心をもってです。
そうすることによって、テレビの大画面のように大宇宙の心、神さまの心が導かれ、心が喜びで満たされるのです。
これが本当の感謝であり、悟りと言われてきたものです。
と、こう言えば実に簡単なことのようですが、実際は難行苦行よりもはるかに難しいことかもしれません。
P190
感謝もいまは間違っています。
神さまにお願いして、お恵みをいただけたら感謝する。
これは感謝とは違う。これは取引です。
これだけお賽銭をあげるから、その代わり神さま、子供を入学させてくださいという取引ですね。
~中略~
入学したから感謝するのではないんです。感謝したら入学するということなんです。
世の中は逆さをやっているですね。
~中略~
だからどんなに病気でも、健康でありがとうございますと言いなさいというんです。そしたら健康が来る。
ですから、病気になったら、感謝が足りないんだなと気づけばいいんですが、それに気が付かずに、薬とか何かで治そうというから間違ってくるんです。
本当に感謝するということが一番大切なことなのです。
葉室 頼昭 (著)
神道 見えないものの力
春秋社 (1999/11)
P187
神道 見えないものの力 〈新装版〉 (神道コレクション・日本人の美しい暮らし方)
- 作者: 葉室 頼昭
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2013/10/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
葉室 頼昭 (著)
「神道」のこころ
春秋社 (1997/10/15)
唯識 [宗教]
P91
唯識では、わたしたちの五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)と意識という表層の六種の精神感覚作用の他に、深層意識(無意識)の領域での二種の働きを想定し、それをアーラヤ識、マナ識と呼びます。
「識」とは大ざっぱに心の働きのことです。
第一に、アーラヤ識は深層意識の最下層にあって、自己と自己以外のすべての存在、つまり「世界を仮構」しています。
主体(自己)が在り、客体(対象)が在るという認識の基本構造は、「心理的な仮構・仮想にすぎない」わけです。
アーラヤ識は深層意識で働くので、主体(自己)の認識がそれにより仮構されたものだという事実には気づかない。つまり、すべての生物はその仮構する世界(つまり環境世界)こそが現実の世界だと思っているということです。
アーラヤ識が世界を仮構する働きは、情報の種子(しゅうじ)として蓄えられます。
アーラヤ識は「情報集積体」とも意訳されますが、その情報は、まず「生命情報伝達」と「生命維持」の働きにかかわるものです。~中略~
第二に、アーラヤ識の種子は、記憶された情報源として現在の認識や行動に影響しまう。
一方、わたしたちの五感と意識、それにマナ識、つまり七識を使った現在の行為(「現行」と呼びます)の影響は、逆にアーラヤ識に種子として刻印される。
この過程は、花の香がしみつくことに似ているので「薫習(くんじゅう)」といわれます。
現行と薫習がくりかえす相互影響は、一瞬一瞬生じては消え、起こっては消える活発な循環過程であり、行為は種子として記憶され、記憶はすぐに次の行為に影響するのです。
現行と種子の相互影響は、コミュニケーションにおける情報と情動という二重の刺激さようにおいても観察できます。
たとえば認知症の人に強い情報刺激を与えると、「情報」として理解されずに、不安や怒りを起こす情動刺激の種子としてしっかり薫習されます。したがって不快な情動刺激を与え続ける家人は、ついつい攻撃や妄想の対象にされ、それが昂ずれば「人殺し」「泥棒」に変身させられるでしょう。
さてマナ識は、アーラヤ識の働きを受けて、それを自我(私、私の、私に)へのい執着で汚染させるといいます。「自我への執着」という汚染は「根本煩悩」と呼ばれますが、この深層心理作用を分析しますと、どうしても自己(自我)という「実体」がいると思い込んでしまうこと(我見)、自己本位に思ってしまうこと(我慢)、自己に愛着・執着してしまうこと(我愛)、さらに、実はそのような自我が存在しないことに気づかないこと(我癡(がち)あるいは無明)から成り立っています。ちょっと分かりにくいでしょうか。
つまり、「私」を「私以外」と峻別し、何をするにせよ自己に執着し、自己本位で、自己が永続的存在であるという深層意識が常時働いているということです。
~中略~
一般に痴呆症の男性は誇り高く、人間関係を結ぶことが下手で孤高を守ることが多いのです。
かつての大将とという方が認知症で入院された際、医師は入り口で「閣下、入ります」と挙手の礼をしたそうです。それは一面では矜持や誇りとも呼ばれますが、唯識にあてはめてみますと、自己が今も大将であるという思い込み(我見)、おれは偉いという考え(我慢)、そういう自己に気づかぬ我癡(無明)の表現といえます。
P150
生物学的にいいますと、アーラヤ識は遺伝情報を伝えるだけではなく、世界認識(世界仮構)をも含めた、生命維持にもっとも基本的なはたらきをする仕組みです。
生命維持のはたらきの一つは、外界からの刺激を受けとり、それに反応することです。刺激の種類を認識し、生命維持に適していれば受け入れ、不適当なら遮断する。
「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
カミとホトケ [宗教]
「鏡」のようなものを「神体」という。「神体」というのは神や神霊を象徴するもののことだ。「神体」としては、鏡のほかに剣や玉や鉾などが用いられてきた。
~中略~
こうして「鏡」のような神体は、「神」そのものではなく、「神」をあらわす神聖な象徴物にほかならないが、それならば「神」そのものはどこにいるのだろうか。「神」の正体はどこに鎮まっているのか。
~中略~
「神」はどちらかというと、大衆の面前に裸の姿を現さないものとされ、社殿の背後に鎮座し、神域の森の奥深く身をかくすものとして信仰されて来た。
山折 哲雄 (著)
神と仏
講談社 (1983/7/18)
P45
イエスははたして人か神か [宗教]
イエスははたして人か神かということは、何世紀にもわたって議論されてきた問題である。
イエスも、そしてブッダも、人と神の両方の特性を備えていた。ある面で不滅だが、どちらも死すべき運命であった。
しかも皮肉なことに、二人は自分の体が神々しい光を放って変身する現場に弟子たちを立ち会わせることによって、彼らに死というこのきわめて人間的な事態への心構えをさせたのである。
~中略~
そして最も重要なのは、二人が天から降りてきて人類のために奉仕し、最後にはまたもとの場所に帰って行く神の化身とされている点である。
仏教においてもキリスト教においても、彼らは間違いなく人間と見なされており、それでいて奇跡の力を備えている。二人とも女性の腹から生まれているーただしその母親は処女であった。
従って人間の性質と神の性質、両方をあわせ持っているのである。
今枝 由郎 (翻訳), 鈴木 佐知子 (翻訳), 武田 真理子 (翻訳), マーカス・ボーグ
イエスの言葉ブッダの言葉
大東出版社 (2001/10)
P191
方便と智慧 [宗教]
大乗仏教では方便と智慧の両方を修行すべきだといわれますが、
方便とは慈悲のことであり、
智慧というのは現実を理解する哲学的見解のことです。
ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ (著), Tenzin Gyatso H.H.the Dalai Lama (原著), 谷口 富士夫 (翻訳)
ダライ・ラマ 365日を生きる智慧
春秋社 (2007/11)
P71
幸福は抑制された心に根ざし、苦しみは抑制されていない心に根ざしています。
日常生活でダルマ(仏法)を実践するというには、自分の心をよく調べることです。
P174
著者略歴
ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ
1935年、チベット東北部アムド地方に生まれる。2歳のとき転生活仏ダライ・ラマ14世と認められる。1949年の中国のチベット侵略に伴い、15歳で、政治・宗教両面の国家最高指導者となる。1959年に亡命。インドのダラムサーラに亡命政権を樹立。チベット問題の平和的解決を訴えつづけ、1989年にノーベル平和賞受賞
谷口 富士夫
1958年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院博士課程(東洋哲学)修了。専門は仏教学。文学博士。現在、名古屋女子大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
重源 [宗教]
P232 おどま 勧進(かんじん)勧進
という言葉が「五木の子守唄」に入っているが、九州その他の地方では乞食のことを勧進という。 旅をする高野聖が、庶民から一握りの米をもらい、富家からは、寺院の修復その他を名目にして金をもらい、それが高野山の財政の一半をささえていたとはいえ、結局は乞食と同義語になったのは、あわれというほかない。
後世の堕落した高野聖にも問題があるかもしれないが、ホンモノの乞食のほうが高野聖と称して米塩を稼ぐということが普通おこなわれていたのであろう。
高野聖は、勧進してまわる。
そのうちもっとも巨大な存在は、鎌倉期の高野聖・俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)であろう。
源平争乱で、平重衡(しげひら)が奈良の東大寺の大仏殿に火を放ち、殿舎も大仏をももろともに焼いてしまったあと、高野山にいた重源が奈良にやってきてこの惨状を見、全国に勧進して再建再鋳しようとした。
かれは法然流ではないが、本来念仏の徒であまりに念仏に凝ったために自分自身が阿弥陀仏だとおもうようになった。法然流ならそれは出て来ないが、重源は若いころ真言密教の行(ぎょう)にうちこんだから、密教の即身成仏の思想と論理が身についてしまっており、その論理からいえば、べつにおかしいことではない。
重源の生涯は、ひたすらな勧進だったといっていい。たとえば橋をかける勧進をしてまわり、当時、日本でもっとも長い橋のうちである瀬田の唐橋や大阪の渡辺橋の修築もやった。湯屋(大衆浴場)を各地に建ててまわる勧進をしたこともある。最後の勧進が大仏勧進で、六十歳をすぎてからで、八十六歳でなくなるまで大仏の再興のために駆けまわった。
重源が、どんな人間だったかは、知る手がかりがすくない。鎌倉期の作の木造が東大寺にある。 頭蓋骨がくるみにように厚くて頑丈そうで、目鼻立ちも大ぶりであり、これなら勧進聖(かんじんひじり)の大親方が、いかにもつとまりそうである。
「自分は三度も宗の国へ渡った」
などと自称していたそうだが、むろんホラであろう。しかし多少はホラを吹いて自己を大きく演出できるようでなければ、大仏再興という勧進のキャンペーンなどはおこせなかったかもしれない。
この俊乗房重源が高野山において住んでいた別所が、いまからゆく真別処谷なのである。
P236
五来(ごらい)重氏の研究では、平安末期から鎌倉初期にかけて真別処(新別所)に住んでいた聖たちは道心の堅固さで知られていたという。
この谷の聖たちの親方である俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、とくに道心堅固な聖をえらんではこの谷に住まわせた。聖の集団とおうのは売僧(まいす)くさい猥雑なものだが、重源はそれをきらい、人柄から厳選してかかったというのは、高野聖の歴史の中でもめずらしいといわなばならない。
当時、聖の出身はさまざまであったであろう。貧窮の中で育ってもうまれつき才覚のある者は、 ―聖にでもなって面白おかしく世をすごすか。
ということになったかもしれず、そういう連中が聖渡世をすると、肉をくらい女とも戯れ、米銭をむさぼって、なかなか強(したた)かなものであったにちがいない。
それに対し、重源が選んだ真別処谷の聖たちは、源平の争乱などで敗者の側に立った者が多かったといわれる。米銭が自然に身のまわりになる階層にうまれ、しかも没落し、そのはかなさを知ってみずから求めて無一文の境涯に入っただけに、過去の豊かさにももどりたいという気がすくない。
聖はふつう妻帯して在俗生活をしているものだが、重源にひきいられたこの真別処の聖たちは女色も遠ざけ、本来の聖の渡世である遊行(ゆぎょう)や勧進という米銭を得る暮らし方をとらず、この山林にこもって外界とまじわりを断ち、ひたすらに不断念仏に身をゆだねていたという。
食ってゆくということについては、重源が面倒をみた。重源がたえず外界に出てはその広い顔を生かし、寄付などを集めてまわった。重源は世話好きである一面、勧進にかけてはけたはずれの名人であった。
晩年に、草莽(そうもう)の聖でありながら大仏再興という歴史的な大勧進をやってのけたのも、右のような勧進の積み重ねが若いころからあったせいであろう。
重源の名は、かれと同時代の著作物である「愚管抄」にも出ている。「愚管抄」はいうまでもなく、鎌倉期の僧慈円が著した歴史書である。
慈円は、野の聖の重源とはちがい、僧官としては最高の天台座主の地位につき、その氏は藤原氏で、月輪関白(つきのわかんぱく)の異称である兼実の実弟である。慈円からみれば重源などはいかがわしいだけの存在で、好意がもてようはずがない。
~中略~
支配階級の慈円には理解しがたいことだろうが、重源にすれば聖だけに宗派の思想に拘束されず、自由にものを考えることができる。たとえばおなじ念仏者でも法然は叡山から出ただけに顕教的に念仏をとらえ、阿弥陀如来を他者とし、その本願を絶対他力とし、その他力(阿弥陀如来の本願)に身をゆだねるという思想をもっている。
重源は高野山で空海の密教に影響されただけに、阿弥陀如来を他者と考えず、法を修めれば促進にして自分が阿弥陀如来という普遍的存在になりうると信じている。
遠い世の空海がきけば驚くにちがいないが、空海の即身成仏の理論を阿弥陀信仰にあてはめたのである。
街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
地上に富を蓄えてはならない [宗教]
一遍と熊野 [宗教]
南北朝以降、熊野信仰を全国に伝えたのは神道でも修験道でもなく、一遍が始めた時宗という仏教の一派だった。
そこにもミスティシズムがかかわっている。一遍の熊野における覚醒体験というか夢のお告げがなければ、時宗の融通念仏のその後の爆発的な流行も起こらなかったであろう。
~中略~
そもそも浄土真宗の蓮如は五人の妻をもち、二十七人の子をもうけたことが知られているいるが、高僧と呼ばれる人ほど異常な精力をもて余したことはご存知のとおりである。
一遍の場合も例外でなかったのであろう。ただし、一遍が二人の妻をもったこと自体は、当時それほど道を外れた行いでもなかったかもしれないが、五来重(ごらいしげる)は「そのためにヒトの遺恨を買う所行があっただろう」と推測している。(五来重「熊野詣」講談社、二〇〇四年、九二頁。)
おそらく痴情怨恨の類(たぐい)でちょっとした騒動にまで発展したのかもしれない。
一遍上人ら一行は、それをきっかけにして、融通念仏の聖として「南無阿弥陀仏」と書かれた念仏札を配って人びとに念仏を勧める旅を始めたのだった。
彼らは高野山を経て熊野本宮に向かおうとするのだが、その途中で出会った僧に念仏札を渡そうとして、断られる。
一遍らにとってそんなことは初めての経験だったので、「信心が起こらなくてもけっこうだからお札を受けとってくれ」と強引に手渡してしまう。
しかし、果たしてそれでよかったのかどうか迷いつつ熊野本宮にたどり着くと、証誠殿(しょうじょうでん)で次のような託宣を得る。「融通念仏を勧める聖よ、なぜそんなやり方をするのか。衆生はあなたの手によって往生するすのではなく、すでに阿弥陀仏によってそうなる定めになっている。信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、その札を配るべし」と。
このことは日本の浄土信仰に大きな転換をもたらした事件であった。
「衆生はすでに阿弥陀仏によって往生することが決まっている」という教えは、もともと天台の本覚思想に基づいた考え方であったが、改めて「お前が念仏を唱えさせたからその人間が往生するわけではない」と諭されて、一遍は自分の誤りに気づいたのだった。
それ以来、「信不信をえらばず、浄不浄をきらわず」は時宗の合言葉ともなったのである。こうして、時宗はその教えの素直さと「踊り念仏」という人と神仏との間の境を乗り越えようとする姿勢とによって、ついには一世を風靡することになったのだった。
~中略~
時宗では、一遍が熊野本宮で託宣を得た年を特別に一遍成道の年として祝っているし、大斎原(おおゆのはら)には一遍を記念する「南無阿弥陀仏」と彫られた石碑が残されている。
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P87
法然 [宗教]
法然の配流は、気の毒というほかない。
その配流は、後鳥羽上皇のごく私的な感情に発している。上皇が寵愛していたらしい二人の女官が、法然の弟子のうちの公家出身の二人の僧と恋愛関係をもったということで、その一件とは何の関係もない法然とその弟子たちを遠国に流し、教団を事実上壊滅させた。
法然という人は日本最初の民衆的教団の開創者というにはおよそふさわしくないほどに円満な人柄で、どうもうまれつきであったらしい。争いを好まず、ひたすら既成の権威や俗世の権力に対して衝突を避け、自分の思想と信仰を手固く守ってきた。が、結局は七十五歳という晩年になってくだらないことで大弾圧をうけ、配流の身になってしまったのだが、しかし一面、浄土教の発展という面ではよかったかもしれない。
街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P186
禁欲と無欲 [宗教]
「かゆいときに掻くと気持が良いけれども、
たくさん掻いた気持の良さよりも、
全然かゆくないことのほうが、もっとよい」
ナーガールジュナ(龍樹)
ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ (著), Tenzin Gyatso H.H.the Dalai Lama (原著), 谷口 富士夫 (翻訳)
ダライ・ラマ 365日を生きる智慧
春秋社 (2007/11)
P91
信仰の敵は信仰そのものの裏にある [宗教]
菩薩とは人心の機微のあわいを遊行してゆくもの、云わば微妙さに身を横(よこた)えているものだ。
信仰にとって最重大事は、微妙な心に精通することである。生硬な信仰は無信仰よりも罪悪的だ。人に懺悔(ざんげ)を強(し)い、告白を聞いて裁断し、触るべからざる悲しみに触れて、一層人の心を傷つけるような信仰者がある。たとえば中宮寺の庭を泥足で歩むようなものだ。人間の心に粗暴な足跡を印することは最大の罪悪だ。
信仰の敵はいつでも信仰そのものの裏にある。外からの迫害は決して恐るべきものではない。
法難とは信仰の拙劣な自己弁解にすぎない。
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P115
知性は信仰の妨げになる [宗教]
P50
唯一者への全き帰依を阻むものとして、近代の知性を挙げてもよい。信仰という分別を超えた問題に面すると、僕の知性は猛烈な抵抗を開始するのだ。
すべてを割り切ることの不可能はよく知っている。知性の限界を心得ている筈だ。それでいて知的な明快さを極限まで追い、合理的に説明しつくそうという欲求にかられるのである。
現代人にとっては、こうした知的動きは賞賛(しょうさん)さるべきものらしいが、僕にとっては「罪」なのだ。比較癖とともにいつも自分を苦しめるのである。
~中略~
知性は博物館の案内人としては実に適任であろう。だが信仰の導者としては「無智(むち)」が必要だ。
「無智にぞありたき。」と述懐した鎌倉時代の念仏宗のお坊さんの苦しみがわかるような気がする。
人は聡明(そうめい)に、幾多の道を分別して進むことが出来る。しかし愚に、唯一筋の道に殉ずることは出来難い。冷徹な批判家たりえても、愚直な殉教者たりえぬ。
そういう不幸を僕らも現代人として担っているのではないだろうか。宗教や芸術や教育について、様々に饒舌(じょうぜつ)する自分の姿に嫌悪(けんお)を感ぜざるをえない。
「愚」でないことが苦痛だ。それともこんなことを言っている僕が、愚にみえるだろうか。
P76
崇高なものに絶えずふれておれば、おのずから人の心も崇高になるであろう。
古典を学ぶことによって、我々の心もひらかれるであろう。しかし、そのひらかれた筈(はず)の心が、自らを高しと感じ、古典の権威を自己の権威と錯覚するようになったらどうか。
遺憾ながらこの錯覚から免れている人は尠(すくな)い。古典や古仏を語る人間の口調をみよ。傲慢(ごうまん)であるか、感傷的であるか、勿体ぶっているか、わけもなく甘いか。
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
目次 宗教 [宗教]
宗教
- 宗教の役割
- 宗教と規律
- 十善戒 -宗教と道徳-
- 宗教というもの
- なぜ祈る
- 知性は信仰の妨げになる
- 信仰の敵は信仰そのものの裏にある
- ギリシアの神々と日本の神々
- ギリシャの神々とイスラエルの神
- 天皇と宗教
- 神道
- 感謝の心
- 生かされているという心
- 加持祈祷
- 巡礼
- 浄不浄をきらわず
- 天之御中主神
- カミとホトケ
- 老仏儒
- 仏教が出現した時代
- 自帰依 法帰依
- 自明灯
- 最後の言葉
- 釈迦の仏教
- ブッダの教えは宗教ではない
- 「自己を考察し、思索する宗教」が仏教
- おのれを制(ととの)えよ
- マインドフルネスを育てる
- 釈尊の教え
- 六波羅蜜を行じる
- 自己調節、自己管理の教え
- 釈迦の仏教と大乗仏教
- 方便と智慧
- 禁欲と無欲
- 唯識
- 大乗仏教運動
- 薬師如来の本願
- 維摩経
- 勝鬘経
- 無常の世だから共感で生きる
- 清浄な仏国土の建設
- 大般若経
- 四摂法
- 四弘誓願
- 「般若心経」のこころ
- 行基
- 世間虚仮 唯仏是真
- フラクタルな「華厳経」ワールド
- 山川草木悉皆成仏
- 空海
- 重源
- 本気度
- 仏になろう
- 禅の世界
- 禅のすすめ
- 十牛図
- 栄西
- 経だらにというは文字にあらず
- 道元
- 無所得・無所求・無所悟
- 明聞我執を捨つべきなり
- 親鸞と道元
- 法然
- 親鸞
- 浄土仏教
- 他力の仏教
- 白骨章
- 二河白道(にがびゃくどう)
- 帰るところがある
- 還相廻向
- 念仏の教え
- 悪人正機
- 一遍と熊野
- 「他力」こそ「自力」の母である
- 日蓮
- 火宅を抜け出せ
- 法華経を説く人
- 法華経の真実
- 法華経のキモはどこか
- 生存欲求とソウショク系男子
- 人間けだもの
- 自利・利他の教え
- 仏教徒は慈悲と智慧を思え
- お盆(盂蘭盆)
- お仏壇
- ラマ教
- 他教徒をも迫害してはならない
- 手をあわせる
- 真理を見る者は私をみている
- 悪魔の誘惑
- 地上に富を蓄えてはならない
- ユダヤ教の出現した時代
- 油注がれた者
- 聖書の読み方
- キリスト教
- 三位一体
- 新約聖書は哲学というより文学
- キリスト教徒の理性
- 神の計画
- 神の国
- 偶像崇拝がなぜいけないか
- 一神教のGod(神)
- 主が唯一の神である
- イエスははたして人か神か
- キリスト教の正統
- キリスト教とルネサンス
- カトリックとプロテスタント
- 神との対話のなかで自分を見つめる
- なぜコーランが絶対か
- マホメット
- 非ムスリムも神が御許に召される
- 震災と浄土教
- 死をどう捉えるか
- 殉教
- 死の国
ラマ教 [宗教]
この仏教は、たしかにインドで成立したものだが、仏教というよりも、いわゆる左道密教なのである。
左道というのは、邪道という意だが、インド仏教の衰亡期の寸前にあらわれた派で、人間の欲望を積極的に肯定し、性交を密教原理の具象的あらわれとし、かつ秘儀とするものであった。これがインドから北上して八世紀のチベット高原に入り、九世紀以後、定着した。
モンゴルに入るのは、ずいぶん遅かった。十六世紀の明代だった。土着の宗教であるシャーマニズムを衰弱させる勢いでひろまったのは、清朝になってからである。
ラマ教にあっては、生身(いきみ)の活仏を観音菩薩または阿弥陀如来であるとするのである。
ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P214
ロシアについて 北方の原形 (文春文庫) [ 司馬遼太郎 ]
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釈尊の教え [宗教]
釈尊の教えの中核になるのは縁起という考え方である。
それは次の三項目にまとめられている。
◎因・・・種があって草が生えるように、それが生じた直接の原因をいう。
◎縁・・・すべては、いろいろな関係(状況・条件)によって生じる。
◎果・・・因と縁によって生じた結果。その結果がまた、因となり縁となっていく。この果を受けることを「報(果報)」という。
この縁起を基本に、声聞は四諦、縁覚は十二因縁、菩薩は六波羅蜜によって仏道を修めるものと法華経は語っている。
四諦八正道
「諦」は「あきらめる」ではなく「あきらかにする」という意味。
◎苦諦・・・人生は苦である。いたずらに苦から逃れようと考えてはならない。
◎集諦・・・苦はさまざまな原因が集ったところに生じる。その原因を見きわめなければならない。
◎滅諦・・・苦しみの原因を知り、それを取り除けば、苦は滅びる。
◎道諦・・・苦を滅ぼすためには、正しく修行しなければならない。それには、次の八正道がある。
①正見・・・偏見にとらわれず正しく見ること。
②正思・・・考え方を正しくすること。
③正語・・・正しく語ること。
④正業・・・行いを正すこと。
⑤正命・・・正しく生活すること。
⑥正精進・・・正しく努力すること。
⑦正念・・・正しく思念すること。
⑧正定・・・「定」は禅定と同じ。心を統一すること。
>>>十二因縁
>>>六波羅蜜
三法印と空
縁起の思想もまた、「三法印」と呼ばれる三項目にまとめられている。
◎諸行無常・・・「諸行」はあらゆる現象のこと。それは常に変化している。
◎諸法無我・・・「諸法」はあらゆる事物。自我を含めて、すべてはあらゆるものとの関係において存在している。
◎涅槃寂静・・・「涅槃」も「寂静」も悟りの平安な境地を言う。「諸行無常」「諸法無我」を見つめることによって平安に達せられる。
諸法は無我であって固定的な実体を持たない。この事を「空」という。
空の場においては、すべての事物・現象は因・縁・果の連鎖になり、すべてが関連しあって変化してゆく。この空を「虚空」ともいう。
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P56
禅の世界 [宗教]
ある日のこと釈迦牟尼仏が、聴衆が多数に集まっている中央の説法の座についた。
大衆は今日もありがたいお話が聞けるものと思い、緊張して釈尊の口許を見守っていた。釈尊は一言も発せず、会座の前に供えてあった一枝の花を取り、目の高さにもち上げて、二本の指でその花を何遍か拈った。
だれもそれが何の意味を示すか全然理解しなかったが、迦葉(かしょう)尊者はやがてにこっと微笑した。拈華微笑(ねんげみしょう)という。
その微笑を見た釈尊はすかさず、「今わたしが考えているこの法門を汝に付属する」といった時に、禅が釈尊から迦葉に伝わったものなのである。
これは文字通り以心伝心で、相互の心の触れ合いだけで重大な取り引きが行なわれ、言葉や文字などは一切使用しなかった。それで禅宗では、
不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏
といい、経典とか解釈とかいうものを少しも重視せず、これらの文献は月を指す指のようなもので、最初に月ははどこにあり、どれが月であるか全く知らない時は、「あれが月だ」と指さす指が必要であるが、一度真如の月を知った以上、指は重要性がないのと同じように、究寛の目的である宇宙の真理を知るのには経文や仏画や仏像もそれほど重要性がないと説くのである。
それで「不立文字」という。釈尊の説法によらず別に心と心との触れ合いで重大な取引が完成したから「教外別伝」といい、直接に心と心の取り引きがあるから「直指人心」という。
そして宗教的最後の目的である「見性成仏」に達成するのが、禅の根本的な考え方であって、仏教の各派の行き方や考え方と全然異なるものをもっているのである。
続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P179
カトリックとプロテスタント [宗教]
腐敗を極めるカトリック教会に対して、一五一七年、敢然と「九五ヵ条の論理」を突きつけたのがマルチン・ルターであり、バチカンに反感を抱いていたザクセン公の後援により抵抗運動は広がる。やがて、ヨーロッパをカトリックと二分するプロテスタント(抵抗する者)が形成されていき、東方正教と合わせてキリスト教三大宗派の地位を築く。
ここまでは一応、日本の教科書にも書いてある。問題は、なぜ贖宥(しょくゆう)状が許せなかったかである。ルターは単に「クリーンな協会」を目指したのではない。現代社会の宗教原理主義をはるかに凌駕する危険思想ゆえに、ローマ教会に楯突いたのである。
プロテスタントの教義の本質は豫定(よてい)説である。すなわち、天地開闢(かいびゃく)のときから終末まで、すべて全能の主(God)によって豫(あらかじ)め定められている、という考え方である。 この世で起きる理不尽な事象も、人間には計り知れない主の意思により完璧に定められていると考える教義である。
理の当然として、人間に自由意志はない。天国に行く者も、天地開闢のときに定められているのだから、教皇に贖宥状を発行する権利などない。これがルターの主張の本質である。
ルター派は一五二五年のドイツ農民戦争で、自分たちの信仰よりもスポンサーであるザクセン公の利益を優先した。そのルター派を批判して成立したのが、カルバン派である。 フランス人のジャン・カルバンは流浪の末にスイスのジュネーブの街で神権政治を行なう。つまり、宗教原理主義者が国を乗っ取って、恐怖政治を敷いたのである。
カルバン配下の「夜回り隊」は市民生活に入り込み、「正しい信仰生活を送っていない」と見なされれば、宗教裁判の後に処刑された。もちろん、疑われたという事実が有罪の証拠である。「夜に音楽を聴いていれば、正しい信仰を捨てたので処刑」が、当時のジュネーブである。
ちなみに、ルター派やカルバン派のようなプロテスタントは、現在も世界中で影響力を持っているが、あまりにも危険すぎてルター派やカルバン派からも排撃され、絶滅させられたツヴィングリ派という宗派もある。
日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P55
明聞我執を捨つべきなり [宗教]
仏菩薩は人の来て請ふときは身肉手足をも截れり。
況や人来て一通の状をこはんに、名聞計(ばか)りを思うてその事を聞かぬは是れ我執深きなり。
~中略~
理非等のことは我が知るべきに非ず。只一通の状を乞へば与ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ人にも云ひ状にも載すべけれ。
請け取て沙汰せん人こそ理非をば明らむべけれ。
吾が分上にあらぬ此(かく)の如きのことを、理を枉(まげ)てその人に云んことも亦非なり。
~中略~
所詮は事に触て明聞我執を捨つべきなり。
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P38
ブッダの教えは宗教ではない [宗教]
あるときブッダに感銘を受けたひとりのバラモン司祭がかれに「バラモン教をやめるので弟子にしてほしい」と頼んだことがあります。
それに対するブッダの答えは、筆者には素晴らしいものに映ります。
「君はバラモンの司祭として信者の人々に儀式をあげる宗教の仕事をしている。
仕事を投げ出して私のところにきたら無責任だろう。君は今のまま仕事をつづけて、休みのときは私に瞑想を習いにくればいい」と。
ここからは、ブッダに教わるために、他の宗教を否定する必要はないのだということが読みとれることでしょう。
そしてここでブッダは間接的に、自分の教えているのは宗教ではないということを言っているように思われます。
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
浄不浄をきらわず [宗教]
熊野詣が盛んになった背景にはいくつもの「物語」は必要であった。この地でいかなるご利益があったのか、いかなる奇跡が引き起こされたのか。多くの人びとがそれを待ち望んだことから、熊野をめぐるさまざまな説教節(仏教的な説話を興業的に語って聞かせるもの)が日本中に広まっていくことになる。なかでも小栗判官が湯の峰温泉のつぼ湯で蘇生したというエピソードほど人気を博した物語は他にないだろう。
~中略~
この物語が広く普及したのには、その背景に「浄不浄をきらわず」という熊野信仰の神髄がよく表されているからだといえよう。
それでなくとも、小栗の精力絶倫ぶり、照手姫とのロマンス、閻魔大王、餓鬼阿弥、供養、死と再生、熊野の霊験、つぼ湯の奇跡など、読み物としても奇想天外のおもしろさを兼ね備えており、その流行により、熊野と「小栗判官」とは切り離すことができない関係となっていったのである。
この「浄不浄をきらわず」という点において、「小栗判官」と並んでよく引き合いに出されるのが、和泉式部の熊野詣のエピソードである。
彼女は伏拝(ふしおがみ)王子付近にやってきたところで月の障り(生理)になってしまい、これではせっかく来たのに本宮参拝もままならぬと次のような歌をよんだ(加藤隆久監修「熊野大神」」戎光祥出版、二〇〇八年、一四八-一四九頁)。
晴れやらぬ 身のうきくものたなびきて 月の障りとなるぞ悲しき
(せっかくここまで来たのに、こんなところで月の障りにあってしまうなんて)
ところが、その夜に熊野権現が夢に現れて、次のように告げたという。
もろともに 塵(ちり)に交わる神なれば 月の障りもなにか苦しき
(もともと世俗と交わる神であればこそ、月の障りなどまったくかまいませんよ)
その信託を得た和泉式部は無事に本宮参拝を果たすことになる。
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P80
ギリシアの神々と日本の神々 [宗教]
ギリシアの神話と日本神話―従って、我々の昔話―との類似は、単にひとつのモチーフの共通性ということではなく、実はその根本的な構造において一致点をもっている。
それは、男性神の暴行によって、大女神が怒って身を隠し、そのため世界は実りを失って困りはてるが、神々がさまざまな手段によって大女神の心をやわらげ、それによって世界の状態が正常に復す、という根本構造において一致するのである。
昔話と日本人の心
河合 隼雄 (著)
岩波書店 (2002/1/16)
P87
山川草木悉皆成仏 [宗教]
平安時代の終りに「天台本覚論」という思想が生まれ出ました。天台本覚論の合言葉は「山川草木悉皆成仏」という言葉です。
山や川も、草や木も、すべて成仏する。動物はもちろん、植物や鉱物、山や川まで仏性を持っていて、仏になれる。仏性を持つものの範囲 が広がったんです。そういう思想が平安時代の終りにでて、この思想が土台になって鎌倉仏教が生まれてくるわけです。
これはインドにはないんだ。インドでは、動物までは有情、つまり生きているものだと言える。植物に果たして仏性があるか。植物までは仏性はないんじゃないかという考え方のようです。
梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P24
真理を見る者は私をみている [宗教]
P198
イエス
イエスは言われた。「私は道であり、命である。私を通じてでなければ、誰も父のもとへ行くことはできない。フィリポよ、今までずっと一緒にいたのに、まだ私のことをわかっていないのか。
私を見る者はみな父をみたのだ。なぜ「私たちに父をお見せください」などと言うのか。私はあなた方をみなしごにはしない。あなた方のもとに戻ってくる。もうすぐ世は私を見ることができなくなるが、あなた方には私が見える。私が生きているので、あなた方も生きるからである。
その日には私が父の中におり、あなた方が私の中におり、私があなた方の中にいるのが分るだろう。
私の戒律を受け入れ、守る者は、私を愛するものである。私を愛する者は私の父に愛される。わたしも彼らを愛し、彼らの前に姿を示す」
ヨハネ伝
P199
ブッダ
たとえ修行者が私の衣の端を握り、私に一歩一歩ついて歩いたとしても、心が強欲で、軽率で、自制心に欠けていれば、彼は私から遠く隔たっているし、私も彼から遠く離れている。
なぜそうなるのか。弟子たちよ、その修行者は真理(ダルマ)を知らないからである。真理を見ない者は私を見ていないのである。
たとえ修行者がはるか遠くにいたとしても、心が強欲でなく、激しい執着を持たず、他人の不幸を喜ぶ気持ちがなく、邪悪な心を持たず、沈着で、平静で、思慮深く、気持ちの抑制がきいているならばー彼は私に近しい者であり、私もまた彼のそばにいる。
なぜそうなるのか。弟子たちよ、その修行者は真理を知っているからである。真理を見る者は私をみているのである。
イティヴッタカ
今枝 由郎 (翻訳), 鈴木 佐知子 (翻訳), 武田 真理子 (翻訳), マーカス・ボーグ
イエスの言葉ブッダの言葉
大東出版社 (2001/10)
清浄な仏国土の建設 [宗教]
リッチャヴィの若者たちはブッダに最上の敬意を表したのち、おのおのが手にした七宝の傘をうやうやしくブッダにささげます。
すると威神力と呼ばれるブッダの法力によって、一瞬のうちに五百本の七宝の傘はただ一個の巨大な傘となり、あらゆる世界(三千大世界)をもとの大きさのままで、すべて覆ってしまいます。
維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
P33
マインドフルネスを育てる [宗教]
わが師ブッダよ。ただ今ここに戻りなさいというあなたの教えを知ってはいても、必ずしも私は、今ここにゆるぎなく解き放たれていられるわけではありません。
目の前の出来事に心を奪われ、自分を見失うこともあるでしょう。私がほかに心を引かれ、安定と自由とを失っても、マインドフルネスがそれを気づかせてくれます。
私はときには、今ここに起っていることから逃げ出したり、それにしがみついたりします。どちらの場合も、自分を見失っています。
マインドフルネスの実戦によって、私は執着も嫌悪ももたずに、今起こっている事実を認めることができます。自分の中とまわりに起こっていることを、ありのままに認識する実践ができるのです。
それによって、私の心には安定と自由がもたらされます。
わが師ブッダよ。あなたは、安定と自由こそ涅槃の基本的な要素だと説きました。
私は毎日、ありのままの認識する瞑想とマインドフルネスをたゆまず実践していきます。
私は、手を洗っていることに気づきながら、手を洗います。私は、茶碗をもっていることに気づきながら、茶碗をもちます。
イライラという思いのかたちがあらわれたときには、イライラがあらわれたことに気づきます。
執着という思いのかたちがあらわれたときには、執着があらわれたことに気づきます。私は、未来に対する心配や、人に対する優越感・劣等感や同等意識などをもたずに、今ここに起るあらゆることを認めてほほえみます。
大地に触れる瞑想―マインドフルネスを生きるための46のメソッド
ティク・ナット・ハン (著), 島田 啓介 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P52
生存欲求とソウショク系男子 [宗教]
釈(住人注;釈徹宗) 負のエネルギー、負の連鎖ですね。人間はエネルギーが過剰なので、常に調えないと負の連鎖が始まる。イデオロギーの基盤もそこにあるがゆえに次第に極端な方向へとすべっていくのですね。
仏教はそこに苦悩の根源があるとするので、えらい恐ろしい話ですよ。仏教で癒されるなんてとんでもないかも(笑)。
いわば、生存欲求まで滅してしまって、野に咲く花のように生きるいいますか・・・・・。ある意味、そこに理想があるようなものすごい体系だったりして。
宮崎 野に咲く花にも生存欲求みたいなものはあると思うけどね。
釈 ありますかね。とにかく、仏教の語りを聞いていると、動物より植物のほうが偉いような気がしてくるでしょ。
宮崎 うん。その気持ちは少しわかります。とすると、草食系男子の増加はいいことなのか(笑)。日本の若い男の子たちのあいだで心性レヴェルにおける仏教化が進みつつある!?
釈 そうか、草食系男子は仏教徒か。どうだろう、違うと思いますけど(笑)。ん?。いや、草食系男子は僧職系男子かな。
宮崎哲弥 仏教教理問答
宮崎哲弥 (著)
サンガ (2011/12/22)
P84
勝鬘経 [宗教]
「勝鬘経(しょうまんぎょう)」の重要な点は、女人の説法であるということです。在家仏教、家にある人々が仏教を実践するという、そういう仏教の動きの理想は「維摩経」のところで述べましたが、それより後代にあらわれた「勝鬘経」のなかにもはっきり出ています。
この経典は、釈尊の面前において国王の妃である勝鬘夫人(ぶにん)が、いろいろの問題について大乗の教えを説き、それにたいして釈尊はしばしば賞賛のことばをはさみながら、その説法をそうだ、そうだと言って是認するという筋書きになっています。
当時の世俗の女人の理想的な姿が「勝鬘経」のなかに示されています。
「勝鬘経」の原名は「シリーマーラー・デーヴィー・シンハナーダ・スートラ」(略(住人注;表記できません))というのですが、「シリーマーラー」というのは、めでたい花輪という意味です。それを漢字で勝鬘と訳しました。すぐれた花飾りということです。「デーヴィー」というのは王さまのお妃のことですが、それが師子吼(獅子吼とも書く)をした経典ということです。
つまり、勝鬘という王妃が獅子のほえるように偉大な教えを説いた経典ということです。大乗仏教の精神を華麗な芸術的・哲学的表現をもって鼓吹したものです。
『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典)
中村 元
(著)
東京書籍 (2003/06)
P75