ギリシャの神々とイスラエルの神 [宗教]
神の国 [宗教]
死をどう捉えるか [宗教]
玄侑 私たち坊さんにしても、毎日の死の現場の相手は個人です。けれども、大災害や戦争など、大量死の現象をどう受け止めるかは宗教が問われざるをえない問題です。
たとえば「ノアの箱舟」です。大洪水があって、みんな死んでしまったのに、ある一家だけが助かった。これはいったいなぜか。いわば、お隣は助かったのに、うちはダメだった、その理由ですよね。
キリスト教はそこにまで神の意思を見ようとする。かなりしんどい作業だとおもうのですけれども、キリスト教は神の意思を持ち出してなんとかこれを説明しようとしたわけです。
集団の中の一人の死は偶然に過ぎないとはキリスト教はいえなかった。どの宗教でも信者になかなかそうはいえませんよ。「偶然だ」とずばりと言い切ったのは、老子くらいでしょう。
山折 キリスト教の場合は神との契約によって選ばれた人間は生き残る、そうでない人は死ぬんだ、地獄に落ちるんだという選民思想がありますからね。
ところが老子もそうですけれども、仏教ではどのように考えるかというと、人類が滅亡するならば、自分も一緒に滅亡しようという感覚がある。一人だけ生き残ろう、そのための理屈を考えようという発送あまりない。
仏教的な無常観が根底にあると私は思います。
玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P45
足立美術館2
行基 [宗教]
行基はすごい人です。聖徳太子は仏教を貴族に布教したけれども、行基は民衆に布教して、仏教を民衆の底辺まで広げた。
行基はあち こち旅をして、道を直し、橋をつくり、布施の行をした。そして寺をつくり、仏をつくった。
行基がつくった仏は、木の仏です。
~中略~
木というのはもともと神さまの宿るものです。神さまである木から仏が出現してきた。
日本の神さまはだいたい異相です。吉野の蔵王権現がそうでしょう。だから行基仏は神さまに似て異相をしているんです。
奈良時代にこの ようにして木彫仏が造られ、平安時代にはこの木彫仏が全盛して、ほとんど金銅仏や乾漆仏は造られなくなりました。
木彫仏の制作そのも のが神仏習合を示しています。
このさきがけをなし、しかも木彫仏を造り始めたのが、白山信仰を始めた泰澄らしいのです。泰澄が行基に 神仏習合の思想と木彫仏制作を教えた。
梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P227
臼杵石仏山王石仏
禅というもの [宗教]
四弘誓願 [宗教]
巡礼 [宗教]
「巡礼」という宗教行為は、巡礼し巡拝する人間と神々や仏・菩薩たちとの精神的な出会いを象徴する行為であった。
いうまでもないことだが、聖地や霊山への道行きの旅の中で、巡礼者たちは神や仏のイメージを思い浮かべつつその加護を祈っている。彼らは現世利益という約束手形に期待の胸をふくらませながら、おごそかな社殿や伽藍に憧憬のまなざしを向けているのである。
受難のたびにも似た長い巡礼の旅路を終えたとき、彼らは慈愛の光にかがやく仏・菩薩のふところに包みこまれ、恍惚感にひたる。そして神域の森厳なたたずまいに一切の汚れが洗いながされ、心身の蘇りを確信するのである。
思うに、「巡礼」という行為を通した神や仏との出会いは、もう一つの人生の発見へと彼らをみちびくのではないであろうか。
山折 哲雄 (著)
神と仏
講談社 (1983/7/18)
P174
室生寺奥の院へ
宗教と規律 [宗教]
宗教というのは、「人を特定の生き方に導く活動」である。これは、絶対者の存在を認める、認めないにかかわらず、およそ宗教と言われるものすべてに共通する特性だ。ユダヤ教にはユダヤ教の生き方、イスラム教にはイスラム教独自の生き方というものがある。
個々の宗教は、その宗教独自の生き方というものを定めていて、内部メンバーにはそれを守ることを強要し、さらにはそれを外部の人たちにも勧めようとする。それが「教えを守り、教えを広める」ということの意味だ。
したがって、宗教には、「その宗教が持つ独自の生き方で生きるための指針」というものが必ず存在する。どんな宗教にも、「このようにせよ」「このようにしてはいけない」という、生活上の規範というものが存在するのである。
それは、明文化されることなく、なんとなくメンバーの間の了解事項として伝えられていることもあるし、体系的にまとめられ、あいまいさのない厳密な規範集として伝持されていることもある。
いずれにしろ、宗教には、その宗教独自の、「定められた生活規範」がある。
佐々木 閑
生物学者と仏教学者 七つの対論
斎藤 成也 (著), 佐々木 閑 (著)
ウェッジ (2009/11)
P144
主が唯一の神である [宗教]
十戒 とはあくまで、特定の神との関係においのみ意味を持つものなのです。
しかし、これは逆に考えると、ほかの神との関係を想定していることでもあります。
~中略~
つまりほかの神々に心を奪われるなと行っているのです。これは、十戒を与えた神がほかの神々を強く意識していたことにほかなりません。
大城 信哉 (著)
あらすじと解説で『聖書』が一気にわかる本
永岡書店 (2010/4/10)
P95 旧約聖書
おのれを制(ととの)えよ [宗教]
天之御中主神 [宗教]
人間けだもの [宗教]
やはりお坊さんとて人間です。弱いところもあるはずなのに、偽善ぶっていつまでも偉そうに説法しているのでは、ファンはついてこないに違いありません。
書家の相田みつをの有名な言葉に「人間だもの」というのがあります。
これに「け」の一字を入れると、「人間けだもの」。
「けだもの」だからといって、それがすべて悪いわけではありません。
お坊さんとて、「人間けだもの」の自覚をもって、「弱さ」や「おもしろい」を積極的に取り入れてみてはいかがでしょうか。
その上でそれをどう制御していくか、そのことを考えるのが宗教だと私は思います。
マイ仏教
みうらじゅん (著)
新潮社 (2011/5/14)
P131
無常の世だから共感で生きる [宗教]
私たちはこの世に生まれてきた以上、必ず老い、病み、やがて死なねばならない無常の存在です。たえず変化していくこの身に、我と呼ばれるような永遠に変わらない実体がないのは、当然のことというべきでしょう。
しかし、そうだからといって、病の床に伏す人に、ただこの身は無常・無我であって、はかないものであると説くのではなく、むしろわが身の無常・無我であることを人々に示して、いまこのときを精一杯生きるように積極的に教え導け、と説かれなければならない、とされるのです。
維摩の言葉の中でもう一つ重要なものは、「自分の病気から推して、他人の病気をおもいやり、その苦悩を知る」ということです。
維摩の利他行の基本は、苦しみ悩む人々と同じ立場に立つこと・その人々と共感することであり、それが大悲と呼ばれるということはすでにお話ししたとおりです。
維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
P130
維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典 (NHKライブラリー)
- 作者: 菅沼 晃
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2021/01/08
- メディア: 単行本
仏教が出現した時代 [宗教]
一夜に「五十金」や「百金」を受ける遊女によって代表されるような都市の文化、―それは、進展しつつあった貨幣経済の所産であった、ヴェーダの祭りに代表されるような農村共同体の文化とは本質的に異なったものである。 そうしてこのような爛熟した、退廃的な雰囲気の中から、それに対する解決、それからの脱離として、仏教などの新宗教が現れでたのであった。(ペリクレ-ス時代のアテナイがしばしば引き合いに出される。)
ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1980/6/16)
P225
ユダヤ教の出現した時代 [宗教]
橋爪 まず、年表をみてください(二七ページ)。
この年表は、エジプトの出来事と、メソポタミア(バビロニアやアッシリア)の出来事に、パレスチナ一帯(当時はカナンといっていました)の歴史が挟まれるかたちになっています。
両大国に挟まれた地域(カナン地方)に、イスラエルの人びとがいた。エジプトとメソポタミアの両大国に挟まれた弱小民族が、ユダヤ人だったという歴史がわかると思う。
島国で安全だった日本とは、まるで正反対なんです。
さて、ユダヤ教の成立時期なんですけども、だんだん出来ていったものなのではっきりしたことはいえない。
ヤハウェという神が最初に知られるようになったのは、紀元前一三〇〇~前一二〇〇年ごろだと思います。
そのころ、のちに「イスラエルの民」といわれるようになる人びとが、この地に入植しはじめた。神々のひとつとして、ヤハウェがあがめられるようになった。
~中略~
これだけ長い間に、ユダヤ教はずいぶんかたちを変えているので、以下、マックス・ヴェーバーの「古代ユダヤ教」(名著です!)を下敷きに説明します。
ヤハウェは、最初、シナイ半島あたりで信じられていた、自然現象(火山?)をかたどった神だった。「破壊」「怒り」の神、腕っぷしの強い神だったらしい。そこで、「戦争の神」にちょうどいい。イスラエルの人びとは、周辺民族と戦争しなければならなかったので、ヤハウェを信じるようになった。
~中略~
この「イスラエルの民」が元はどんな人びとだったか、実はよくわかりません。肥沃な低地を見下ろす山地に住み、羊や牛や山羊を飼っていた。
人種も文化もまちまちなグループの寄り合い所帯だったらしい。逃亡奴隷やならず者やよそ者もまじっていたかもしれない。
それが、定住農耕民と張り合おうというので、団結して、ヤハウェを祀る祭祀連合を結成した。ヴェーバーの言い方だと、「誓約共同体」(同じ神をいただく宗教連合)ですね。そして少しずつ、カナンの地に侵入していった。
旧約聖書には、モーセが人びとを率いて紅海を渡り、シナイ半島をさまよった「出エジプト物語」とか、モーセのあとを継いだヨショアが、エリコの町を攻略したとか書いてありますが、これはずっと後世に書かれたもので、その通りの歴史的事実があったとは信じられない。
じゃあ実際はどうだったのかというと、あんまり古いことなので、よくわからない。でもともかく、ときには平和的に、ときには実力で、先住民に割り込んで、カナンの地に定着した。そして、彼らの国をつくった。
この段階では、ヤハウェは、数ある神々のひとつです。カナンの先住民は、さまざまな神を信じていた。
ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P25
マホメット [宗教]
四十歳までのマホメットの宗教生活は、彼独特のものというよりも、従来のアラブの土俗信仰に満足できず、キリスト教・ユダヤ教の影響を受けつつ、新しい道を模索して禁欲的・瞑想的生活を送っていたこのハニーフと呼ばれた人びとと、ほぼ同じであったと見るべきである。
メッカは、アラブの土俗信仰のうち、最高の権威を誇っていた。町の中央にカーバと呼ばれる四角い神殿があり、黒い石と呼ばれる隕石が壁の一隅にはめこまれ、主神はアラーと呼ばれ、その下に約三百の男神と女神があり、そしてその神殿と市場を管理しているのがクライシュ族で、彼はその一員であり、今では裕福な商人としてアル・アミーン(信頼できる人)と呼ばれながら、なおかつ瞑想し模索するハーニフであった。そして、彼は、忠実な夫としても十五年を過ごして来た。
イザヤ ベンダサン (著), 山本 七平 (著)
中学生でもわかるアラブ史教科書―日本人のための中東世界入門
祥伝社 (2007/07)
P47
中学生でもわかるアラブ史教科書―日本人のための中東世界入門 (ノンセレクト)
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
維摩経 [宗教]
「維摩経」という経典は、徹底した在家主義をとる経典ですから、出家とはなにかという問題が折にふれて出てきます。出家とは、家庭生活や世間的なことがらにわずらわせられず、もっぱら修行生活にうちこむことをいいます。
そうだとすると、出家することによって、なにか功徳があるとか、利益が得られるとか考えること自体がおかしい、ということになります。
維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
P93
維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典 (NHKライブラリー)
- 作者: 菅沼 晃
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2020/11/11
- メディア: 単行本
神道 [宗教]
なぜコーランが絶対か [宗教]
彼がいかに自らを「単なる人」と規定しようと、周囲はそう思わず、ある者は彼を不死と考えていたらしい。従ってその普通の人間同様死は、メディナの人びとには大いなるショックであった。アーイシャの父で最初の帰依者の一人であるアブー・バクルが大声でコーランの一節を読み、人々をしずめた。
「マホメットは使徒にすぎない。彼以前にも使徒はいた。使徒が死ぬか殺されるかしたとき、お前たちは、それに背を向け去る(ような者たち)なのか」と。
以後彼のかわりにコーランが絶対となった。
同時に有名な「ラ・イラーハ・イッラ・アルラー、ムハンマド・ラスール・アルラー」(アラーのほかに神なし、マホメットはアラーの使徒)という美しい韻文が信仰告白となった。
イザヤ ベンダサン (著), 山本 七平 (著)
中学生でもわかるアラブ史教科書―日本人のための中東世界入門
祥伝社 (2007/07)
P64
中学生でもわかるアラブ史教科書―日本人のための中東世界入門 (ノンセレクト)
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
無所得・無所求・無所悟 [宗教]
仏道を学ぶ道において最も重要なことは座禅であり、座禅が第一である。大宋国(中国)の人が、数多く得道した(悟りを開いた)のも、みな座禅の力である。
であるから、修行者はただ座禅をして、ほかのことに関わってはいけない。仏祖の道はただ座禅であり、ほかのことに関わってはいけない。
(中略)
古人の悟りの言葉を学んで、少しばかり分ったようなつもりになっても、それがかえって仏の道から遠ざかる原因になることもある。
所得を求めず、悟りを求めないで、ただ座禅して時を過ごすことが、そのまま修行者の生き方なのである。
古人も、語録を見ることとただ座禅することを共に勧めているが、それでも座ることの方をよりもっぱらに勧めている。
古人の言葉を学んで悟りを開いた人もあるが、それも実は座った功徳によって悟りを開く因縁となったのである。本当の功徳は座ることにあるのである。
(巻六)
角田 泰隆 (著)
禅のすすめ―道元のことば
日本放送出版協会 (2003/03)
P102
お盆(盂蘭盆) [宗教]
お盆(盂蘭盆)の行事の発生については、いろいろな話が伝わってきている。
その中でも一般的な伝説は、釈尊のお弟子さんである目連尊者という方が、亡くなった自分の母親が餓鬼世界で苦しんでいるのを神通力によって知り、釈尊に相談すると七月十五日、たくさんの僧侶に供養してもらい、食べ物を布施することを進言され、実行するとその功徳によって母親は救われたという話がもとになっている。
そこからお盆には先祖の霊が帰ってくると考えられるようになり、精霊棚をつくってごちそうでもてなし、お坊さんにもお経を唱えてもらうようだ。
この行事は先祖供養を重んじる中国や日本で重視され、中国では五三八年(大同四年)に、日本では六〇六年(推古十四年)に行われた記録が残っている。
しかし僕が繰り返し教わったのは、ここでは、自分の家の祖先「だけ」を供養しているわけではなく、そこに集まった供養されることのなかった、お腹をすかせたあらゆる霊を一緒に供養している、ということだ。
時々、古いお地蔵さんや石塔に「三界万霊」と書いてあって、この「すべての霊のために」というとらえかたは仏教の行事として、ベースになる本当に大事な部分であると思うし、僕はこの考え方がすごく好きだ(例の存在を説かない宗派もあるある)。
ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P155
加持祈祷 [宗教]
当時の社会(住人注;源氏物語の頃)では、物の怪にはさまざまな種類があると考えられたが、その代表的なものが生霊と死霊であった。
~中略~
突発的な苦しみや病の原因を物の怪に帰するのは、平安時代に広くゆきわたった病院論である。そういう場合は、比叡山などから験者や加持僧を呼んできて、加持祈祷をさせるのが通例であった。
治療のため「くすり」を用いることがなかったわけではないけれども、しかし主たる病気退散の方法は、あくまでも加持僧による祈祷に求められたのである。
山折 哲雄 (著)
講談社 (1983/7/18)
P124
法華経のキモはどこか [宗教]
法華経には、「法華経という神秘な経典がある」ということが繰り返し説かれている。
ところが、その法華経の中身は最後まで明かされることなく、法華経を書写し読誦せよ等というだけで終わってしまう。
つまるところ、法華経を讃えた経典が法華経なのであり、奇妙な自己撞着に陥っているかのように見える。
~中略~
漢訳法華経でも「この経を受持し読誦し書写し解説すれば無上の悟りに至る」と繰り返し説かれて、法華経は真理の世界への通路であることが示されている。
その神秘な宇宙のエントランスとして設置されたのが文字の経典であるとすれば、「南無妙法蓮華経」の題目は、その扉を開く鍵であると解釈することができよう。
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P313
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)
- 出版社/メーカー: 学研プラス
- 発売日: 2020/07/16
- メディア: 単行本
法華経の真実 [宗教]
法華経の救いの構造は、法華経を信じることで仏の国に生まれ変わり、次々に善い行いを積んで、ついには自分が仏になるというものである。
それを歴劫成仏といい、長い過程を経なければ仏になれないとされる。
法華経は弥勒菩薩に普通の人の役割をあて、悟りへの階梯を示す。
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P23
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)
- 出版社/メーカー: 学研プラス
- 発売日: 2020/07/16
- メディア: 単行本
仏になろう [宗教]
真言密教の教えの中心は即身成仏ということです。
即身成仏というのは、現実の肉体なままに仏になれるという思想です。ずいぶん大胆な考えです。肉体が汚れているという考え方はないん だ。肉体のまま仏になれる、それが即身成仏です。
~中略~
真言密教の中心仏である大日如来は宇宙の中心にいる、宇宙を支配している仏です。そして大日如来は一木一草に宿っています。
人間 の中にも大日如来はいて、その大日如来と一体となることを灌頂といいます。
梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P20
法華経を説く人 [宗教]
私の滅後であっても、妙法蓮華経の一偈一句でも聞いて心に喜びを生じる者があるならば、その人は無上のさとりを得ると予言しておきます。
~中略~
その人(法華経を説く人)は如来の室に入り、如来の衣を身につけ、如来の座に坐して、人々に法華経を説かなければなりません。
如来の室とは、人々を哀れむ心、すなわち大いなる慈悲の心です。
如来の衣とは、どんなことでも耐え忍んで常に心やわらかであること、すなわち柔和忍辱の心です。
如来の座とは、すべては空であること、すなわち、どんなものも互いに関わりあいながら常に変化しているという万物の法則です。
如来の室と衣と座においてこころゆるがず、人々のために法華経を説き伝えなさい。
>>>空
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P120 法師品
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2020/04/25
- メディア: 単行本
自利・利他の教え [宗教]
「それ釈教は浩汗(こうかん)にして際(きは)なく、涯(かぎり)なし。一言にしてこれを弊(つく)せば、ただ二利あり。
常楽の果を期するは自利なり。苦空の因を済(すく)ふは利他なり。空しく常楽を願へども得ず。徒(いたずら)に抜苦を計れどもまた難し」
(弘法大師空海「請来目録」)
【現代語訳 およそ釈尊の教えは途方もなく浩(ひろ)く、限りなくはてしないものです。一言でつくせば、ただ自利・利他の二つの利益にあります。 永遠の生命と、そこに生きるよろこびを願い求めるのが自利です。そして人間苦と執着の迷いから救うのが利他です。むなしく自利を願っても、得ることが出来ません。いたずらに利他をはかっても、また容易ではありません】
ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P197
六波羅蜜を行じる [宗教]
この経をよく持し、そのうえ布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜を行じるならば、その功徳はもっとも勝れており、無量無辺です。
よく耐え忍んで、心身の調和を願い、怒りをもたず、口につつしみをもちなさい。
>>>六波羅蜜
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P196 分別功徳品
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2020/04/10
- メディア: 単行本
宗教の役割 [宗教]
牧師であり大学教授でもある鈴木崇臣(たかひろ)氏の「韓国はなぜキリスト教国になったか」(春秋社、二〇一二年)では、韓国ではこの四〇年間に爆発的にキリスト教徒が増え、いまや人口の四割を占めるほどになったという事実がくわしく述べられている。
そしてその背景に、「とにかく何かのために祈る」というこの国の人たちの純粋性とともに、「祈らざるをえない」という彼らが置かれてきた歴史的、社会的な苦難の状況があったことが指摘されている。
実はいま中国でもひそかにキリスト教が広まりつつあるといわれているが、その中心になっているのは富裕層ではなく貧困層や若者たちだという。つまり、ここでも出発になっているのは、「神さま、弱い私を見捨てないでください、お救いください」という小さな声での「祈り」ということだ。
一方、日本ではどうなのだろうか。仏教、神道に親しみを持つ若者は増えているように見えるが、最初の例でも明らかなように「パワー」とか「仏像」「鳥居のデザイン」など”宗教の周辺”であればよいのだが、中核的な信仰に関する問題となるととたんに警戒してしまう。
~中略~
紀藤(住人注;正樹)弁護士は著書「マインドコントロール」(アスコム、二〇一二年)の中で、日本の既存宗教に対して「魂の救済にコミットしてないことを猛省せよ」と強い口調で呼びかける。
いまの日本では、深い悩みごとを抱え、誰かに話したい、人生を決めてもらいたいと望んでいる人は少なくない。
しかし、宗教がそういう人たちひとりひとりにしっかり向き合おうとしないからこそ、営利目的の宗教まがいの集団などが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、マインド・コントロールの被害者になる人が後を絶たないのだ、というのが紀藤氏の主張だ。
~中略~
ということは、日本にはおこまでのシビアな状況がなく、「祈らなくても何とかなるよね」という雰囲気の中で宗教が必要にされてこなかったのではないか、と考えることもできると思う。
しかし、紀藤氏はそうではなくて、実は困難な状況に置かれて「助けてください」と祈りたい人も多いのに、それにむしろ宗教が応えられていないのが日本、という考えだ。
~中略~
本当は「私が進む道に光を与えてください」といちばん祈りを必要としているのは日本の若者なのかもしれないが、彼らは正しい意味で宗教と出会えないまま、いたずらに心霊スポットめぐりを続けているのだとしたら、事態は結構深刻だと考えられる。
若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか
香山リカ (著)
朝日新聞出版 (2012/12/13)
P198
火宅を抜け出せ 比喩品 [宗教]
仏というものは、世界が朽ち古びた炎の家であるかのような時に現れます。
なぜなら、人々は生老病死の憂いと悲哀のなかにありながら、心は暗く閉ざされていて、貪(とん;むさぼり)・瞋(じん;怒り)・癡(ち;愚か)の三毒の炎に焼かれています。
仏はそのような人々を苦悩の炎から救いだし、無上の悟りを得させたいと望むのです。
~中略~
三界の火宅に住みつづけることのないように、平安を求める願いを起こしなさい。
そして早く苦しみの三界を出なさい。
あなたがたには声聞と縁覚と菩薩 の三種の乗物があり、皆、すぐれています。
それらは人々を苦から離れさせ、仏の智慧の世界に導き、生死を越えてゆきます。
この三種の乗物によって、ことごとくの根(知覚と精神)と力(能力)と覚(目覚め)と道(修行)、それから、禅定(心身の調和)と解脱(解放)と三昧(精神集中)において、あなたがたはみずから楽しみを得るし、そのことによって至高の幸いに至ります。
大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P47
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説 (エソテリカ・セレクション)
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2020/03/07
- メディア: 単行本